ひさしぶりにもほどがあるぜ。
どーも、375です。
大昔に、具体的には2001年の1月26日にyahooジオシティーズだったかgooだったかわすれたけど、どこかのレンタルサーバーにアップロードしたhtmlファイルは、手裏剣の代わりにしても余るくらいCD-ROMがついていた富士通ノートパソコンで作られていて、さらにそのCD-ROMの中の一つにあったホームページビルダーで作られていたと思う、違うかもしれないけど。その当時のインターネットは一部の頭のいい人やなにも考えていない人がホームページという名のWebサイトに掲示板やリンクというページを作り、それぞれのWebサイトの管理人同士が相互リンクという形で繋がっていたり、片思いという形でやんわりと繋がっていて、コンテンツはイカしたテキストと、衝撃的な画像と、面白いフラッシュ動画で溢れていた。やあみんな。今は2023年だよ。まだ375presentsは残ってる。
実を言うとなにも考えないで文章を作ることがなんでかできなかったのだけれど、最近の僕は随分とご機嫌だし天気もいいし花を入れる花瓶もあるし、なんだったら今は到底食べきれないスイカを見ながらいかにしてこれを食べ始めた自分を正当化しようかウキウキしながら腕組みもしちゃってるくらい。つまり僕は家庭に花を入れる花瓶を置けるくらいまともな大人になったのだよ。あのダンベルでCDを割ってその動画をインターネットにアップしていたやつが。当時の画質幾つだったんだろう。240pとかだった気がする。カメラの名前はサイバーショットだったかな。ちなみに撮影時にとんでもない音がしてちょっとした事件になった、実家だったしね。
当時文章を書き始めるのに理由はいらなかったのだけど、大人になると言いたいことがなければならないっていう無意識なまじめさがでちゃって、しかも別に伝えたいことなんてあるはずないからいつまで経ってもなにも書かなかったのだけれど、そもそも僕はコンテンツでもなんでもない戯言をインターネットに設置するような非常識さを持ち合わせていたのだから、それを長所として認めようと突然思ったのですよ、自転車を漕ぎながらね。ちなみにちゃんとヘルメットはかぶってる。でも重くて首と肩がなんか生えてくるんじゃないかっていうくらい痛くて下手するとヘルメットのせいで健康に害が出てるかもしれないので、交通事故で死ぬか肩と首から新しい生命が誕生するかのバトルになってる。僕は後者に賭けてる。生えてきたら会話するんだ。もちろん対等な関係でね。
大昔、意味のない戯言に対して突然出てきた妖精くんが何か言ってくるものだからそれと会話するって言うスタイルが僕の日記だった、というかこれは一種の病気だと思っていたのだけど、実はこれが精神的に疲れちゃってる人の治療法として確立されいると言うことをつい最近知ったので、当時の僕は何かの病気を治療しようとしていたか、もはや手遅れだったかのどちらかだったのだと思う。花瓶を家に置ける今になっても起承転結を意識しないで文章を書いているところを踏まえると後者なのかもしれないけど、前者の方がかっこいいからフォーマルな場では前者を採用しようと思う。
でも実際、インターネットが当たり前のように片手にあって、むしろインターネットにー触れていない時間が誇張なしで意識のない時間だけって言う人も珍しくない今の状況を見ると、子供が空想で自分とそれ以外の登場人物を作り上げて一人で遊ぶみたいなことって自分を維持するためにも必要なんじゃないかなって少し真面目に思っちゃったりしました。今はインターネット上の何者にもなれない、インフルエンサーにでもならない限りなれない、そんな事実をなんとなくインターネットのみんながわかっちゃってるから、なにも気にしないで発信するし、発信してもインターネット上の何かになれるなんてこれっぽっちも思ってないの思うのですよ。昔はインターネットで発信する人は珍しかったし、むしろそこそこ変な人が発信していたものだから、発信している感覚としてはインターネット上の何かになっている感覚はあったんじゃないかなと思います、多分僕の妄想だけど。今、もしその感覚を得たいのであれば、クリエイティブなことか人に迷惑をかけるか、つまりとにかく目立たないとその感覚になれないと思っている人が昔の比べて多いのかもしれない。
インターネットに超簡単に接続できて、そこでなんでも手に入るようになった今を僕は超満足してるんですけど、もし妄想力が弱いまま気軽にインターネットで発信をやってるんならもったいないと思うんですよね。SNSで何かを発信するだけでもインターネットの一部になれたっていう感動をもう少し妄想するべきだと思うんですよ。やだ、発信しちゃったっていう背徳感にも似た感動をもう少し味わったほうがいいんですよ。それだけでインターネットって満足できちゃうんじゃないかなと思うんです。私だってこの文章を書いているときを前戯だと思ってるし、発信ボタンを押したらたぶん絶頂しちゃうからね。
だから、みんなもっと自分の妖精くんと会話したほうがいい。この手の妄想は病気なんかじゃなくて、自分だけで人生を楽しくする工夫だと思ったほうがいい。まぁ、僕は病気かもしれないけど。
では、このへんで。
どーも、375です。
大昔に、具体的には2001年の1月26日にyahooジオシティーズだったかgooだったかわすれたけど、どこかのレンタルサーバーにアップロードしたhtmlファイルは、手裏剣の代わりにしても余るくらいCD-ROMがついていた富士通ノートパソコンで作られていて、さらにそのCD-ROMの中の一つにあったホームページビルダーで作られていたと思う、違うかもしれないけど。その当時のインターネットは一部の頭のいい人やなにも考えていない人がホームページという名のWebサイトに掲示板やリンクというページを作り、それぞれのWebサイトの管理人同士が相互リンクという形で繋がっていたり、片思いという形でやんわりと繋がっていて、コンテンツはイカしたテキストと、衝撃的な画像と、面白いフラッシュ動画で溢れていた。やあみんな。今は2023年だよ。まだ375presentsは残ってる。
実を言うとなにも考えないで文章を作ることがなんでかできなかったのだけれど、最近の僕は随分とご機嫌だし天気もいいし花を入れる花瓶もあるし、なんだったら今は到底食べきれないスイカを見ながらいかにしてこれを食べ始めた自分を正当化しようかウキウキしながら腕組みもしちゃってるくらい。つまり僕は家庭に花を入れる花瓶を置けるくらいまともな大人になったのだよ。あのダンベルでCDを割ってその動画をインターネットにアップしていたやつが。当時の画質幾つだったんだろう。240pとかだった気がする。カメラの名前はサイバーショットだったかな。ちなみに撮影時にとんでもない音がしてちょっとした事件になった、実家だったしね。
当時文章を書き始めるのに理由はいらなかったのだけど、大人になると言いたいことがなければならないっていう無意識なまじめさがでちゃって、しかも別に伝えたいことなんてあるはずないからいつまで経ってもなにも書かなかったのだけれど、そもそも僕はコンテンツでもなんでもない戯言をインターネットに設置するような非常識さを持ち合わせていたのだから、それを長所として認めようと突然思ったのですよ、自転車を漕ぎながらね。ちなみにちゃんとヘルメットはかぶってる。でも重くて首と肩がなんか生えてくるんじゃないかっていうくらい痛くて下手するとヘルメットのせいで健康に害が出てるかもしれないので、交通事故で死ぬか肩と首から新しい生命が誕生するかのバトルになってる。僕は後者に賭けてる。生えてきたら会話するんだ。もちろん対等な関係でね。
大昔、意味のない戯言に対して突然出てきた妖精くんが何か言ってくるものだからそれと会話するって言うスタイルが僕の日記だった、というかこれは一種の病気だと思っていたのだけど、実はこれが精神的に疲れちゃってる人の治療法として確立されいると言うことをつい最近知ったので、当時の僕は何かの病気を治療しようとしていたか、もはや手遅れだったかのどちらかだったのだと思う。花瓶を家に置ける今になっても起承転結を意識しないで文章を書いているところを踏まえると後者なのかもしれないけど、前者の方がかっこいいからフォーマルな場では前者を採用しようと思う。
でも実際、インターネットが当たり前のように片手にあって、むしろインターネットにー触れていない時間が誇張なしで意識のない時間だけって言う人も珍しくない今の状況を見ると、子供が空想で自分とそれ以外の登場人物を作り上げて一人で遊ぶみたいなことって自分を維持するためにも必要なんじゃないかなって少し真面目に思っちゃったりしました。今はインターネット上の何者にもなれない、インフルエンサーにでもならない限りなれない、そんな事実をなんとなくインターネットのみんながわかっちゃってるから、なにも気にしないで発信するし、発信してもインターネット上の何かになれるなんてこれっぽっちも思ってないの思うのですよ。昔はインターネットで発信する人は珍しかったし、むしろそこそこ変な人が発信していたものだから、発信している感覚としてはインターネット上の何かになっている感覚はあったんじゃないかなと思います、多分僕の妄想だけど。今、もしその感覚を得たいのであれば、クリエイティブなことか人に迷惑をかけるか、つまりとにかく目立たないとその感覚になれないと思っている人が昔の比べて多いのかもしれない。
インターネットに超簡単に接続できて、そこでなんでも手に入るようになった今を僕は超満足してるんですけど、もし妄想力が弱いまま気軽にインターネットで発信をやってるんならもったいないと思うんですよね。SNSで何かを発信するだけでもインターネットの一部になれたっていう感動をもう少し妄想するべきだと思うんですよ。やだ、発信しちゃったっていう背徳感にも似た感動をもう少し味わったほうがいいんですよ。それだけでインターネットって満足できちゃうんじゃないかなと思うんです。私だってこの文章を書いているときを前戯だと思ってるし、発信ボタンを押したらたぶん絶頂しちゃうからね。
だから、みんなもっと自分の妖精くんと会話したほうがいい。この手の妄想は病気なんかじゃなくて、自分だけで人生を楽しくする工夫だと思ったほうがいい。まぁ、僕は病気かもしれないけど。
では、このへんで。
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洗濯という単語はどこまでを指すのだろう。服を脱ぐことは脱衣。しかしそれを洗濯かごに入れることは洗濯に含まれるのではないだろうか。我が家は、洗濯機に入れるべき服かどうかを判断しやすいように、脱いだ服を洗濯かごに入れるという文化を取り入れている。洗濯かごから服を取り出して洗濯機に入れる。電源ボタンを押して洗剤をいれる。ちなみにこの順番を間違えると入れた洗剤がすべてどこかに消える。内蓋を閉めて柔軟剤を入れる。外蓋を閉めてすすぎの回数を1回にしてスタートを押す。文章にすると長いのに、すべて「洗濯」だ。そして洗濯機から取り出すとき、服は「洗濯物」へと変化しており、その洗濯物を干すために一つ一つどこに干すべきか判断する。「これはハンガー」とか。ここまで書いて、私は「小さい洗濯バサミがいっぱいくっついているあれ」の名前を知らないことに気づく。あれなんて名前なんだろう。あれに干すべきなのは靴下とか下着とか。靴下の場合は相方が行方不明にならないように2つまとめて干す。足を入れる穴が空いているほうを鼻の穴をつまむように干す。パンツは腰の両側をつまんで干す。ハンガーに干すべきものは、首元からハンガーの左足、あれ足なのかな。私はハンガーのクエスチョン部分を頭だと思っている。私から見て左に曲がっていたら、ハンガーは私の方を見ていると思っている。そして左下と右下の鋭角を足と呼んでいる。私は決まってハンガーを正面に見て左足から入れる。何枚か干していると毎回、「正式な入れ方があるのだろうか、そもそも首元が伸びる可能性をなくすために、裾から入れるべきなのだろうか」と一瞬思って、やはり首元から左足を入れるいつもの方法でハンガーを装着させ、引っ掛ける。こうすることで、干した服たちが全員左側を見ることになる。干し終わったら少し遠くに離れてきれいに整列している状態を見て、満足する。これも洗濯と表現することができる。乾いた洗濯物を取り込むことも洗濯、それをたたむことも洗濯。所定の位置に乾いた洗濯物を格納することも洗濯。そして、しまう寸前まで「洗濯物」だったものが、しまってしまえば次に取り出すときは「服」になっている。洗濯という単語はどこまでを指すのだろう。もしかしたら、服を汚す行為も「洗濯」の一部なのかもしれない。服を着ているだけでも垢がでて汚れる。そうしたら、普段の生活もすべて洗濯なのかもしれない。この世の全ては「洗濯」という行為なのかもしれない。私がいまこの文章を作成している行為も、「洗濯」なのかもしれない。あなたがこれを見ているその行為も「洗濯」なのかもしれない。・・・・・「洗濯」という単語がどこまでを指すのだろう。その疑問すら、きっと「洗濯」の一部なのだ。
どーも、375です。
私の知らない間にカラオケが進化しておりまして、オンラインでリアルタイムランキングとかできるんですよね。曲を選択すると全国で何名が歌っていて、歌った結果あなたは全国何位なのかということがされます。ちなみに恋愛サーキュレーションは900人以上のライバルがいました。
私の知らない間にカラオケが進化しておりまして、オンラインでリアルタイムランキングとかできるんですよね。曲を選択すると全国で何名が歌っていて、歌った結果あなたは全国何位なのかということがされます。ちなみに恋愛サーキュレーションは900人以上のライバルがいました。
オンチな私はこの機能で自分の実力を測るなんてことはしませんが、リアルタイムのライバルが少ない曲は何なのかということは気になるわけです。そのときの時間は午前1時過ぎだったので懐メロあたりであればライバルも少ないだろう、ババアはどうせ寝ている、などと思っていましたが、小林明子の「恋におちて」は712人。テレサ・テンの「つぐない」は888人。めちゃ多い。
なんだかんだ試行錯誤をして少ない曲は次のとおり。
国外かつ英語じゃないやつ。ジャッキー・チェンの「プロジェクトA」。38人。
アニソンだけどマイナー。平塚たかあきの「ぼくのジュリアーノ」。1名。
なんとなくチョイス。アルファ&DJ TASAKAの「エクスタシー温泉2006」。0名。
ライバル0名!というわけで我々は口から血反吐を吐くような努力の末、全国1位という冠を手に入れたのです。すげえだろ。カラオケ全国1位だぜ。これでもてもてだ。
ちなみにアンダーワールドの「ボーンスリッピー」があって、絶対にライバルがいないだろうと思っていたら4人もいてびっくりしました。しかも1位は93点で、あの曲どうがんばったら高得点がでるのかちっともわかりません。メガメガワイテンメガメガワイテン。
では、今日はこの辺で・・・。
では、今日はこの辺で・・・。
ここ最近の寒さに対する怒りで体が温まったりしないものですかね。
どーも、375です。
どうなってるんですかまったく。
いやね、最寄り駅のセブンイレブンにはプリンターが二つあるんですけど、私が使いたいネットプリントという機能があるのは右側だけなんですよ。その右側のプリンターを知らない爺さんが使っていたから待っていたんです。私も大人ですから爺さんを殴り倒してまで使おうなんて思いません。で、じっと後ろで待っていたら爺さんが怪訝そうな顔でチラチラみてくるから「いやね、そっちしか使えない機能があるんですよ」って言ったら「だったらそっちで待っててくださいよ、そこにいると気が散ってどれだかわからなくなるんですよ」などと言われたので素直に隣のプリンターの前に立ってそこらへんに書いてある文字を読んでいたんですよ。そしてどうやら終わったようなんですけどこの爺さんがなかなかどかなくて、何回も上部の蓋を開けたり閉めたり、周りを見渡したりしてるわけ。なにしてんなかなーって思ってたらそのままこっちをジロジロ見ながら退店していきまして、気に食わないなーと思いましたが、まぁ目的はネットプリントですから、ネットプリントを使って私もその場をあとにしました。でね、あれはきっと爺さんが大事な何かを大量にコピーしていて、後ろにいるフードを深くかぶってる怪しい男はそれを狙っていると思われていたんですよ。きっとあの蓋パカパカ動作は大事な何かを忘れたら怪しい男に盗まれると思っての行動だったんでしょうね。なんて気に食わないんだ。不貞腐れながら歩いていたらこんなことを思い出しました。
この前バスの終電を逃したので歩いて家へ向かっていたんですが、途中で疲れちゃってタクシーに乗ろうと思って手をあげていたんです。しかしながら通るタクシーが全部素通りなんですよ。タクシーの頭に着いているタクシーを象徴する何かも光っていたんですよ。あれが消えていたら客が乗っているんでしょうけど、着いてるってことはお客様どうぞって状態じゃないですか。それでも止まってくれなくて、6台目が通り過ぎたあたりで諦めました。で、あのときも同じ格好でフードを深くかぶっていたんですよ。プリンターの気に食わなさはこのとき感じた「人を犯罪者扱いしやがって」と同じだったんですよ。
あのね、僕は寒いからフードをかぶっているんですよ。優秀ですよフードは、首と耳とほっぺが寒くなくなりますからね、っていうかそれが正式な仕様ですからね。それがあなた、いまとなってはフードをかぶっていたら犯罪者扱いですよ、タクシー止まらない理由だってフードのせいですよどうせ。もうほんと歴代の犯罪者が防寒具を覆面として使ったせいでこういうことになってるんですよ。目出し帽なんか超優秀な防寒具であれつけたら自転車乗ってもぜんぜ寒くないのに、犯罪者のせいでパブリックで使いにくい状態ですよ。私に関係のないところで犯罪するのは勝手ですけど、間接的に被害がこっちに来てるんですよ。私は犯罪反対なんてことはいいませんよ。かといって賛成でもないですよ。犯罪をしなければ生きていけない環境が何処かにあって、そういった環境にいる人が犯罪をするのはもう生きて行く上でしょうがないですよ、そういう環境に生まれたやつは死ねってことですからね、犯罪反対っていうのは。ただね、防寒具を覆面として使う犯罪に関してはこれから断固反対していきますよ。この文章を見ている犯罪者の方は次回の犯罪時に覆面として使うならホッケーマスクとか大仏の被り物とかとにかく防寒具と離れたものを使ってください。もっと寒がりに気を使ってください。
もはや防寒具はパブリックエネミーです。パブリックで装着することを許されないこの状況はおかしい。世界から正義とされている方や社会に対して影響力のある方は積極的に防寒具を身につけてください。パブリックで認められる状況を作ってください。私にはどうしようもありまけん。寒がりを助けてください。
防寒具を覆面として使う犯罪者に死を。防寒具を積極的に使う寒がりに光を。
どーも、375です。
ここ最近はめっきり気温も下がってきましたので一部の皆さんはお肌の乾燥を気にされているのではないでしょうか。私は体から粉がふきだすタイプの人種ですのでこの時期は大変苦手でして、許されるのであれば美容液のプールの中で横になっていたいくらいです。冬の季語に「乾燥」を加えるべき。
冬の季語と言えば「雪」とか「北風」とか「決死の青姦」とかありまして、比較的死をイメージするものが並んでいますが、露出狂の皆さんにとっては自然にロングコートを着用できる季節として親しまれていると思います。街ゆくロングコートから生足が出ているタイプの女性を見るたびに「あれは露出狂でコートの下は全裸」などと決めつける毎日がもうすぐそこです。ダッフルコートとか絶対だめ、直視できない。
さて、冬の季語の中には「大晦日」なんてものもありまして、大晦日周辺には人々が地元に顔を出すために様々な移動手段が混みだします。新幹線の自由席なんてもはや自由でもなんでもなくて、通路にうつ向き気味かつ疲れた顔の人があふれ出してますから、さながら戦場に向かうトラックのようです。そんな状態でもどうにかして乗れるのが新幹線ですが、飛行機になってくると通路に立ってるなんてことはできませんから、必ず事前に予約しておかなければいけません。
飛行機はインターネットっていう最新の技術を使って予約できるんですよ、私(大金持ち)の家にはパソコンっていう一般のご家庭にはない最新鋭の機器がありまして、それを使えば数クリックで完了ですよ。事前にお金を払っておけば空港でチェックインするだけです。この予約可能な期間なんですが、半年以上前から予約できたりするんですよ、もちろん航空会社によりますけど、少なくとも今回登場する航空会社はそうでした。
というわけで私は5月の時点で翌年の2月までの飛行機を予約して「さあこれで安心だ、あとは無事空港に行って飛行機に乗ってアイマスクをするだけ」とか思っていたんですよ、後日大量の請求がきて心臓が止まるかと思いましたけど、それは別の話。
既にいくつかの飛行機に乗って安心しきっていたころ、具体的には9月ごろに私が予約した航空会社からこんなメール来ました。「君の予約した飛行機の時間は12時頃みたいだけど、なんだかんだで勝手に変えたよ、7時に」みたいなメールでした。この7時って午前7時ですよ、午前ですよ午前。
新幹線と違って飛行機っていうのはある程度前に空港入りして、リハーサルして、体があったまってきたら本番って感じなんですよ。だから7時に出発する飛行機があったとしたら遅くとも6時半くらいには空港入りしなくちゃいけないんですよ。
私は田舎生まれラップトップ育ちの人間ですよ、空港まで超遠いですよ、始発にのっても7時20分くらい着ですよ、自分が乗るはずだった飛行機を見送ることもできない時間ですよ、見送りできるんだったら「音楽の修行のためにアメリカへ留学する彼女(エア)が乗っている飛行機に手を振る男前の俺」みたいな雰囲気を醸し出す遊びができますけどできない時間なんですよ、そもそもやりませんけど。
まあまあ、航空会社のサイトにログインしてみたら「勝手に時間変えてごめんね、ここから変更できるからアクセスしてみてね」って表示があって一安心しました。ついさっきまで手元にあったキーボードをアルゼンチンバックブリーカーで破壊しかねないほど憤慨していたことも忘れて「格安航空会社とはいえこういうことがあればちゃんと代替案を提示してくれるんだなあ」などと関心していました。で、アクセスしてみたら
Access denied
手元のキーボードが粉々ですよ。胸ポケットに「F」キーが入ってました。
まあまあまあまあ、インターネットに慣れている私ですから、プロインターネッターの私ですから、レジェンド オブ インターネットですからそんなことでは焦りません。キーボードは壊れちゃってますけど、焦っていません。私は冷静に思いました。これはパニックになっていて、インターネットが混んでいるのだなと。ということは別の時間帯にアクセスすればいいわけです。そしてアクセスしました。
Access denied
マウスが粉々ですよ。
一通りもんどりうってからもう一度画面をみてみたら「Access denied」の後に「詳細はこの電話番号に聞いてね」と書いてありました。この文字を見逃してる時点で全然冷静じゃないんですけど、とにかくもう電話をかけるしかないと思いまして、かけてみました。こういう航空会社は多くの場合「なんとかの場合は1を」みたいなことを自動音声で言うんですよ。で、繋がったときに流れた自動音声が
ただいま電話が大変込み合っております。
お時間をおいておかけ直しください。
ディスプレイが真っ二つですよ。
「込み合っております」系の音声が流れたらだいたい「繋がるまで今しばらくお待ちください」とか言って鳥の鳴き声とかが流れ続けるはずなんですけどこの航空会社は問答無用であっちから切るわけ、自動音声からの自動切断なわけ。時間をおいてかけなおしてもずっと同じ音声なわけ。この時点で自分の髪の毛をむしり取る勢いなんですけど、あくまでも冷静に「じゃあ日をまたいでかけなおせばいいんじゃないの」って思ったんですよ。で、次の日に電話をかけたら
ツー ツー ツー ツー
膝を地面に落しました。代打逆転満塁ホームランを打たれた投手くらいの落ち方でした。もうね、勝手に早くするのはいいんですよ、別に乗れるんならいいんですけど乗れないんですよ、このままだと支払い済みの飛行機に乗れないって状態で変更もできないし電話で文句を言うにしても繋がらない状態になっているわけです。私は涙で揺らぐ夜空の星を見ながら「どうしよう」といいました。一筋の飛行機雲が目に入ると、星はさらに強く揺らぎました。
さて、ここまでが9月の話。整理するとこんな感じ。
1.勝手に飛行機の予定が変わった
2.ネットで変更できると見せかけてできない
3.電話で変更できると見せかけて繋がらない
ちなみに変わった予定って1つじゃないんですよ。11月以降の5つが変わったんです。全部往復で予約していますから10個の飛行機代ですよ。1個1万だとしても10万ですよ。国家予算ですよ国家予算。
しかし私は冷静な男ですから「ネットがだめ、電話がだめ、しかし直接顔を合わせるっていう方法が残ってるぜ」と思いつくわけです。私は空港に牛耳っている航空会社のチェックインカウンターまで足を運びました。入場ゲートを開ける直前から映像はスローになり、私のロングコートがゆっくりとバサァ、白い鳩がゆっくりとカットイン。カウンターにいる女に向かって強気にこう言ってやりましたよ。「あのすいません、いまちょっといいですかね」
会話は以下の通り。
375:
11月から2月にかけて予約をしていたのですが、先日それが変更された旨のメールがきまして、変更の内容というのが出発の時間が早くなったというものなんですが、私には変更後の時間が早すぎるので変更したいのですが、できますかね。
窓口:
この窓口で行うと別途料金がかかりますがよろしいですか。
375:
よろしくないです。どうやらWebサイトから変更が行えるようなんですけれども、できなくてですね。
窓口:
そうですね、ホームページから行えます。
375:
それができないんですよ。
窓口:
もう一度お試しください。
375:
何度かやったんですけど出来なくて、
窓口:
ではサポートにお電話いただけますか。
375:
それなんですけどサポートに電話したら混み合っているらしくて、
窓口:
時間をおいてもう一度お電話いただけますか。
375:
電話したんですけど、今となっては自動音声すら流れない状態で、どうしたらいいのでしょう。
窓口:
こちらといたしましてはホームページかサポートからしかできませんので、もう一度お願いします。
375:
いやね、ホームページも何度も試したし、電話も何度もしたんですけど、にっちもさっちも行かないんですよ。私としては是非とも飛行機に乗せて頂きたいんですけど、始発の電車にのったとしても7時発の飛行機なんて乗れないので、このままだと無理なんですね。だから変えようと思ったんですが、私が思いつく限りの変更手段ができないんですよ。
窓口:
申し訳ありませんが、こちらとしてもその方法しかありませんので、時間をおいてもう一度お試しいただけますか。
このあたりで女の顔面に右ストレートをねじ込む権利があると思うんですけど、私も大人ですのでその場でiphoneを取り出して
375:
ホームページってここですよね。で、ここに変更できそうな雰囲気のリンクがあるんですけど、アクセスするとこんな感じの画面になるわけです。どうみてもこの画面から変更できないのですが、ここに電話しろと書いてありますよね。この電話ってそのサポートってやつですよね。で、そこに電話しても繋がらないんですよ。ちょっといま電話してみますよ。ほらちょっと聞いて下さいよこれ。
といって女にサポートとやらが死んでる旨を伝えて、なんだかんだあった挙句に「じゃあサポートから電話させていただきますので電話番号をお願いします」と言われまして、電話番号を伝えました。で、後から非常に腰の低い人から「申し訳ございません、キャンセルされますか変更されますか」みたいな電話がきまして無料で変更していただきました。
無事変更は出来たんですけど、私がiphoneを持っていなかったらどうなっていたんだって話ですよ。私はクレーマーなのか、いや断じて違う。なにこの「そこまで言うならもうこっちから特別に電話させていただく」的な感じ。そっちが用意した方法がことごとくダメな状態なのになんでこう「特別に」みたいな感じなんですか、超むかつく。
とにかくホームページかサポートしかできないこの窓口だとお金がかかるとか言い続けるやつに対抗するのなんてデンプシー・ロールくらいでしょ。ああもうね、後半は書いていていらいらが戻ってきてふざけたことを挟むことができませんでしたけど、ほんとフラストレーションが溜まりましたよ、もう二度とあの航空会社は使いません。死ねばいいのに。下に思いっきりたたきつけたスーパーボールがアイホールに直撃して死ねばいいのに。電子ライターを分解したら静電気が暴発して着ていたニット素材のハイネックセーターが燃えて死ねばいいのに。暇だからという理由で肛門に突っ込んだナスの一部が直腸あたりでつまって激痛にのたうちまわってからとてつもない羞恥心を感じながら病院に行ったら若いイケメンの主治医に肛門を肛門鏡でひらかれて「ナスがつまってますね肛門で遊んではいけません」なんて診断された後「もうお嫁にいけない」と泣きながら帰宅している途中に偶然飛んできた豆腐が頭にぶつかって死ねばいいのに。
とにかくいらいらしましたが、問題は解決しました。持っててよかったスマートフォン。ちなみにiphoneから素直に糞航空会社のサイトに接続するとiphoneに最適化されてるっぽいページに飛ばされるんですけど、そのページでは予約の変更ができないという体たらくだったのでpuffinていう有料のアプリを使ってアクセスして見せました。
はーあ。今日はこの辺で。
おそらく紀元前から続いているであろうきのこたけのこ戦争は現在でも決着のつく気配がまったくない戦争の一つである。一個人である私がきのことたけのこのどちらが優位であるかを言及することはできないが、次のようなことを考えた。
どちらがよりリスペクトされているのか
もちろん個人的にリスペクトされているものはどちらも同じだろう。ここではリスペクトされた証拠がどれだけ残っているかということ、短絡的にいえば「パクられやすいのはどちらか」ということ。たくさんパクられていればそれだけリスペクトされているということであり、私の考えではリスペクトされている方が優位である。
ここ数ヶ月でコンビニやスーパーをウロウロした結果、確認できたリスペクトの形跡は以下のとおり。
以上のとおり、きのこが圧倒的にリスペクトされている。きのこたけのこ戦争の結論を出すことはできないが、今後この戦争について討論になったときの1つの考え方として、「きのこのほうがリスペクトされてるんだよ!」といってみてはいかがだろうか。しかし、間違っても「きのこはパクたれすぎ、まじありえない」などとネガティブな情報として活用することだけは避けていただきたい。
ちなみに私はアルフォートが好き。
もう3月だってのに寒すぎやしませんか。
どーも、375です。
私の友人に電車を愛している奴がいまして、気が向いた時に電車の写真をとってそいつに送りつけているんですよ、文章も付けないでね。例えば運転席の写真をとって送りつけると、「横浜線だね」とか返ってくるわけ。もちろん車体の写真だと答えが返ってくるどころか駆動車かどうかとかそういうところまで返ってくるんですよ、別に興味もないのに。最近で度肝を抜かれたのは、「千葉モノレールの路線を下から見上げた写真」を送りつけたらこれの答えが返ってきたときですね。ただのコンクリートですよ。まったく面白い野郎ですよ。
どーも、375です。
私の友人に電車を愛している奴がいまして、気が向いた時に電車の写真をとってそいつに送りつけているんですよ、文章も付けないでね。例えば運転席の写真をとって送りつけると、「横浜線だね」とか返ってくるわけ。もちろん車体の写真だと答えが返ってくるどころか駆動車かどうかとかそういうところまで返ってくるんですよ、別に興味もないのに。最近で度肝を抜かれたのは、「千葉モノレールの路線を下から見上げた写真」を送りつけたらこれの答えが返ってきたときですね。ただのコンクリートですよ。まったく面白い野郎ですよ。
で、ここのところはどこか遠くにでかけたら「これは知らないだろう」なんてことを思いながら写真を送りつけてるんですよ。一番最近だと、「福岡空港の最寄りの地下鉄の改札の写真」を送りつけたんですよ、この時点では私も何の路線だか知らないんですけど、友人からは「市営地下鉄」とか返ってくるわけ。後で調べたら正解なんですよこれが。もう面白いを通り越して怖いですよね。
そんなわけで、福岡から名古屋までドライブしてきたので、簡単に概要でもまとめようと思いまして、久しぶりに写真を挟んで簡単に書いていきますよ。
まずは福岡から。福岡の滞在時間は超短かったので、福岡の写真として電車好きの友人へ送信した改札の写真です。
九州から本州へ上陸するために関門橋を通るわけですが、この橋が吊り橋なんですよ。すごい長いのに吊り橋ですよ。吊り橋のロープ的な部分、もはやロープってレベルの太さではありませんが、そのロープ的な部分を吊っている柱がでかくて、いい光景でしたよ。
そこから山口県、広島県を通って岡山県から瀬戸大橋ですよ。皆さん知っていますか瀬戸大橋。少し前に関門橋ではしゃいでいましたが、瀬戸大橋はもうすごいですよ、度肝を抜かれます。なんたってもう長い。12時過ぎに福岡を出発して、瀬戸大橋につく頃には20時くらいでしたから、あたりはすっかり暗くなっていたんですよ。そこから浮かび上がる塔のでかいことといったらないですよ。圧巻でしたね。
1日目はこれで終わり。気が向いたら2日目以降も書きます。
では、今日はこの辺で。
では、今日はこの辺で。
最近めっきりブログを更新しなかったわけですけれども、事故にあったりとかC1000の過剰摂取とかなんらかの理由で死んでいたわけではありません。このとおり生きていますよ、ぴんぴんしています、ブログを更新する前よりぴんぴんしていますよ。むしろブログを更新しないことで元気になった可能性もあるくらいですよ。まったくもって元気です。
今回はひとまず近況報告をちょろっとやって終わろうと思いますよ。もうね、興味深い文章なんてこれっぽっちも書けませんから、更新することに意義があるみたいな逃げを繰り広げるしかないんですよ僕は。足の裏に水泡ができて「これは水虫ではないだろうか」と狼狽しているような人間ですよ僕は。
1.零打開。
恐怖のあまり途中で投げ出していたWiiで一番怖いゲームと僕の中で名高い「零~月蝕の仮面~」をつい先日クリアしました。思えばこのゲームのおかげで寿命があるていど縮まりましたよ。アイテムを取ろうとしたら腕をつかまれて以来アイテムをとるっていうアドベンチャーゲームで必要不可欠な行動すら恐怖を覚えるようになったり、とりあえず壁を取ったら心霊写真が写ってちょっとだけ失禁したり、ラスボスの弱さに閉口したり、もう大変な大騒ぎをしていましたが、ついにクリアしました。面白かったですね、もうやらないですけど、面白かったです。このゲームはやったほうがいいですよ、大音量で一人で部屋を真っ暗にしてやったほうがいいですよ。あとオムツはいたほうがいいよまじで。
2.香ばしいゲームを入荷。
そういえばプレイステーション3はプレイステーションのゲームができるんだった、なんて思い立ってしまったので、ハードオフだとかゲオだとかに行って香ばしいゲームを手に入れました。まずは香ばしさの定番「がんばれ森川君2号」からはじまり、パッケージからしてキてる「イエロー・ブリック・ロード」。あとは小室哲也が生んだ神ゲー「ガボール・スクリーン」、パフィーがまさかのゲーム化「パフィーのPSアイラブユー」、志茂田景樹が無謀にもゲームに挑戦して誕生した「七つの秘宝」、これは本気で神ゲー「トウキョウインセクトズー」、あとはよくわかんないけど買った「ディセント」、「ハーミィホッパーヘッド」、「ディープフリーズ」、以上。「イエロー・ブリックロード」はちょっとやったんですよ、ちょっとやったらクリアしました。すげぇぜプレイステーション。
3.モルモット襲来。
モルモットを飼い始めました。だから調子に乗ってモルモットのことを日記に書き始めようと思いまして、ここまで長々しくて忌々しい駄記事を書いたわけです。いやしかしね、「モルモット飼いはじめたから日記を書くよ」だけだだと味気ない上に「お前久々に日記書いたと思ったらそれかよ、まじぱねー」みたいなことをいわれる可能性もあるじゃないですか、そんなこといわれたら泣きますよ僕は。そういうわけでここまで長く書いたのです。許してください。
そんなわけでモルモットの日記を書きます。どうかよろしくお願い。
ではでは。
今回はひとまず近況報告をちょろっとやって終わろうと思いますよ。もうね、興味深い文章なんてこれっぽっちも書けませんから、更新することに意義があるみたいな逃げを繰り広げるしかないんですよ僕は。足の裏に水泡ができて「これは水虫ではないだろうか」と狼狽しているような人間ですよ僕は。
1.零打開。
恐怖のあまり途中で投げ出していたWiiで一番怖いゲームと僕の中で名高い「零~月蝕の仮面~」をつい先日クリアしました。思えばこのゲームのおかげで寿命があるていど縮まりましたよ。アイテムを取ろうとしたら腕をつかまれて以来アイテムをとるっていうアドベンチャーゲームで必要不可欠な行動すら恐怖を覚えるようになったり、とりあえず壁を取ったら心霊写真が写ってちょっとだけ失禁したり、ラスボスの弱さに閉口したり、もう大変な大騒ぎをしていましたが、ついにクリアしました。面白かったですね、もうやらないですけど、面白かったです。このゲームはやったほうがいいですよ、大音量で一人で部屋を真っ暗にしてやったほうがいいですよ。あとオムツはいたほうがいいよまじで。
2.香ばしいゲームを入荷。
そういえばプレイステーション3はプレイステーションのゲームができるんだった、なんて思い立ってしまったので、ハードオフだとかゲオだとかに行って香ばしいゲームを手に入れました。まずは香ばしさの定番「がんばれ森川君2号」からはじまり、パッケージからしてキてる「イエロー・ブリック・ロード」。あとは小室哲也が生んだ神ゲー「ガボール・スクリーン」、パフィーがまさかのゲーム化「パフィーのPSアイラブユー」、志茂田景樹が無謀にもゲームに挑戦して誕生した「七つの秘宝」、これは本気で神ゲー「トウキョウインセクトズー」、あとはよくわかんないけど買った「ディセント」、「ハーミィホッパーヘッド」、「ディープフリーズ」、以上。「イエロー・ブリックロード」はちょっとやったんですよ、ちょっとやったらクリアしました。すげぇぜプレイステーション。
3.モルモット襲来。
モルモットを飼い始めました。だから調子に乗ってモルモットのことを日記に書き始めようと思いまして、ここまで長々しくて忌々しい駄記事を書いたわけです。いやしかしね、「モルモット飼いはじめたから日記を書くよ」だけだだと味気ない上に「お前久々に日記書いたと思ったらそれかよ、まじぱねー」みたいなことをいわれる可能性もあるじゃないですか、そんなこといわれたら泣きますよ僕は。そういうわけでここまで長く書いたのです。許してください。
そんなわけでモルモットの日記を書きます。どうかよろしくお願い。
ではでは。
ゆとりという概念と状況説明の細かさと私。
どーも、375です。
1980年から、教育業界は「勉強ばっかりしてると脳が腐るので、授業時数を減らしてゆとりを持とう、ゆとりと充実を、ゆとりと潤いを」なんてスローガンを片手に教育内容をがらりと変えました。ゆとり教育の始まりです。しかし今回はゆとり教育の話じゃなくて“ゆとり”という概念についてのお話と、それが原因で生じた混乱のお話です。
ゆとり教育という名詞から取り出された“ゆとり”は、「昔の人は知っていたであろうことを知らない人」や「昔の人は解けていたであろう数式を解けない人」など、学問の面で教わってないが故に昔の人に比べて劣っている人のことを指していました。
しかしその解釈はさらに広まり、「昔の人は我慢できたであろうことを我慢できない人」や「昔の人は出来たであろうことが出来ない人」など、もはや学問と関係のない面でも“ゆとり”という表現が使われています。まずはこの概念がまとまりゃしねぇというお話から。
現在“ゆとり”という概念は、「昔の人に比べて」というものを飛び越えて、「空気が読めない人」や「説明がへたくそ」など、もはや悪口でしかありません。これでは馬鹿の概念について考えるのも同じです。まったくもってどのような人がゆとりなのかわからなくなってしまいました。馬鹿と呼ばれる人の定義をするなんて不可能な話です。
2段階目の「昔の人は云々」というものであれば、お年寄りがよく言う「最近の若い者はこの程度のダンベルも持ち上がらんのか、ふんぬっ、ほわぶへっ」の意味と同じ位置づけだったのですが、3段階目の「a.k.a 馬鹿」になってしまうと、何がゆとりなのか決めることが出来なくなり、“ゆとり”という概念が混沌としてしまいます。全ての可能性が考えられるようになり、“ゆとり”という表現を使ったが最後、“ゆとり”は膨張を続け、ついには自分の体積に押しつぶされ重力が逆転、ブラックホールが誕生します。
そんなことになっては困ります。まだオブリビオンのクエストコンプしてないし。というわけで“ゆとり”の概念について決めないといずれはあちらこちらでブラックホールが発生して地球はおろか宇宙が裏返ってしまいます。まじやばい。
でまぁ、落としどころおしては「場の空気」を読まなかったり、「文章の読解能力」がなかったりする人たちなんでしょう。もはやゆとり教育と何の関係もありませんが、これはこれでいいんです。もはや“ゆとり”と“ゆとり教育”は別物なのです。東京ディズニーランドと東京インセクトズーくらい別物なのです。
さて、ここまでがゆとりという概念についてスムーズかつ強引に決め付けた内容ですが、問題はそれで生じた混乱です。文章を書く際、誰しもターゲットを絞ります。例えば小学生が作文を書く際、ターゲットは先生です。中学生がラブレターを書く際は、同じクラスの寺井さん(誕生日は12月24日)です。こういった具合に、文章を書く際は、誰もが誰かに向けて書いているのです。
しかし、文章のターゲットは一人に限りません。例えばサンデーの「脅威の速読術」とかに載っている尋常じゃなく胡散臭い文章は、サンデーの読者という不特定多数をターゲットに書かれているでしょう。また、「使用前は表面の油を水洗いで除去してください、あとこれジョークグッツなんで」といった文章はディルド購入者向けに書かれているでしょう。そういのもっと大きく書こうぜ、遅いって超遅いって。
といった具合に、文章は不特定多数をターゲットに書かれる場合があるのです。不特定多数といっても、ジャンルを絞った不特定多数です。何にせよ、文章はそのターゲットが読みやすいように、伝わりやすいように書くことが多いものです。さて、そのターゲットのジャンルが絞られず、本当の不特定多数に向けた文章というのはあるのかという問題。あります。ブログです。
かつて日記はWebサイトの一コンテンツでした。そのWebサイトには必ずジャンルがあり、そのジャンル目当ての人が多く訪問します。そのため、文章もそのジャンル目当ての人向けに書けばよかったのです。しかし現在は一億総ブログ時代。また、一億総検索エンジン時代。もはや日記主体のサイトにターゲットなど絞れないのです。そこで問題になってくるのが、そう“ゆとり”向けの文章。
出来る限り多くの人に文章を読んでほしい、そんな願望を叶えるには、まず宣伝が一番でしょう。しかし宣伝をすれば多くの人に文章を読んでもらえるのでしょうか。それはきっと違います。いくら宣伝をしたところで、内容が「おっぱいおっぱいボインボイン みつを」といった内容が数千文字にわたっていたらすぐに消されてしまいます。そんなサイトあったらすぐお気に入りに登録する。
多くの人に文章を読んでほしいのであれば、多くの人に訪問のきっかけを作る宣伝、そして「閲覧し続けてもらう」ということです。つまり「読みやすくハートをがっちりキャッチするハートフルな文章」が書いてあれば、より多くの人に「三三七拍子って4拍子でしょうが!! みつを」という文章を読んでもらえるのです。
そこで問題になってくるのが、表現の細かさです。ネット上には色々な人がいます。戦士、魔法使い、盗賊、胸毛マン、そしてゆとりです。ここで誤解しないでいただきたいのは、僕は胸毛マンではなく魔法使いだということ、そして“ゆとり”というのは概念のお話で、ゆとりを馬鹿にしているわけではないというお話です。
文章の読解能力のない人は、「夕日の差し込む用具置き場の中、理沙は後ろ手に鍵を閉めた」に対して何も感じないのかもしれません。私がこれを見たら完全に「バスケットボールがたくさん入ってるかごがあるわ」とか「マットはあるね、絶対ある」とか「電気は鍵を閉めてから点けるね」とか「きっとスポーツブラ」とか「最初はソフトタッチ」とか「途中で誰かが開けようとして二人の動きが止まる、そして見詰め合う二人」とかそういうところまで読めます。しかし、文書の読解能力のない人には、「ただドアの鍵を閉めた」という部分しか通じないかもしれません。
すなわち、私の混乱は「どの程度細かい文章を書けば誰しもに伝わって、それでいてマイルドな味わいを消さずに済むのか、一体どうやればこのコーヒーをすっぱくしないで挽けるのか」というものです。いやね、最近コーヒー豆をぐるぐるして砕くやつ買ってさ、前からコーヒー造ってるんだけどこれが全く持っておいしくならないんですよもう。なにこれ豆のせいなの?って思って「ミスターコーヒー」みたいな友人に入れてもらったらこれがマイルドな味わいでびっくりして結婚を申し込みました。
例えば、「卵が割れた」という表現からは色々なものが想像できます。私はこういった短い文章からいろいろなものを想像するのが好きです。しかし文章の読解能力のない人にはもっと詳しく書かなければなりません。
「卵が割れた。」
「ビニール袋が机から落ち、中にあった卵は割れた。」
「美那子の体に押されたビニール袋は机から落ち、中にあった卵が割れた。」
「美那子は机に押し倒された。その拍子にビニール袋は机から落ち、中にあった卵が割れた。卵を気にしていたが、ブラウスのボタンが地面に落ちる音で正気に戻る。炎天下の道を歩いて帰ってきた美那子の体はしっとりと」
といった具合に、「卵が割れた」だけでは無限の可能性があった文章も、「細かく文章を書かなければ通じない人」に向けた文章にしてしまうと、文章の可能性は絞られてしまいます。その境界線が非常に難しいのです。文章の可能性を絞らずに、表現を細かくする、私にはそんなこと無理です。そんなことが出来たら文章で食っていけます。
きっと挙句の果てには「美弥子は机(木製)に押し倒され(押し倒された途端、痛そうに顔を歪める美那子)、電灯(四角いもので、中に丸い蛍光灯が入っているタイプ)から埃(電灯によってきらきらと輝いている)が落ちる(美那子は目を瞑る)。ビニール袋(スーパーのもの)は机(しつこいようだが木製)から落ち、中にあった卵(割れやすいため一番上に置かれていた)が割れた(美那子にはテレビの音が大きく感じた)。」とかそういう、注釈入りまくりの文章になってしまいます。もはや想像力を必要としない文章に成り果てるのです。
どうすればいいのだ、私はどうすればいいのだ、どうすれば万人に理解していただける文章であって、それでいて想像力を書き立てるような文章を作れるんだ、と、ここまで悩んで結論が出ました。
きっと“ゆとり”は想像が出来ない人たちのことを指すのです。「空気を読む」というのは、「この状況はどのようになっているか、あの人は何を思っているか」を想像しなければならないし、文章の読むというのは「この文章があるということはこういうことになっているのだろう」といったことを想像します。それが出来ないということは、想像力が欠如しているのです。
想像力は大事です。常に“かもしれない運動”をしましょう。家を出る前に「ガスの元栓を閉め忘れたかもしれない」とか「窓を閉め忘れたかもしれない」とか、駅に着いたら「私は臭いかもしれない」とか「あの老人にぶつかってしまうかもしれない」とか、車を運転していたら「歩道に突っ込んで人を轢いてしまうかも知れない」とか「信号を無視して事故を起こすかもしれない」とか、「病気にかかって死んでしまうかもしれない」とか「すでにかかっていて誰かにうつしているかもしれない」とか「突然あの男性に石を投げつけてしまうかもしれない」とか「自分は自殺するかもしれない」とか私は私は私はわわわわわわわわたたたたたたた
想像力は時に凶器。ほどほどにしましょう。
どーも、375です。
1980年から、教育業界は「勉強ばっかりしてると脳が腐るので、授業時数を減らしてゆとりを持とう、ゆとりと充実を、ゆとりと潤いを」なんてスローガンを片手に教育内容をがらりと変えました。ゆとり教育の始まりです。しかし今回はゆとり教育の話じゃなくて“ゆとり”という概念についてのお話と、それが原因で生じた混乱のお話です。
ゆとり教育という名詞から取り出された“ゆとり”は、「昔の人は知っていたであろうことを知らない人」や「昔の人は解けていたであろう数式を解けない人」など、学問の面で教わってないが故に昔の人に比べて劣っている人のことを指していました。
しかしその解釈はさらに広まり、「昔の人は我慢できたであろうことを我慢できない人」や「昔の人は出来たであろうことが出来ない人」など、もはや学問と関係のない面でも“ゆとり”という表現が使われています。まずはこの概念がまとまりゃしねぇというお話から。
現在“ゆとり”という概念は、「昔の人に比べて」というものを飛び越えて、「空気が読めない人」や「説明がへたくそ」など、もはや悪口でしかありません。これでは馬鹿の概念について考えるのも同じです。まったくもってどのような人がゆとりなのかわからなくなってしまいました。馬鹿と呼ばれる人の定義をするなんて不可能な話です。
2段階目の「昔の人は云々」というものであれば、お年寄りがよく言う「最近の若い者はこの程度のダンベルも持ち上がらんのか、ふんぬっ、ほわぶへっ」の意味と同じ位置づけだったのですが、3段階目の「a.k.a 馬鹿」になってしまうと、何がゆとりなのか決めることが出来なくなり、“ゆとり”という概念が混沌としてしまいます。全ての可能性が考えられるようになり、“ゆとり”という表現を使ったが最後、“ゆとり”は膨張を続け、ついには自分の体積に押しつぶされ重力が逆転、ブラックホールが誕生します。
そんなことになっては困ります。まだオブリビオンのクエストコンプしてないし。というわけで“ゆとり”の概念について決めないといずれはあちらこちらでブラックホールが発生して地球はおろか宇宙が裏返ってしまいます。まじやばい。
でまぁ、落としどころおしては「場の空気」を読まなかったり、「文章の読解能力」がなかったりする人たちなんでしょう。もはやゆとり教育と何の関係もありませんが、これはこれでいいんです。もはや“ゆとり”と“ゆとり教育”は別物なのです。東京ディズニーランドと東京インセクトズーくらい別物なのです。
さて、ここまでがゆとりという概念についてスムーズかつ強引に決め付けた内容ですが、問題はそれで生じた混乱です。文章を書く際、誰しもターゲットを絞ります。例えば小学生が作文を書く際、ターゲットは先生です。中学生がラブレターを書く際は、同じクラスの寺井さん(誕生日は12月24日)です。こういった具合に、文章を書く際は、誰もが誰かに向けて書いているのです。
しかし、文章のターゲットは一人に限りません。例えばサンデーの「脅威の速読術」とかに載っている尋常じゃなく胡散臭い文章は、サンデーの読者という不特定多数をターゲットに書かれているでしょう。また、「使用前は表面の油を水洗いで除去してください、あとこれジョークグッツなんで」といった文章はディルド購入者向けに書かれているでしょう。そういのもっと大きく書こうぜ、遅いって超遅いって。
といった具合に、文章は不特定多数をターゲットに書かれる場合があるのです。不特定多数といっても、ジャンルを絞った不特定多数です。何にせよ、文章はそのターゲットが読みやすいように、伝わりやすいように書くことが多いものです。さて、そのターゲットのジャンルが絞られず、本当の不特定多数に向けた文章というのはあるのかという問題。あります。ブログです。
かつて日記はWebサイトの一コンテンツでした。そのWebサイトには必ずジャンルがあり、そのジャンル目当ての人が多く訪問します。そのため、文章もそのジャンル目当ての人向けに書けばよかったのです。しかし現在は一億総ブログ時代。また、一億総検索エンジン時代。もはや日記主体のサイトにターゲットなど絞れないのです。そこで問題になってくるのが、そう“ゆとり”向けの文章。
出来る限り多くの人に文章を読んでほしい、そんな願望を叶えるには、まず宣伝が一番でしょう。しかし宣伝をすれば多くの人に文章を読んでもらえるのでしょうか。それはきっと違います。いくら宣伝をしたところで、内容が「おっぱいおっぱいボインボイン みつを」といった内容が数千文字にわたっていたらすぐに消されてしまいます。そんなサイトあったらすぐお気に入りに登録する。
多くの人に文章を読んでほしいのであれば、多くの人に訪問のきっかけを作る宣伝、そして「閲覧し続けてもらう」ということです。つまり「読みやすくハートをがっちりキャッチするハートフルな文章」が書いてあれば、より多くの人に「三三七拍子って4拍子でしょうが!! みつを」という文章を読んでもらえるのです。
そこで問題になってくるのが、表現の細かさです。ネット上には色々な人がいます。戦士、魔法使い、盗賊、胸毛マン、そしてゆとりです。ここで誤解しないでいただきたいのは、僕は胸毛マンではなく魔法使いだということ、そして“ゆとり”というのは概念のお話で、ゆとりを馬鹿にしているわけではないというお話です。
文章の読解能力のない人は、「夕日の差し込む用具置き場の中、理沙は後ろ手に鍵を閉めた」に対して何も感じないのかもしれません。私がこれを見たら完全に「バスケットボールがたくさん入ってるかごがあるわ」とか「マットはあるね、絶対ある」とか「電気は鍵を閉めてから点けるね」とか「きっとスポーツブラ」とか「最初はソフトタッチ」とか「途中で誰かが開けようとして二人の動きが止まる、そして見詰め合う二人」とかそういうところまで読めます。しかし、文書の読解能力のない人には、「ただドアの鍵を閉めた」という部分しか通じないかもしれません。
すなわち、私の混乱は「どの程度細かい文章を書けば誰しもに伝わって、それでいてマイルドな味わいを消さずに済むのか、一体どうやればこのコーヒーをすっぱくしないで挽けるのか」というものです。いやね、最近コーヒー豆をぐるぐるして砕くやつ買ってさ、前からコーヒー造ってるんだけどこれが全く持っておいしくならないんですよもう。なにこれ豆のせいなの?って思って「ミスターコーヒー」みたいな友人に入れてもらったらこれがマイルドな味わいでびっくりして結婚を申し込みました。
例えば、「卵が割れた」という表現からは色々なものが想像できます。私はこういった短い文章からいろいろなものを想像するのが好きです。しかし文章の読解能力のない人にはもっと詳しく書かなければなりません。
「卵が割れた。」
「ビニール袋が机から落ち、中にあった卵は割れた。」
「美那子の体に押されたビニール袋は机から落ち、中にあった卵が割れた。」
「美那子は机に押し倒された。その拍子にビニール袋は机から落ち、中にあった卵が割れた。卵を気にしていたが、ブラウスのボタンが地面に落ちる音で正気に戻る。炎天下の道を歩いて帰ってきた美那子の体はしっとりと」
といった具合に、「卵が割れた」だけでは無限の可能性があった文章も、「細かく文章を書かなければ通じない人」に向けた文章にしてしまうと、文章の可能性は絞られてしまいます。その境界線が非常に難しいのです。文章の可能性を絞らずに、表現を細かくする、私にはそんなこと無理です。そんなことが出来たら文章で食っていけます。
きっと挙句の果てには「美弥子は机(木製)に押し倒され(押し倒された途端、痛そうに顔を歪める美那子)、電灯(四角いもので、中に丸い蛍光灯が入っているタイプ)から埃(電灯によってきらきらと輝いている)が落ちる(美那子は目を瞑る)。ビニール袋(スーパーのもの)は机(しつこいようだが木製)から落ち、中にあった卵(割れやすいため一番上に置かれていた)が割れた(美那子にはテレビの音が大きく感じた)。」とかそういう、注釈入りまくりの文章になってしまいます。もはや想像力を必要としない文章に成り果てるのです。
どうすればいいのだ、私はどうすればいいのだ、どうすれば万人に理解していただける文章であって、それでいて想像力を書き立てるような文章を作れるんだ、と、ここまで悩んで結論が出ました。
きっと“ゆとり”は想像が出来ない人たちのことを指すのです。「空気を読む」というのは、「この状況はどのようになっているか、あの人は何を思っているか」を想像しなければならないし、文章の読むというのは「この文章があるということはこういうことになっているのだろう」といったことを想像します。それが出来ないということは、想像力が欠如しているのです。
想像力は大事です。常に“かもしれない運動”をしましょう。家を出る前に「ガスの元栓を閉め忘れたかもしれない」とか「窓を閉め忘れたかもしれない」とか、駅に着いたら「私は臭いかもしれない」とか「あの老人にぶつかってしまうかもしれない」とか、車を運転していたら「歩道に突っ込んで人を轢いてしまうかも知れない」とか「信号を無視して事故を起こすかもしれない」とか、「病気にかかって死んでしまうかもしれない」とか「すでにかかっていて誰かにうつしているかもしれない」とか「突然あの男性に石を投げつけてしまうかもしれない」とか「自分は自殺するかもしれない」とか私は私は私はわわわわわわわわたたたたたたた
想像力は時に凶器。ほどほどにしましょう。
パブリック・エネミー・テリトリー。
どーも、375です。
人間というのは敵を作りたがる。また、厄介なことに、人間は敵を共有できる。その共有できる範囲は大小様々で、小さいものであれば数人、大きいものであれば世界単位だ。
小さい単位の例として、よくあるのが学校のクラス単位である。いじめというやつがそれに当たるかどうかは別として、少なくともクラスの敵になった対象はよほどのことがない限り敵認定を解消できない。それは、敵を共有してしまっているからだ。
敵と認識している人間が一人であれば、その人間の中で「あれは敵ではない」と改めれば済む話だが、数人で共有してしまった場合、瞬時に「敵」から「敵ではない」に変えるには、共有している数人が同時に「敵ではない」と認識しなければならない。それは不可能だ。だからこそ、少しずつ敵ではないと認めてもらわなければならない。そうして敵と共有した人間全員が「あれは敵ではない」と認識していくといった過程が必要になる。
この流れは人数が多ければ多いだけ時間がかかる。単位がクラスであればなおさらだ。悲惨なのは「敵」と認識されるスピードと「敵ではない」と認識されるスピードの違いだ。「敵」という認識が共有されるスピードは、短ければ1日だ。集団の中にいるカリスマ性のある人間が「敵」と認識し、積極的に共有しようとすれば、すぐにでも認識は共有される。
かたや1日、かたや莫大な時間だ。
人間同士のつながり、先の例ではいわゆる「友達」。人間同士が繋がりやすいイベントの一つが「共通の敵」だ。AがBと「友達」になりたいとすれば、AはBが敵と認識しているものを共通の敵としている「フリ」をすればいい。これが1番厄介なのだ。
これはAとB、二人の関係だが、単位が大きくなった場合に起こる最悪の事態は、「敵ではないという認識をした人間は敵」と認識されることだ。こうなるともう手に負えない。もはや「敵と認識された対象」はただの敵に過ぎず、「集団が仲良くいるためのオブジェクト」になる。これがパブリックエネミーだ。
単位を大きくしてクラスから村にしてみよう。クラスのパプブリック・エネミーは、「集団と仲良くしていられない」レベルだが、村のパブリック・エネミーは、生活が出来ない。俗にいう「村八分」だ。この状態になった場合、パブリック・エネミー単体ではどうすることもできない。誰かに助けをもらう必要がある。閉鎖的な村でこうなった場合、パブリック・エネミーは死ぬしかない。
さて、ここまでは「パブリック・エネミー」が人だった場合だ。もしパブリック・エネミーが「抽象的なもの」だった場合、より深刻なものとなる。
パブリック・エネミーは「仲良くいるためのオブジェクト」であり、「パブリック・エネミーと仲良くするもの」は敵となる。この表現はパブリック・エネミーが人間であった場合であり、もしパブリック・エネミーが人間ではなくものや事柄だったらどうなるか。
ある「何か」がパブリック・エネミーだった場合、集団はその「何か」を肯定する人間を「敵」と認識する。例えば「タバコ」。タバコを嫌う集団の中で「タバコ」を肯定した人間は、集団の敵になる。下手をすれば肯定をした人間がパブリック・エネミーになる。これはパブリック・エネミーが人間だった場合より怖い。なぜなら、「敵」という認識が共有されるまでの早さが一瞬なのだ。
「何か」がパブリック・エネミーだった場合、「何か」を肯定した人間は「敵」という条件式が生まれる。そのため、「何か」を肯定したらすぐさま「敵」と認識していいという流れなのだ。これは本当に怖い。
近年、このパブリック・エネミーを利用しようとする風潮がある。パブリック・エネミーという共通の敵を作り出し、それを否定すれば集団と仲良くできる。短時間で信頼を得ることが出来る。パブリック・エネミーにされた対象はたまったものではない。また、パブリック・エネミーを肯定していた人間もたまったものではない。そんなことが起きれば芋ずる式に敵と認識される。
というわけでここまで長々と書かせていただきましたけど、結局何が言いたいかというと一つだけなんですね。私の購入するエロ本は結構パブリック・エネミーな感じなんですけど、それだからって「犯罪起こすなよ」とか「犯罪起こしたら『いつかやると思ってました』ってインタビューで答える」とか「ヘンタイ死ね」とか言われるのは心外なんですよ。そもそも犯罪起こしませんから。
こういうパブリック・エネミーは超カリスマ性のある誰かに肯定してもらえない限り解消されませんからね。イケメン俳優あたりに「俺、最近オイスターにはまってるんだよね」とか「マヨネーズさんは昔からのファンです」とかそういうことを言ってくれれば、パブリック・エネミーから一気に出世するし、心置きなく「あの俳優さんが買ってるから買ってるんだよ、僕ファンだし」とかそういういいわけもできるじゃないですか。私が買ってるエロ本の題名は教えられませんけど、そういうのってあるじゃないですか。だからもうほんと、社会間違ってる、超間違ってる。
どーも、375です。
人間というのは敵を作りたがる。また、厄介なことに、人間は敵を共有できる。その共有できる範囲は大小様々で、小さいものであれば数人、大きいものであれば世界単位だ。
小さい単位の例として、よくあるのが学校のクラス単位である。いじめというやつがそれに当たるかどうかは別として、少なくともクラスの敵になった対象はよほどのことがない限り敵認定を解消できない。それは、敵を共有してしまっているからだ。
敵と認識している人間が一人であれば、その人間の中で「あれは敵ではない」と改めれば済む話だが、数人で共有してしまった場合、瞬時に「敵」から「敵ではない」に変えるには、共有している数人が同時に「敵ではない」と認識しなければならない。それは不可能だ。だからこそ、少しずつ敵ではないと認めてもらわなければならない。そうして敵と共有した人間全員が「あれは敵ではない」と認識していくといった過程が必要になる。
この流れは人数が多ければ多いだけ時間がかかる。単位がクラスであればなおさらだ。悲惨なのは「敵」と認識されるスピードと「敵ではない」と認識されるスピードの違いだ。「敵」という認識が共有されるスピードは、短ければ1日だ。集団の中にいるカリスマ性のある人間が「敵」と認識し、積極的に共有しようとすれば、すぐにでも認識は共有される。
かたや1日、かたや莫大な時間だ。
人間同士のつながり、先の例ではいわゆる「友達」。人間同士が繋がりやすいイベントの一つが「共通の敵」だ。AがBと「友達」になりたいとすれば、AはBが敵と認識しているものを共通の敵としている「フリ」をすればいい。これが1番厄介なのだ。
これはAとB、二人の関係だが、単位が大きくなった場合に起こる最悪の事態は、「敵ではないという認識をした人間は敵」と認識されることだ。こうなるともう手に負えない。もはや「敵と認識された対象」はただの敵に過ぎず、「集団が仲良くいるためのオブジェクト」になる。これがパブリックエネミーだ。
単位を大きくしてクラスから村にしてみよう。クラスのパプブリック・エネミーは、「集団と仲良くしていられない」レベルだが、村のパブリック・エネミーは、生活が出来ない。俗にいう「村八分」だ。この状態になった場合、パブリック・エネミー単体ではどうすることもできない。誰かに助けをもらう必要がある。閉鎖的な村でこうなった場合、パブリック・エネミーは死ぬしかない。
さて、ここまでは「パブリック・エネミー」が人だった場合だ。もしパブリック・エネミーが「抽象的なもの」だった場合、より深刻なものとなる。
パブリック・エネミーは「仲良くいるためのオブジェクト」であり、「パブリック・エネミーと仲良くするもの」は敵となる。この表現はパブリック・エネミーが人間であった場合であり、もしパブリック・エネミーが人間ではなくものや事柄だったらどうなるか。
ある「何か」がパブリック・エネミーだった場合、集団はその「何か」を肯定する人間を「敵」と認識する。例えば「タバコ」。タバコを嫌う集団の中で「タバコ」を肯定した人間は、集団の敵になる。下手をすれば肯定をした人間がパブリック・エネミーになる。これはパブリック・エネミーが人間だった場合より怖い。なぜなら、「敵」という認識が共有されるまでの早さが一瞬なのだ。
「何か」がパブリック・エネミーだった場合、「何か」を肯定した人間は「敵」という条件式が生まれる。そのため、「何か」を肯定したらすぐさま「敵」と認識していいという流れなのだ。これは本当に怖い。
近年、このパブリック・エネミーを利用しようとする風潮がある。パブリック・エネミーという共通の敵を作り出し、それを否定すれば集団と仲良くできる。短時間で信頼を得ることが出来る。パブリック・エネミーにされた対象はたまったものではない。また、パブリック・エネミーを肯定していた人間もたまったものではない。そんなことが起きれば芋ずる式に敵と認識される。
というわけでここまで長々と書かせていただきましたけど、結局何が言いたいかというと一つだけなんですね。私の購入するエロ本は結構パブリック・エネミーな感じなんですけど、それだからって「犯罪起こすなよ」とか「犯罪起こしたら『いつかやると思ってました』ってインタビューで答える」とか「ヘンタイ死ね」とか言われるのは心外なんですよ。そもそも犯罪起こしませんから。
こういうパブリック・エネミーは超カリスマ性のある誰かに肯定してもらえない限り解消されませんからね。イケメン俳優あたりに「俺、最近オイスターにはまってるんだよね」とか「マヨネーズさんは昔からのファンです」とかそういうことを言ってくれれば、パブリック・エネミーから一気に出世するし、心置きなく「あの俳優さんが買ってるから買ってるんだよ、僕ファンだし」とかそういういいわけもできるじゃないですか。私が買ってるエロ本の題名は教えられませんけど、そういうのってあるじゃないですか。だからもうほんと、社会間違ってる、超間違ってる。
常識クソッタレ理論。
どーも、375です。
これは織姫様と彦星様が取っ組み合いの大喧嘩をするくらいの確立で書かれるまじめな文章です。このまじめさたるや、駄洒落の内容を聞き返すくらいです。「布団が吹っ飛んだ」「どうして?」という、想像もしたくない亜空間なまじめさです。そもそも駄洒落というものは難しく、暗黙の了解で知れ渡っている駄洒落のルールを常識として知っていなくてはならないので、それを知らない白いタイツを穿いた王子様みたいな人はすぐに聞き返しちゃうわけですよ。「ディスプレイの横にディ・スプレー!」「どういう意味ですか?」なんていう聞き返し方をしちゃうわけです。今思えばなんでこんな駄洒落を言ったのかわからない。過去に戻って自分を説教したい。
相手が駄洒落を言ったら意味とか問わないでスルーして笑うというルールはどのくらい常識なのかという話題になると、常識というものはどういう意味なのかという話になるわけです。今回はそんな常識の話。
この常識という単語を辞書で調べてみると、こんなことが書いてあります。「ある社会で、人々の間で広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力」。とても曖昧。近所にあるコンビニの店員さんが発する「らっさま」くらい曖昧。いらっしゃいませなの?何かの掛け声なの?「らっ」っていうお客様がいるの?
この曖昧さは「広く」という数値で表現できない範囲が原因でしょう。広くの定義というのは人それぞれ違って、しかも年齢や気分によっても違うのです。前髪が若干後退気味の男性に「おでこ広くない?」なんていう聞き方をしたら「広くねぇよ!」と怒鳴られて携帯電話の角で鼻頭を殴られ続ける地獄絵図になるじゃないですか。でもテッカテカでピッチピチのボディコンな美人さんが「おでこが広くて素敵ですね」なんていう言い方をしたらもう男性はデヘデヘじゃないですか、お酒が入っていれば。シラフだったら携帯電話で鼻頭を殴られちゃいますけど、お酒が入っていれば大丈夫じゃないですか。気分がよれけば大丈夫じゃないですか。つまり「広く」という範囲はとても曖昧なのです。電気屋の店員くらい曖昧。「mp3も再生できると思います」ってどういうこと。
そんな曖昧な「広く」は、いつも悩みの種なのです。8割とかそういう数値で表してくれればいいものを「広く」ですからね。不動産が「広いキッチンです」なんていったのに超狭くて、文句を言ったら「私は広く感じました」なんていう返しをくらってしまう可能性があるくらい、「広く」は危険なのです。つまり、それだけ「常識」は常に揺らいでいるのです。
アブノーマルの代名詞だったアナル関連の話題だって、今や「アナニー」なんて単語が生まれるくらい常識ですし、洋式便器のタンクを抱きかかえるようにして用を足すのも常識です。数多くの人にご承認いただいているのです。そんな、揺らぎ続ける常識の中で、揺らがない常識というのは何でしょうか。
ご飯をゆっくり食べるというのは「ゆっくり食べた方がいい理由」がちゃんとあるので常識ではありません。たとえ広くご承認されていない事柄でも、理由があるものは常識でなくても堂々と出来ると思うのです。これに関してはご承認いただこうがいただけなかろうが関係ありません。ゆるぎない常識はきっと理由が無いものなのです。
理由の無い常識とは、例えば「排泄はトイレで行う」とか「人と会ったら挨拶をする」とか。こういうのが「ゆるぎない常識」。しかし「ゆるぎない常識」は「理由が無いこと」だけではなく、きっと「間違ったこと」もゆるぎない常識なのです。
通常、人間は間違った行動を避けます。目の前に毒とわかっている液体があったとしたら、それを飲みません。飲むのはバカだけです。しかし、間違ったことでもやってしまうことがあるのです。バカでなくてもやってしまうことがあるのです。それが「間違った常識」です。
牛乳が体にいいなんて認識がありますが、本当にいいのでしょうか。私は小さい頃から学校で出される牛乳を飲み続けてきたので、当然体にいいと思っていましたし、飲めば飲むほどいいと思っていました。カルシウムが取れるから牛乳。健康のために牛乳。とりあえず牛乳。困ったら牛乳に相談。そんな最強の健康飲料だと思っていました。
そしてあるとき、ふと思ったのです。『これは牛の子供が飲むものなのに、なぜ私は当たり前のようにこれを飲んでいるのだろう。私たちはこれを分解できるのだろうか。本当に健康なのだろうか。カルシウムは取れるのだろうか。相談してもいいのだろうか。』冷静に考えてみれば、これは牛の赤ちゃんのためのもので、成長したら牛でさえ飲みません。これを人間が飲んでも大丈夫なのだろうか、なんてことを思ったのです。何も理由もなく「健康」だとか「カルシウム」だとか言われて飲んでいた牛乳を見て、ふと思ったのです。
考えても見てください。「牛乳が嫌い」ならまだしも、「牛乳を飲むと腹を下す」なんていう人がいるのです。私は「牛乳が飲めない人」というくくりをしていましたが、もしかして私が「牛乳を飲める人」で、牛乳を飲むと腹を下す人こそ正常な人間なのではないでしょうか。
さて、牛乳が体にいいか悪いかは別として、ここで働いてくる恐ろしい常識があって、牛乳に関わらず「摂取することが常識とされている何か」が体に悪いとわかり摂取をやめた場合、ここで問題なのが「摂取することが常識」ということ。つまり、摂取しないとおかしな人と思われてしまうのです。
もう牛乳の話は終わりましたよ。これは牛乳ではなくて、みんなが当然のように飲んでいる何かだと思ってください。それの飲み物が体に悪いとあなたは気付きました。それで飲むのをやめたとき、みんなが「なんで飲まないの?おかしいんじゃないの?」となるわけです。この恐ろしい常識ばかりは、どんなに正当な理由があったとしても、承認されないのです。それを気にしないことだけが逃げ道なのです。
ところで、先日配信で提唱した「万力オナニー」の評判が非常によろしくなかったんですけど、あれも君たちは「万力は何かを止めておくもの」なんていう理由のない常識に縛られているからなので、あんなに批判しなくてもいいと思うんですよ。かなり凹んだんですからまじで。
どーも、375です。
これは織姫様と彦星様が取っ組み合いの大喧嘩をするくらいの確立で書かれるまじめな文章です。このまじめさたるや、駄洒落の内容を聞き返すくらいです。「布団が吹っ飛んだ」「どうして?」という、想像もしたくない亜空間なまじめさです。そもそも駄洒落というものは難しく、暗黙の了解で知れ渡っている駄洒落のルールを常識として知っていなくてはならないので、それを知らない白いタイツを穿いた王子様みたいな人はすぐに聞き返しちゃうわけですよ。「ディスプレイの横にディ・スプレー!」「どういう意味ですか?」なんていう聞き返し方をしちゃうわけです。今思えばなんでこんな駄洒落を言ったのかわからない。過去に戻って自分を説教したい。
相手が駄洒落を言ったら意味とか問わないでスルーして笑うというルールはどのくらい常識なのかという話題になると、常識というものはどういう意味なのかという話になるわけです。今回はそんな常識の話。
この常識という単語を辞書で調べてみると、こんなことが書いてあります。「ある社会で、人々の間で広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力」。とても曖昧。近所にあるコンビニの店員さんが発する「らっさま」くらい曖昧。いらっしゃいませなの?何かの掛け声なの?「らっ」っていうお客様がいるの?
この曖昧さは「広く」という数値で表現できない範囲が原因でしょう。広くの定義というのは人それぞれ違って、しかも年齢や気分によっても違うのです。前髪が若干後退気味の男性に「おでこ広くない?」なんていう聞き方をしたら「広くねぇよ!」と怒鳴られて携帯電話の角で鼻頭を殴られ続ける地獄絵図になるじゃないですか。でもテッカテカでピッチピチのボディコンな美人さんが「おでこが広くて素敵ですね」なんていう言い方をしたらもう男性はデヘデヘじゃないですか、お酒が入っていれば。シラフだったら携帯電話で鼻頭を殴られちゃいますけど、お酒が入っていれば大丈夫じゃないですか。気分がよれけば大丈夫じゃないですか。つまり「広く」という範囲はとても曖昧なのです。電気屋の店員くらい曖昧。「mp3も再生できると思います」ってどういうこと。
そんな曖昧な「広く」は、いつも悩みの種なのです。8割とかそういう数値で表してくれればいいものを「広く」ですからね。不動産が「広いキッチンです」なんていったのに超狭くて、文句を言ったら「私は広く感じました」なんていう返しをくらってしまう可能性があるくらい、「広く」は危険なのです。つまり、それだけ「常識」は常に揺らいでいるのです。
アブノーマルの代名詞だったアナル関連の話題だって、今や「アナニー」なんて単語が生まれるくらい常識ですし、洋式便器のタンクを抱きかかえるようにして用を足すのも常識です。数多くの人にご承認いただいているのです。そんな、揺らぎ続ける常識の中で、揺らがない常識というのは何でしょうか。
ご飯をゆっくり食べるというのは「ゆっくり食べた方がいい理由」がちゃんとあるので常識ではありません。たとえ広くご承認されていない事柄でも、理由があるものは常識でなくても堂々と出来ると思うのです。これに関してはご承認いただこうがいただけなかろうが関係ありません。ゆるぎない常識はきっと理由が無いものなのです。
理由の無い常識とは、例えば「排泄はトイレで行う」とか「人と会ったら挨拶をする」とか。こういうのが「ゆるぎない常識」。しかし「ゆるぎない常識」は「理由が無いこと」だけではなく、きっと「間違ったこと」もゆるぎない常識なのです。
通常、人間は間違った行動を避けます。目の前に毒とわかっている液体があったとしたら、それを飲みません。飲むのはバカだけです。しかし、間違ったことでもやってしまうことがあるのです。バカでなくてもやってしまうことがあるのです。それが「間違った常識」です。
牛乳が体にいいなんて認識がありますが、本当にいいのでしょうか。私は小さい頃から学校で出される牛乳を飲み続けてきたので、当然体にいいと思っていましたし、飲めば飲むほどいいと思っていました。カルシウムが取れるから牛乳。健康のために牛乳。とりあえず牛乳。困ったら牛乳に相談。そんな最強の健康飲料だと思っていました。
そしてあるとき、ふと思ったのです。『これは牛の子供が飲むものなのに、なぜ私は当たり前のようにこれを飲んでいるのだろう。私たちはこれを分解できるのだろうか。本当に健康なのだろうか。カルシウムは取れるのだろうか。相談してもいいのだろうか。』冷静に考えてみれば、これは牛の赤ちゃんのためのもので、成長したら牛でさえ飲みません。これを人間が飲んでも大丈夫なのだろうか、なんてことを思ったのです。何も理由もなく「健康」だとか「カルシウム」だとか言われて飲んでいた牛乳を見て、ふと思ったのです。
考えても見てください。「牛乳が嫌い」ならまだしも、「牛乳を飲むと腹を下す」なんていう人がいるのです。私は「牛乳が飲めない人」というくくりをしていましたが、もしかして私が「牛乳を飲める人」で、牛乳を飲むと腹を下す人こそ正常な人間なのではないでしょうか。
さて、牛乳が体にいいか悪いかは別として、ここで働いてくる恐ろしい常識があって、牛乳に関わらず「摂取することが常識とされている何か」が体に悪いとわかり摂取をやめた場合、ここで問題なのが「摂取することが常識」ということ。つまり、摂取しないとおかしな人と思われてしまうのです。
もう牛乳の話は終わりましたよ。これは牛乳ではなくて、みんなが当然のように飲んでいる何かだと思ってください。それの飲み物が体に悪いとあなたは気付きました。それで飲むのをやめたとき、みんなが「なんで飲まないの?おかしいんじゃないの?」となるわけです。この恐ろしい常識ばかりは、どんなに正当な理由があったとしても、承認されないのです。それを気にしないことだけが逃げ道なのです。
ところで、先日配信で提唱した「万力オナニー」の評判が非常によろしくなかったんですけど、あれも君たちは「万力は何かを止めておくもの」なんていう理由のない常識に縛られているからなので、あんなに批判しなくてもいいと思うんですよ。かなり凹んだんですからまじで。
配信の練習をしていましたよ。
どーも、375です。
ここ数年は猫も杓子も配信配信で、配信が大ブームですよ。たぶんあそこの交番前で面倒臭そうに立っているお巡りさんだって今頃絶賛配信中です。
ネットワークが進化して一般ユーザーでも世界に対して情報を発信できるようになりましたが、この発信できる情報も日々進化しました。最初はちょっとした文章でしたが、画像やら動画やら、いろいろなものが配信できるようになりました。おかげで個々の黒歴史も増えたわけですが、それはまた別の話。
しかも最近はリアルタイムで情報を発信できるわけですよ。ネットラジオとか目じゃないです。動画ですよ動画。動画をリアルタイムで配信できるわけです。
そんな動画配信を始めて見たのは結構最近で、たぶん2007年くらいでした。2007年といえば激動の年です。あのニコニコ動画がひっそりと始動した時代ですね。そのときはニコニコ動画の仕組みが面白くて、「これがyoutubeの二番煎じじゃなかったらもっと面白いのに」とか思っていました。今じゃもっと大変なことになっていますね。
さて、そんな2007年にどんなきっかけで配信を見るようになったかというと、これが普通のテレビ番組なんですね。
見たいテレビ番組があったのですが、私の部屋ではテレビが見られない。違う部屋では家族がテレビを独占している。悔しい。しかし昭和の人が夢見た時代に生きている私が「テレビが誰かに占領されているから見られない」なんて下唇を尖らせて言うはずがありません。
とりあえずgoogle先生で調べると、なんとまぁ、普通に地上波を垂れ流しにしているものがあるらしくて、いやもうこれは本当にすごいんですが、当時の知識では何をどうしたらいいかわからなかったんですね。
さて困った。可能だけどどうしたらいいかわからない。しょんぼり。ここで一旦諦めて、googleで「マイクロビキニ」とか検索していたわけですが、そこで偶然、「ピアキャスト」ってものが眼に留まったんですね。
この「ピアキャスト」がすごくて、芸能人でもなんでもない人が、当時人気が爆発し始めた「ゲームセンターCX」みたいなことをやっているわけですよ。この不思議感覚がものすごくて、見たいテレビ番組とかはもう忘れちゃうくらいの衝撃でした。
しかしいくら普通の人っていっても「ネットで配信ができる程度の能力」を持った人ですよ。僕なんて「ネットでマイクロビキニと検索して出てきたサイトのリンクをたどっていったらウィンドウがすごい勢いでポコポコでてきて泣きそうになる程度の能力」しかなかったので、すごいなぁ、いいなぁ、なんて思っていました。
さて、時代は進み2007年。その頃僕は「SIREN」という2003年に発売されたゲームを未だにやっていました。このゲームが面白いのなんのという話はまた別の機会にするとして、そのSIRENの時計をフラッシュで作っていた「shimizuhouse.net」というサイトをリンクしていたんですね。
このshimizuさんという人が配信について色々書いていたんです。その中で「livetube」っていいよね的な文章がありまして、当時の僕は「ポルノチューブとかそういう類かな」なんて思っていました。
「livetube」というのは、ものすごく簡単に配信が見れて、そしてものすごく簡単に配信ができちゃうという、すごいWebサービスです。しかし、まだピアキャストに夢中だった私は、存在だけを知っただけで、livetubeで配信を見たりしませんでした。
2008年、当時大人気だった「永井浩二」が配信をしなくなってしまいました。このショックたるや、「これから何を楽しみにしていけばいいんだ」とか思ってしまうレベル。いやほんと、あの楽しさはすごかった。
永井配信の面白さとかそういうのも別の機会です。ピアキャストの頭がいなくなってしまい、ピアキャストへの興味がなくなってしまいました。それからしばらく配信というものに触れていませんでしたね。
さて、時は2008年終盤。ひょんなことからマイミクになった「伏見良太」がlivetubeで配信を始めると言い始めました。僕はこの人のことが大好きなので、また配信を見始めることになったのです。
それから2009年はほとんど伏見配信を見て過ごしました。livetubeは配信した後も動画として残るので、仕事で配信が見れなくても後から見れるのです。しかしリアルタイムとそうではないものでは面白さが全く違うんですけどね。
そして2009年の終盤。なぜか375presentsのカルが配信を始めました。かなりまったりとして配信なんですけど、よく知っている人が配信をしていると何か面白いものがありましたね。
で、2010年。やっとつながった。長い。375の配信デビューにつながるわけです。375はちょくちょくカルの配信に顔を出し始めました。色々と更新が止まっていたのもこの計画を練りまくっていたからなのです。(嘘)
これからどうなるのか。乞うご期待。そんなに期待されても困ります。具体的にはゲーム配信とかできたらいいなぁ、なんて思っていますが、僕の家はまさかのADSLです。この時代にADSL。ちょっと前まで「え、お前ISDNなの?テwwwレwwwフォwwwタwwwイwwwムwww」とか言っいたのに、最近じゃあ「えーADSLー?きもーい」とか言われる始末。これじゃあ動画配信どころか、yourfileなんとかの動画再生もおぼつかない。残念。
あとの問題は回線だけなので、いろいろと吟味してどうしようか考えます。光回線にしなきゃいけないんだろうなぁ。
今回の日記で話題になった配信者について。
shimizuさんの配信は、稀にサイト上で告知される仕組みになっています。
伏見良太さんの配信は、現在ピアキャストで行われています。
カルはlivetubeで配信しています。たまに375もお邪魔しています。
どーも、375です。
ここ数年は猫も杓子も配信配信で、配信が大ブームですよ。たぶんあそこの交番前で面倒臭そうに立っているお巡りさんだって今頃絶賛配信中です。
ネットワークが進化して一般ユーザーでも世界に対して情報を発信できるようになりましたが、この発信できる情報も日々進化しました。最初はちょっとした文章でしたが、画像やら動画やら、いろいろなものが配信できるようになりました。おかげで個々の黒歴史も増えたわけですが、それはまた別の話。
しかも最近はリアルタイムで情報を発信できるわけですよ。ネットラジオとか目じゃないです。動画ですよ動画。動画をリアルタイムで配信できるわけです。
そんな動画配信を始めて見たのは結構最近で、たぶん2007年くらいでした。2007年といえば激動の年です。あのニコニコ動画がひっそりと始動した時代ですね。そのときはニコニコ動画の仕組みが面白くて、「これがyoutubeの二番煎じじゃなかったらもっと面白いのに」とか思っていました。今じゃもっと大変なことになっていますね。
さて、そんな2007年にどんなきっかけで配信を見るようになったかというと、これが普通のテレビ番組なんですね。
見たいテレビ番組があったのですが、私の部屋ではテレビが見られない。違う部屋では家族がテレビを独占している。悔しい。しかし昭和の人が夢見た時代に生きている私が「テレビが誰かに占領されているから見られない」なんて下唇を尖らせて言うはずがありません。
とりあえずgoogle先生で調べると、なんとまぁ、普通に地上波を垂れ流しにしているものがあるらしくて、いやもうこれは本当にすごいんですが、当時の知識では何をどうしたらいいかわからなかったんですね。
さて困った。可能だけどどうしたらいいかわからない。しょんぼり。ここで一旦諦めて、googleで「マイクロビキニ」とか検索していたわけですが、そこで偶然、「ピアキャスト」ってものが眼に留まったんですね。
この「ピアキャスト」がすごくて、芸能人でもなんでもない人が、当時人気が爆発し始めた「ゲームセンターCX」みたいなことをやっているわけですよ。この不思議感覚がものすごくて、見たいテレビ番組とかはもう忘れちゃうくらいの衝撃でした。
しかしいくら普通の人っていっても「ネットで配信ができる程度の能力」を持った人ですよ。僕なんて「ネットでマイクロビキニと検索して出てきたサイトのリンクをたどっていったらウィンドウがすごい勢いでポコポコでてきて泣きそうになる程度の能力」しかなかったので、すごいなぁ、いいなぁ、なんて思っていました。
さて、時代は進み2007年。その頃僕は「SIREN」という2003年に発売されたゲームを未だにやっていました。このゲームが面白いのなんのという話はまた別の機会にするとして、そのSIRENの時計をフラッシュで作っていた「shimizuhouse.net」というサイトをリンクしていたんですね。
このshimizuさんという人が配信について色々書いていたんです。その中で「livetube」っていいよね的な文章がありまして、当時の僕は「ポルノチューブとかそういう類かな」なんて思っていました。
「livetube」というのは、ものすごく簡単に配信が見れて、そしてものすごく簡単に配信ができちゃうという、すごいWebサービスです。しかし、まだピアキャストに夢中だった私は、存在だけを知っただけで、livetubeで配信を見たりしませんでした。
2008年、当時大人気だった「永井浩二」が配信をしなくなってしまいました。このショックたるや、「これから何を楽しみにしていけばいいんだ」とか思ってしまうレベル。いやほんと、あの楽しさはすごかった。
永井配信の面白さとかそういうのも別の機会です。ピアキャストの頭がいなくなってしまい、ピアキャストへの興味がなくなってしまいました。それからしばらく配信というものに触れていませんでしたね。
さて、時は2008年終盤。ひょんなことからマイミクになった「伏見良太」がlivetubeで配信を始めると言い始めました。僕はこの人のことが大好きなので、また配信を見始めることになったのです。
それから2009年はほとんど伏見配信を見て過ごしました。livetubeは配信した後も動画として残るので、仕事で配信が見れなくても後から見れるのです。しかしリアルタイムとそうではないものでは面白さが全く違うんですけどね。
そして2009年の終盤。なぜか375presentsのカルが配信を始めました。かなりまったりとして配信なんですけど、よく知っている人が配信をしていると何か面白いものがありましたね。
で、2010年。やっとつながった。長い。375の配信デビューにつながるわけです。375はちょくちょくカルの配信に顔を出し始めました。色々と更新が止まっていたのもこの計画を練りまくっていたからなのです。(嘘)
これからどうなるのか。乞うご期待。そんなに期待されても困ります。具体的にはゲーム配信とかできたらいいなぁ、なんて思っていますが、僕の家はまさかのADSLです。この時代にADSL。ちょっと前まで「え、お前ISDNなの?テwwwレwwwフォwwwタwwwイwwwムwww」とか言っいたのに、最近じゃあ「えーADSLー?きもーい」とか言われる始末。これじゃあ動画配信どころか、yourfileなんとかの動画再生もおぼつかない。残念。
あとの問題は回線だけなので、いろいろと吟味してどうしようか考えます。光回線にしなきゃいけないんだろうなぁ。
今回の日記で話題になった配信者について。
shimizuさんの配信は、稀にサイト上で告知される仕組みになっています。
伏見良太さんの配信は、現在ピアキャストで行われています。
カルはlivetubeで配信しています。たまに375もお邪魔しています。
私を名前で呼んでくれたら、君と私は友達。
どーも、375です。
ここ最近はよく映画館へ行っております。私は大の映画好きなんですけども、別に映画館じゃなくてもいいでしょ、なんて思っていました。しかしこの間夜勤明けに見たアバター3Dがすごくて、これは映画館に行かなければ味わえない、なんて思ったら、私の中で映画館へ足を運んで映画を見ることに価値が生まれたのです。
アバターはすごかった。ストーリーは置いておいて、映像が素晴らしかった。従来の3Dといったら、向こう側から飛んでくる斧とか破片だけ立体ですけど、他は普通です、みたいなものなんですけど、アバターはフル3Dですから。全部3Dです。ほんとに全部立体。
この世界観がすごい。うらやましい。アバターの感想は一言、「うらやましい」。パンドラという世界が舞台なんですけど、この世界がカラフルなことカラフルなこと。映画館から出たときに、あれちょっと色彩薄くない、とか思っちゃうくらい鮮やかです。ストーリーは置いておいて、この世界がうらやましくて涙が出ますね。感動とかじゃなくて、うらやましくて涙がでます。
さて、そんなこんなで映画館によく行きだしまして、先日も映画館に足を運ぶ予定がありました。17時30分に映画館の前で待ち合わせねー、なんて約束になっていたのですが、ちょっと浮かれちゃいましてね、16時くらいに家を出ました。映画に誘われるなんて久しぶりだったので、たいそう浮かれていましたよ。
ちょっと浮かれすぎちゃったのかな、最寄り駅まで自転車で向かったんですけど、その途中でヤンキーに絡まれましてね、いやもうえらいめにあった。
痛いことはもちろん、喧嘩なんてもってのほかな375さんですから、いくら安値で喧嘩を売られようとも買いませんよ。あげるって言われてももらいません。よくわからないことを言って煙に巻こうとしたんですね。そしたらこれが面白くなっちゃって。
「いま僕は駅に向かっていまして、これがとても急いでいるんですよ。とてもといっても生半可なとてもじゃないですよ、すごいとてもです。このすごさときたら自転車のチェーンから火が出るレベル。いやいや話を聞いてくださいよ、この急いでいる用事というのが実はですね、僕のおばあちゃんが死にそうっていう連絡をうけましてね、ほら、僕からみておばあちゃんってことは、あっちからみて僕は孫じゃないですか。孫としておばあちゃんが死ぬ前に財布からお金を盗んだこととか謝らないといけないななんて思ったわけですよ。ええ病気です。たしか捻挫。いやいや落ち着いてくださいよ捻挫でも人は死ぬんですよ。まぁね捻挫といえばUFOですけども、このUFOというのはアダムスキー型というのがありましてね、わけわかんねぇことじゃないですよ、まぁ話は聞いてくださいよ、この話が後々生きてくるわけですよ。このアダムスキー型っていうのはその名の通りアダムスキーさんって言う人が考え出したからそんな名前なんですね。さておき、司法試験なんですけども、これの願書の締め切りが今日、っていうことでこれも急いでいるんですね。司法試験っていうのは長い間勉強をしなくちゃいけませんから、もうね、これを出し忘れたら僕の1年間が無駄になっちゃいますから。スパゲッティはカルボナーラがすきです。」
ヤンキーの頭の上がクエスチョンマークでいっぱいになりだしたころ、ふと携帯電話の時計に目をやると、17時28分。遅刻決定ですよ、大決定です。よくわからないことを高速で喋る人を1時間以上相手にしていたヤンキーもすごいですけど、それより映画です。映画の待ち合わせに遅れちゃう。しかも事前連絡もしてない。これはやばい。
「というわけで映画を見に行くんでばいばい」
え、いままでの話は、みたいな、鳩がバズーカ撃たれたみたいな顔してましたよヤンキー。ほんとは2時間も3時間も続けた挙句に「というわけでジュースを買いに行くのです」とかどうでもいい要件をいってポカンとさせたかったのですが、そうはいってられません。
ヤンキーがハングアップしているすきに自転車にまたがって駅へ向かいました。この勢いはすごかった。肛門にサドルの前のほうが突き刺さりましたからね。死ぬかと思った。そして高速で足を回転させているさなか、携帯電話で友人に連絡です。
「事故 遅れる」
もうね、余裕がまったくありませんから、これだけです。駅前の駐輪場に真横にスライドしながら止めて、駅までダッシュです。自転車で体は温まっていますから、このときのダッシュはとても綺麗なフォームだったと思います。走っている途中に写真をとったらたぶん時をかける少女みたいになっていたと思う。そのくらい綺麗だった。陸上の血が騒ぎましたね。
そして駅の電車を見てみると、「次の電車は17時47分」という表示。調べてみると、目的の駅に着くのは17時58分の模様。上映時間は18時。おいおい、どういうことだいハニー。とりあえず転がり込むように電車に乗り込み、出産でもするのかよってくらい息を荒げながら友人へ状況連絡。
「駅前につくのは17時58分。映画館への道は把握済み。受付で待ち合わせでいいですか。」
「宣伝ないから1分前に来てください」
冗談きついぜハニー。宣伝ないなんてはじめて聞きましたからね。いっきに疲れた。電車にのっている最中も気が気じゃない様子で携帯電話を見ていました。映画館への道を頭に叩き込んで、目的の駅につくころにはもう、ドアの前でクラウチングスタートしているくらいの気迫でしたよ。
目的の駅に着いた、ドアが開いた、東口付近の改札を出た、目的地は西口、西口へ全力疾走、西口付近にある建物に到着、これで1分経過ですよ。奇跡の速さ。たぶん100mだったら世界新出てた。
その西口付近にある建物の中に映画館があるんですけど、地図を見たら
映画館 8階
超走りましたね、もうすごかった。エスカレーターを2回すっころびながらかけあがって、7階に到着したんですけど、なぜかエスカレーターが7階までしかないんですよ。
すぐさまそこら辺にいる店員をひっつかまえて、尋常じゃない息遣いで、
「映画館・・・ハァハァ・・・映画・・・ハァ・・・」
「8階へのエスカレーターはあちらです」
神対応。よっすみたいな手の動きだけでお礼をしてその方向へ走り、階段を駆け上ると目の前が映画館、はいここで18時過ぎ。友人が待っていてくれまして、なんとか入場することができました。
宣伝ないとかいうのは間違いで、ちゃんとあったんですけど、いやよかった、間に合ってよかった。もうね、久しぶりに全力以上の力を出しちゃったもんだから、アドレナリンがすごい出ちゃっているみたいで、もう映画を見る気合が全然違いましたね。
見に行ったのは魔法少女リリカルなのはっていうアカデミックな映画なんですけど、すごい面白かったです。テレビ版を見たことが無かったんですけど、それでもちゃんとストーリーがわかるような作りになっていて、いやはや面白かった。
なのはのことが大好きな友人がいまして、その友人に誘われたんですね。で、終わったころに「どうだった?」なんて聞かれたので、「同人誌の元ネタがわかってよかった」といったら怒られました。まじめな話、面白かったのでみんなも見に行くといい。フェイトを抱きしめたい。
というわけで、375映画館へ行くというお話でした。ではでは。
どーも、375です。
ここ最近はよく映画館へ行っております。私は大の映画好きなんですけども、別に映画館じゃなくてもいいでしょ、なんて思っていました。しかしこの間夜勤明けに見たアバター3Dがすごくて、これは映画館に行かなければ味わえない、なんて思ったら、私の中で映画館へ足を運んで映画を見ることに価値が生まれたのです。
アバターはすごかった。ストーリーは置いておいて、映像が素晴らしかった。従来の3Dといったら、向こう側から飛んでくる斧とか破片だけ立体ですけど、他は普通です、みたいなものなんですけど、アバターはフル3Dですから。全部3Dです。ほんとに全部立体。
この世界観がすごい。うらやましい。アバターの感想は一言、「うらやましい」。パンドラという世界が舞台なんですけど、この世界がカラフルなことカラフルなこと。映画館から出たときに、あれちょっと色彩薄くない、とか思っちゃうくらい鮮やかです。ストーリーは置いておいて、この世界がうらやましくて涙が出ますね。感動とかじゃなくて、うらやましくて涙がでます。
さて、そんなこんなで映画館によく行きだしまして、先日も映画館に足を運ぶ予定がありました。17時30分に映画館の前で待ち合わせねー、なんて約束になっていたのですが、ちょっと浮かれちゃいましてね、16時くらいに家を出ました。映画に誘われるなんて久しぶりだったので、たいそう浮かれていましたよ。
ちょっと浮かれすぎちゃったのかな、最寄り駅まで自転車で向かったんですけど、その途中でヤンキーに絡まれましてね、いやもうえらいめにあった。
痛いことはもちろん、喧嘩なんてもってのほかな375さんですから、いくら安値で喧嘩を売られようとも買いませんよ。あげるって言われてももらいません。よくわからないことを言って煙に巻こうとしたんですね。そしたらこれが面白くなっちゃって。
「いま僕は駅に向かっていまして、これがとても急いでいるんですよ。とてもといっても生半可なとてもじゃないですよ、すごいとてもです。このすごさときたら自転車のチェーンから火が出るレベル。いやいや話を聞いてくださいよ、この急いでいる用事というのが実はですね、僕のおばあちゃんが死にそうっていう連絡をうけましてね、ほら、僕からみておばあちゃんってことは、あっちからみて僕は孫じゃないですか。孫としておばあちゃんが死ぬ前に財布からお金を盗んだこととか謝らないといけないななんて思ったわけですよ。ええ病気です。たしか捻挫。いやいや落ち着いてくださいよ捻挫でも人は死ぬんですよ。まぁね捻挫といえばUFOですけども、このUFOというのはアダムスキー型というのがありましてね、わけわかんねぇことじゃないですよ、まぁ話は聞いてくださいよ、この話が後々生きてくるわけですよ。このアダムスキー型っていうのはその名の通りアダムスキーさんって言う人が考え出したからそんな名前なんですね。さておき、司法試験なんですけども、これの願書の締め切りが今日、っていうことでこれも急いでいるんですね。司法試験っていうのは長い間勉強をしなくちゃいけませんから、もうね、これを出し忘れたら僕の1年間が無駄になっちゃいますから。スパゲッティはカルボナーラがすきです。」
ヤンキーの頭の上がクエスチョンマークでいっぱいになりだしたころ、ふと携帯電話の時計に目をやると、17時28分。遅刻決定ですよ、大決定です。よくわからないことを高速で喋る人を1時間以上相手にしていたヤンキーもすごいですけど、それより映画です。映画の待ち合わせに遅れちゃう。しかも事前連絡もしてない。これはやばい。
「というわけで映画を見に行くんでばいばい」
え、いままでの話は、みたいな、鳩がバズーカ撃たれたみたいな顔してましたよヤンキー。ほんとは2時間も3時間も続けた挙句に「というわけでジュースを買いに行くのです」とかどうでもいい要件をいってポカンとさせたかったのですが、そうはいってられません。
ヤンキーがハングアップしているすきに自転車にまたがって駅へ向かいました。この勢いはすごかった。肛門にサドルの前のほうが突き刺さりましたからね。死ぬかと思った。そして高速で足を回転させているさなか、携帯電話で友人に連絡です。
「事故 遅れる」
もうね、余裕がまったくありませんから、これだけです。駅前の駐輪場に真横にスライドしながら止めて、駅までダッシュです。自転車で体は温まっていますから、このときのダッシュはとても綺麗なフォームだったと思います。走っている途中に写真をとったらたぶん時をかける少女みたいになっていたと思う。そのくらい綺麗だった。陸上の血が騒ぎましたね。
そして駅の電車を見てみると、「次の電車は17時47分」という表示。調べてみると、目的の駅に着くのは17時58分の模様。上映時間は18時。おいおい、どういうことだいハニー。とりあえず転がり込むように電車に乗り込み、出産でもするのかよってくらい息を荒げながら友人へ状況連絡。
「駅前につくのは17時58分。映画館への道は把握済み。受付で待ち合わせでいいですか。」
「宣伝ないから1分前に来てください」
冗談きついぜハニー。宣伝ないなんてはじめて聞きましたからね。いっきに疲れた。電車にのっている最中も気が気じゃない様子で携帯電話を見ていました。映画館への道を頭に叩き込んで、目的の駅につくころにはもう、ドアの前でクラウチングスタートしているくらいの気迫でしたよ。
目的の駅に着いた、ドアが開いた、東口付近の改札を出た、目的地は西口、西口へ全力疾走、西口付近にある建物に到着、これで1分経過ですよ。奇跡の速さ。たぶん100mだったら世界新出てた。
その西口付近にある建物の中に映画館があるんですけど、地図を見たら
映画館 8階
超走りましたね、もうすごかった。エスカレーターを2回すっころびながらかけあがって、7階に到着したんですけど、なぜかエスカレーターが7階までしかないんですよ。
すぐさまそこら辺にいる店員をひっつかまえて、尋常じゃない息遣いで、
「映画館・・・ハァハァ・・・映画・・・ハァ・・・」
「8階へのエスカレーターはあちらです」
神対応。よっすみたいな手の動きだけでお礼をしてその方向へ走り、階段を駆け上ると目の前が映画館、はいここで18時過ぎ。友人が待っていてくれまして、なんとか入場することができました。
宣伝ないとかいうのは間違いで、ちゃんとあったんですけど、いやよかった、間に合ってよかった。もうね、久しぶりに全力以上の力を出しちゃったもんだから、アドレナリンがすごい出ちゃっているみたいで、もう映画を見る気合が全然違いましたね。
見に行ったのは魔法少女リリカルなのはっていうアカデミックな映画なんですけど、すごい面白かったです。テレビ版を見たことが無かったんですけど、それでもちゃんとストーリーがわかるような作りになっていて、いやはや面白かった。
なのはのことが大好きな友人がいまして、その友人に誘われたんですね。で、終わったころに「どうだった?」なんて聞かれたので、「同人誌の元ネタがわかってよかった」といったら怒られました。まじめな話、面白かったのでみんなも見に行くといい。フェイトを抱きしめたい。
というわけで、375映画館へ行くというお話でした。ではでは。
ディスプレイ買った。
どーも、375です。
先日お話した件の続きです。柳谷の周辺に出現したエスキモーの集団が丹精込めて育てた野菜をすべて奪っていったという情報を聞きつけたエイドリアンは現場を確認するために試合会場を後にした。虫がすべて土にもぐるような晴天、土はカラカラに乾燥していた。数日前のここは色とりどりの野菜が実っており、土もきらきらと輝くほど湿っていた。激怒したエイドリアンはすぐさま懐にしまってあった匕首を手に取りエスキモーの住処へ走り出した。こうしてエイドリアンのエスキモー討伐物語が始まるのである。ロッキーは負けた。
といったやつです。まぁわかりやすく説明するとパソコン作ったけど使ってないって話です。このパソコンが結構いいやつなんですよ。CPUとかメモリとか、僕が今使っているパソコンより数倍いいやつですからね。きっと核開発だってできます。いやね、DELLのディスプレイ買ったって話をこれからしようと思うんですけど、買うときに理由を選択させられるんですね。その選択肢の中に「核開発」とかあるんですよ。それがなんとも面白くて、って話は今度するとして、本題に戻ります。
エスキモーの住処にたどり着いたエイドリアn(ry
さかのぼること数週間前。パソコンの部品を買って組み立てる前に、「これで新しいパソコンができるね、めくるめくパソコンライフだね、ライフハックって言葉をいつか使いたい」って話を友人にしたら、「ディスプレイなきゃ動かないよワンケノー」とか言うんですよ。
ディスプレイはVAIOのやつがあるんですけど、昔どこかの掲示板に書かれていた「ウィーンにあるコンビニの自動ドアがウィーン」っていう、どこが面白いのかまったくわからないんですけど、これがツボに入りましてね、飲んでいた味噌汁を吹いたんですよすごい勢いで。
そういった背景があるので、ディスプレイに模様がついてるんですね、ちょっとした現代芸術みたいな模様がついちゃっているんです。これをそのまま使うっていうのもありですけど、どうせなら買っちゃおうかなってなるじゃないですか。新しいパソコンに対して前衛的なデザインのディスプレイじゃ、パソコンが新しくなったのに、なんだか新しくなってないみたい、みたいなことになるじゃないですか。新婚なのに新婚じゃないみたいってことになるじゃないですか。毎晩修学旅行みたいな雰囲気を想像していたのにってな感じになるじゃないですか。
というわけで友人に聞いたわけです。「今一番熱いディスプレイは何だ、金に糸目は問わん」ってなことを問いただしたわけですよ。そしたらなんかすげー高いやつを紹介されまして、激怒ですよ。エイドリアンレベルに激怒ですよ。「そんな金が出せるか」って言いましたよ、声も裏返っていました。
なんだかんだで「お前どうせディスプレイのよさなんかわからないんだから安いやつでいいじゃん」っていう、まぁいつものやつですよ。こいつどうしようもないからもういいやどうでもってやつですよ。
いつも途中で諦められて「どうでもいいんじゃないの、ブー(おならの音)」っていう結果になるんですよね。
昔、左腕をへし折ってギブスをしていた時代に、「ギブスに何を描こうか迷っているんだよね、エキセントリックなデザインをここに書きたいんだけど、何がいいかな、やっぱり幾何学模様かな、それともお稲荷さんかな」っていう、とてもアカデミックな議論を友人に持ちかけたんですけど、そのときも「どうでもいいんじゃないの」ですよ。腕をへし折ってやろうかと思いました。
最近だって友人に「携帯電話を高機能にしてパソコンに近づけるんじゃなくて、パソコンに電話ができるモジュールを追加するという概念に移行するべきなんですよ、そもそも冷蔵庫とか電子レンジだってパソコンのモジュールとして扱われてもおかしくない、むしろ家をパソコンにしてしまえば家具を購入するという表現がモジュールを追加するという表現になって云々」という話をしていたんですけど、よつばと読んでましたからねそいつ。
そういうわけで、そういった話に飽きられるってことが頻繁にあるので、これはどうにかしなければならない、このままではとても悔しい、ビクンビクン、せっかくまじめにディスプレイの話をしているのに「よさなんてわからないんだから安いのでいいじゃん」ですよ。もうね、私は激怒しまして、
「うん!そうする!」
って言いました。いやでも舐められてはいけないと思ったので、
「だが購入枚数は二枚だ!!」
といってやりましたよ。ほーらほーら、すげぇだろ、二枚買っちゃうんだぜってメッセンジャーで自慢してやりましたよ。話の途中でオフラインになりやがりました。クソッ。
というわけでDELLのディスプレイを二枚購入して、昨日振り込んできました。いやぁ楽しみ。今月中に届くといいな。デュアルディスプレイですよ、デュアルディスプレイ。何に使うかまったくわかりません。使いこなせる気がしません。
でも住めば都といった言葉もあるように、デュアルディスプレイにすればデュアルディスプレイじゃなきゃだめなの、あたいこれじゃなきゃだめなの、ってな感じになるに決まっています。トラックボールだって使ってみたらもうマウスに戻れませんし、きっとデュアルディスプレイだって同じです。
肝心のパソコンなんですけど、これまだ動作確認すらしていないんですよね、っていうかそもそも箱から出していないんですよね。これどうしたもんかな。何でかって言うと部屋を掃除しているんですよ。
部屋の掃除っていうのは定期的にやるものなのかもしれませんけど、僕の場合は「ここには住めん!もうだめだ!」となったら掃除するんです。先日住めなくなりまして、掃除をはじめたんですね。掃除を始めた日っていうのはパソコンを購入する日より前なんですけど、これがいつになっても終わらない。
テレビとパソコンが起動できる環境にしたら、作業の進行度がすげぇ下がりまして、もう掃除とかそういうのが出来なくなるくらい魅力的な世界が広がっているんですよ。ついついデュラララかくし×☆☆☆ですよ。バカとひまりのクェイサーですよ。
でもディスプレイが届くくらいにはなんとか片付くんじゃないかなって思います。片付いていますよ。妖精くんがどうにかしてくれます。どうにかしてくれ。
まとめ
ディスプレイ買った。
どーも、375です。
先日お話した件の続きです。柳谷の周辺に出現したエスキモーの集団が丹精込めて育てた野菜をすべて奪っていったという情報を聞きつけたエイドリアンは現場を確認するために試合会場を後にした。虫がすべて土にもぐるような晴天、土はカラカラに乾燥していた。数日前のここは色とりどりの野菜が実っており、土もきらきらと輝くほど湿っていた。激怒したエイドリアンはすぐさま懐にしまってあった匕首を手に取りエスキモーの住処へ走り出した。こうしてエイドリアンのエスキモー討伐物語が始まるのである。ロッキーは負けた。
といったやつです。まぁわかりやすく説明するとパソコン作ったけど使ってないって話です。このパソコンが結構いいやつなんですよ。CPUとかメモリとか、僕が今使っているパソコンより数倍いいやつですからね。きっと核開発だってできます。いやね、DELLのディスプレイ買ったって話をこれからしようと思うんですけど、買うときに理由を選択させられるんですね。その選択肢の中に「核開発」とかあるんですよ。それがなんとも面白くて、って話は今度するとして、本題に戻ります。
エスキモーの住処にたどり着いたエイドリアn(ry
さかのぼること数週間前。パソコンの部品を買って組み立てる前に、「これで新しいパソコンができるね、めくるめくパソコンライフだね、ライフハックって言葉をいつか使いたい」って話を友人にしたら、「ディスプレイなきゃ動かないよワンケノー」とか言うんですよ。
ディスプレイはVAIOのやつがあるんですけど、昔どこかの掲示板に書かれていた「ウィーンにあるコンビニの自動ドアがウィーン」っていう、どこが面白いのかまったくわからないんですけど、これがツボに入りましてね、飲んでいた味噌汁を吹いたんですよすごい勢いで。
そういった背景があるので、ディスプレイに模様がついてるんですね、ちょっとした現代芸術みたいな模様がついちゃっているんです。これをそのまま使うっていうのもありですけど、どうせなら買っちゃおうかなってなるじゃないですか。新しいパソコンに対して前衛的なデザインのディスプレイじゃ、パソコンが新しくなったのに、なんだか新しくなってないみたい、みたいなことになるじゃないですか。新婚なのに新婚じゃないみたいってことになるじゃないですか。毎晩修学旅行みたいな雰囲気を想像していたのにってな感じになるじゃないですか。
というわけで友人に聞いたわけです。「今一番熱いディスプレイは何だ、金に糸目は問わん」ってなことを問いただしたわけですよ。そしたらなんかすげー高いやつを紹介されまして、激怒ですよ。エイドリアンレベルに激怒ですよ。「そんな金が出せるか」って言いましたよ、声も裏返っていました。
なんだかんだで「お前どうせディスプレイのよさなんかわからないんだから安いやつでいいじゃん」っていう、まぁいつものやつですよ。こいつどうしようもないからもういいやどうでもってやつですよ。
いつも途中で諦められて「どうでもいいんじゃないの、ブー(おならの音)」っていう結果になるんですよね。
昔、左腕をへし折ってギブスをしていた時代に、「ギブスに何を描こうか迷っているんだよね、エキセントリックなデザインをここに書きたいんだけど、何がいいかな、やっぱり幾何学模様かな、それともお稲荷さんかな」っていう、とてもアカデミックな議論を友人に持ちかけたんですけど、そのときも「どうでもいいんじゃないの」ですよ。腕をへし折ってやろうかと思いました。
最近だって友人に「携帯電話を高機能にしてパソコンに近づけるんじゃなくて、パソコンに電話ができるモジュールを追加するという概念に移行するべきなんですよ、そもそも冷蔵庫とか電子レンジだってパソコンのモジュールとして扱われてもおかしくない、むしろ家をパソコンにしてしまえば家具を購入するという表現がモジュールを追加するという表現になって云々」という話をしていたんですけど、よつばと読んでましたからねそいつ。
そういうわけで、そういった話に飽きられるってことが頻繁にあるので、これはどうにかしなければならない、このままではとても悔しい、ビクンビクン、せっかくまじめにディスプレイの話をしているのに「よさなんてわからないんだから安いのでいいじゃん」ですよ。もうね、私は激怒しまして、
「うん!そうする!」
って言いました。いやでも舐められてはいけないと思ったので、
「だが購入枚数は二枚だ!!」
といってやりましたよ。ほーらほーら、すげぇだろ、二枚買っちゃうんだぜってメッセンジャーで自慢してやりましたよ。話の途中でオフラインになりやがりました。クソッ。
というわけでDELLのディスプレイを二枚購入して、昨日振り込んできました。いやぁ楽しみ。今月中に届くといいな。デュアルディスプレイですよ、デュアルディスプレイ。何に使うかまったくわかりません。使いこなせる気がしません。
でも住めば都といった言葉もあるように、デュアルディスプレイにすればデュアルディスプレイじゃなきゃだめなの、あたいこれじゃなきゃだめなの、ってな感じになるに決まっています。トラックボールだって使ってみたらもうマウスに戻れませんし、きっとデュアルディスプレイだって同じです。
肝心のパソコンなんですけど、これまだ動作確認すらしていないんですよね、っていうかそもそも箱から出していないんですよね。これどうしたもんかな。何でかって言うと部屋を掃除しているんですよ。
部屋の掃除っていうのは定期的にやるものなのかもしれませんけど、僕の場合は「ここには住めん!もうだめだ!」となったら掃除するんです。先日住めなくなりまして、掃除をはじめたんですね。掃除を始めた日っていうのはパソコンを購入する日より前なんですけど、これがいつになっても終わらない。
テレビとパソコンが起動できる環境にしたら、作業の進行度がすげぇ下がりまして、もう掃除とかそういうのが出来なくなるくらい魅力的な世界が広がっているんですよ。ついついデュラララかくし×☆☆☆ですよ。バカとひまりのクェイサーですよ。
でもディスプレイが届くくらいにはなんとか片付くんじゃないかなって思います。片付いていますよ。妖精くんがどうにかしてくれます。どうにかしてくれ。
まとめ
ディスプレイ買った。
VAIOHAZARD。
どーも、375です。
「SONY製品は壊れやすい、もはやSONYではなく糞ニーだ」なんてことをよく言われていますけど、私が使用しているデスクトップのVAIOは末永く私のパソコンライフを支えてくれていて、かれこれ5年以上苦楽を共にしています。
そのパソコンが先日壊れましてね、前日に有料のエロ動画を購入したばかりだというのに、それを見ずして「VAIO」って画面からうんともすんとも進まなくなりました。ほんと糞ニー。
くよくよしても仕方が無いので秋葉原へパソコンを買いに行きました。いやすごいね秋葉原。ありとあらゆる夢が売っていますね。今回は自作パソコンを作ってみようということで、友人に協力してもらって色々と見て回ったわけですよ。
T-ZONEとかいう、マイヤハッハーとか言い出しそうな場所をうろうろしまして、パソコンに必要なものをすべて揃えてきました。で、組み立てました。はじめての自作パソコン。いやぁ感慨深いですね。組み立てる作業は簡単ですけど、こう、自分で作ったと言うのはいいものですね。まぁ9割友人に作ってもらって、私は部品を渡す作業だけだったんですけどね。
組み立てている最中、昔も同じようなことしてたなぁなんて思い出してました。
あれは私が小学生の頃、当時エヴァンゲリオンというロボットアニメが流行っていまして、それに関するガンプラが発売されていました。私は「エヴァンゲリオン量産機」という、白いクチビルゲみたいなやつを購入して、ワクワクしながら蓋を開けました。
そしたらあーた、自分で組み立てるにしても細かすぎでしょうよ。いやね、私がはじめて購入したプラモデルがその「エヴァンゲリオン量産期」なわけですけども、その細かさと来たらびっくりしましたよ。パーツから作れっていうんですよ。
で、ニッパー片手にパチパチパーツを切り離しましてね、床においていくわけですよ。パーツを切り離すだけでもう心が折れそうになったわけですが、めげずにがんばりました。なんたって、人気絶好調の時期に発売されたエヴァンゲリオンのプラモデルですよ。人気フィーもあいまって結構したと思うんです。それこそ小学生のお小遣いからしたらかなりの出費だったとおもうんですね。
なのでがんばってがんばってパーツを切り取りました。部屋にはニッパーでプラスチックを切る音が淡々と響いていたと思います。そしてやっとすべてのパーツを切り離すことができました。
いやぁ感動しましたね。初めてのガンプラで、やっと組み立てる作業に入れるんですから。意気揚々と箱から説明書を出して、最初の部分を見ると、
「A1---->A2」
どれがどれだか分からない。プラモデルを作ったことがある人の中では常識らしいんですけど、プラモデルのパーツというのは切り離す前に確認しておかなければならないらしくて、説明書を見て必要なパーツから切り取っていく、みたいな作り方らしいです。それをまず箱に書いとけっていう話ですよ。
その事件で深い傷を追った私は、以後ガンプラに触りませんでした。テレビチャンピオンのプラモデル名人みたいなやつも見ませんでした。
それから時は経ち、大人になって思ったのです。トラウマに打ち勝たなければならない。というわけでザクウォーリアのミーア機というやつをゲオで購入したわけです。同じ失敗は繰り返さない、というわけでmixiにこんなことを書きました。
「一緒にプラモデルを作ってくれないか」
書き込んでからすぐに友人から「じゃあ俺んちこいよ」みたいな返信がありまして、家に向かったわけです。最初の方は私が説明書をみたりしていたけなんですけど、あまりに組み立て方が雑な上にすぐ間違える、というわけでお前はパーツでも切ってろ宣告。
だまってパーツを切っていたら、どうやら私のニッパー使いは酷いものらしく、バリがすごかったみたいです。そしたらお前は黙ってみてろ宣告。黙ってみてました。目の前で組みあがったプラモデル。ピンク色のガンダムってかわいいなぁ、なんだかなぁ、なんて思いながら家路に着きました。
そんな思い出を振り返っていたらパソコンが出来てました。なんだかなぁ。
組み立てただけでは何もできませんから、OSを入れたり、周辺ソフトを入れたり、初期設定をしたりして使える段階までになりました。いやぁ、すごい。あんなのでパソコンって出来るのね。まぁ何もしてないんですけども。
新しいパソコンが完成したのでそれもって帰りました。部屋の前にパソコンを置いてから、上着をかけて椅子に座る。こういう一連の動作は習慣になるじゃないですか。だからその後についついVAIOの電源スイッチを押しちゃうわけですよ。そしたら普通に起動するわけ。超びっくりした。
とうわけで今は作ってもらった自作パソコンは放置してVAIO使ってます。買ったエロ動画は大外れでした。ほんと糞ニー。
どーも、375です。
「SONY製品は壊れやすい、もはやSONYではなく糞ニーだ」なんてことをよく言われていますけど、私が使用しているデスクトップのVAIOは末永く私のパソコンライフを支えてくれていて、かれこれ5年以上苦楽を共にしています。
そのパソコンが先日壊れましてね、前日に有料のエロ動画を購入したばかりだというのに、それを見ずして「VAIO」って画面からうんともすんとも進まなくなりました。ほんと糞ニー。
くよくよしても仕方が無いので秋葉原へパソコンを買いに行きました。いやすごいね秋葉原。ありとあらゆる夢が売っていますね。今回は自作パソコンを作ってみようということで、友人に協力してもらって色々と見て回ったわけですよ。
T-ZONEとかいう、マイヤハッハーとか言い出しそうな場所をうろうろしまして、パソコンに必要なものをすべて揃えてきました。で、組み立てました。はじめての自作パソコン。いやぁ感慨深いですね。組み立てる作業は簡単ですけど、こう、自分で作ったと言うのはいいものですね。まぁ9割友人に作ってもらって、私は部品を渡す作業だけだったんですけどね。
組み立てている最中、昔も同じようなことしてたなぁなんて思い出してました。
あれは私が小学生の頃、当時エヴァンゲリオンというロボットアニメが流行っていまして、それに関するガンプラが発売されていました。私は「エヴァンゲリオン量産機」という、白いクチビルゲみたいなやつを購入して、ワクワクしながら蓋を開けました。
そしたらあーた、自分で組み立てるにしても細かすぎでしょうよ。いやね、私がはじめて購入したプラモデルがその「エヴァンゲリオン量産期」なわけですけども、その細かさと来たらびっくりしましたよ。パーツから作れっていうんですよ。
で、ニッパー片手にパチパチパーツを切り離しましてね、床においていくわけですよ。パーツを切り離すだけでもう心が折れそうになったわけですが、めげずにがんばりました。なんたって、人気絶好調の時期に発売されたエヴァンゲリオンのプラモデルですよ。人気フィーもあいまって結構したと思うんです。それこそ小学生のお小遣いからしたらかなりの出費だったとおもうんですね。
なのでがんばってがんばってパーツを切り取りました。部屋にはニッパーでプラスチックを切る音が淡々と響いていたと思います。そしてやっとすべてのパーツを切り離すことができました。
いやぁ感動しましたね。初めてのガンプラで、やっと組み立てる作業に入れるんですから。意気揚々と箱から説明書を出して、最初の部分を見ると、
「A1---->A2」
どれがどれだか分からない。プラモデルを作ったことがある人の中では常識らしいんですけど、プラモデルのパーツというのは切り離す前に確認しておかなければならないらしくて、説明書を見て必要なパーツから切り取っていく、みたいな作り方らしいです。それをまず箱に書いとけっていう話ですよ。
その事件で深い傷を追った私は、以後ガンプラに触りませんでした。テレビチャンピオンのプラモデル名人みたいなやつも見ませんでした。
それから時は経ち、大人になって思ったのです。トラウマに打ち勝たなければならない。というわけでザクウォーリアのミーア機というやつをゲオで購入したわけです。同じ失敗は繰り返さない、というわけでmixiにこんなことを書きました。
「一緒にプラモデルを作ってくれないか」
書き込んでからすぐに友人から「じゃあ俺んちこいよ」みたいな返信がありまして、家に向かったわけです。最初の方は私が説明書をみたりしていたけなんですけど、あまりに組み立て方が雑な上にすぐ間違える、というわけでお前はパーツでも切ってろ宣告。
だまってパーツを切っていたら、どうやら私のニッパー使いは酷いものらしく、バリがすごかったみたいです。そしたらお前は黙ってみてろ宣告。黙ってみてました。目の前で組みあがったプラモデル。ピンク色のガンダムってかわいいなぁ、なんだかなぁ、なんて思いながら家路に着きました。
そんな思い出を振り返っていたらパソコンが出来てました。なんだかなぁ。
組み立てただけでは何もできませんから、OSを入れたり、周辺ソフトを入れたり、初期設定をしたりして使える段階までになりました。いやぁ、すごい。あんなのでパソコンって出来るのね。まぁ何もしてないんですけども。
新しいパソコンが完成したのでそれもって帰りました。部屋の前にパソコンを置いてから、上着をかけて椅子に座る。こういう一連の動作は習慣になるじゃないですか。だからその後についついVAIOの電源スイッチを押しちゃうわけですよ。そしたら普通に起動するわけ。超びっくりした。
とうわけで今は作ってもらった自作パソコンは放置してVAIO使ってます。買ったエロ動画は大外れでした。ほんと糞ニー。
今日は何の日?と聞かれた場合はどうしますか皆さん。
どーも、375です。
例えば長年付き合っているカップルがいて、女が男に「今日は何の日か覚えてる?」なんていったら男が「覚えているよ、初めて君と会った日だよね」とかそういうことを言うわけですよ。この前電車の中でこのやり取りをしているカップルがいまして、座席ごと電車から落っこちちゃえばいいと思いました。
こんな具合にカップルで「今日は何の日?」なんて言い合う光景を目にする機会があると思います。それに対しての回答はとても難しいものに年々なっているのです。厄介なことに、記念日は年々増加しているのです。
本日1月31日なんて酷いものですよ。1が「あい」、31が「さい」ということで、今日は「愛妻感謝の日」らしいですよ。これを決めたのは「愛妻感謝ひろめ隊」とかいうふざけた団体なんですけど、何よりも理由が「アイサイ=愛妻とよむことから」ってもうちょっと愛妻云々の理由を書いてくださいよ。
愛妻の妻が野菜の菜に変わったやつもあったりして、とか思ったら本当にあるんですよ「愛菜の日」。ちなみに今日は「生命保険の日」でもあるのですが、これは日本で初めて生命保険が支払われた日ということなのでいいのですけど、酷いのは語呂が合っているからで記念日にしちゃうってことですよ。
日本記念日協会って場所に行くとどんな記念日があるのか確認できます。今日は全部で4つの記念日があるのですが、そのうち3つが語呂合わせってどういうことですか。ライムスターあたりがdisソングを出すレベルですよ。
仮にこの記念日郡に従ったとしてですよ、カップルが電車の中で「今日は何の日か覚えてる?」「覚えているよ、今日は愛妻感謝の日で、愛菜の日で、生命保険の日で、防災農地の日、そして、君と初めて会った日だよね」とかそういう会話をする日も遠くないわけですよ。「今日は何の日?」の回答が終わる前に目的の駅に着いちゃうカップルが多発するわけですよ。
大人な話をすれば、きっと記念日を定めることによって色々なマーケティングがビビットにカルチャーを云々というわけなんだと思うんですけど、そんなことはどうでもいいですよ。私が言いたいことは、なんで「自慰」の日が無いのかって話ですよ。
記念日があるからこそ出来ることってあるじゃないですか。節分の日なんて存在しない何かに向かってメッセージ性のあることを喚きながら豆を撒くって言う、普段やっていたら正気とは思えないことを平気でできるじゃないですか。
つまり「自慰の日」と言うものがあれば、普段隠すべき「自慰」を平然とできるというわけですよ。この日だけはどんな奇抜な自慰行為をしようと自由です。まさにフリーダム。フリーオナニーデイ。なぜこれがないのか。これを問いたい。日本記念日協会に問い詰めたい。
10月1日とか自慰の語呂合わせにぴったりじゃないですか。なんですか「資格チャレンジの日」って。資格よりアクロバティックな自慰にチャレンジするべきでしょうよ。走行中の車のボンネットで仰向けになりながらの自慰とかそういうのにチャレンジするべきでしょうよ。
もう我慢できない、記念日協会に申請してやる、ということで日本記念日協会のWebサイトにアクセスして申請方法を確認してみたら、
> 日本記念日協会の記念日登録料は、1件7万3500円(税込み)とさせていただきます。
> 記念日登録証が必要な場合は、別途1件1枚につき3万1500円となります(ガラス面の額入り、税込み、送料込み)。
愚息もしょんぼり。
どーも、375です。
例えば長年付き合っているカップルがいて、女が男に「今日は何の日か覚えてる?」なんていったら男が「覚えているよ、初めて君と会った日だよね」とかそういうことを言うわけですよ。この前電車の中でこのやり取りをしているカップルがいまして、座席ごと電車から落っこちちゃえばいいと思いました。
こんな具合にカップルで「今日は何の日?」なんて言い合う光景を目にする機会があると思います。それに対しての回答はとても難しいものに年々なっているのです。厄介なことに、記念日は年々増加しているのです。
本日1月31日なんて酷いものですよ。1が「あい」、31が「さい」ということで、今日は「愛妻感謝の日」らしいですよ。これを決めたのは「愛妻感謝ひろめ隊」とかいうふざけた団体なんですけど、何よりも理由が「アイサイ=愛妻とよむことから」ってもうちょっと愛妻云々の理由を書いてくださいよ。
愛妻の妻が野菜の菜に変わったやつもあったりして、とか思ったら本当にあるんですよ「愛菜の日」。ちなみに今日は「生命保険の日」でもあるのですが、これは日本で初めて生命保険が支払われた日ということなのでいいのですけど、酷いのは語呂が合っているからで記念日にしちゃうってことですよ。
日本記念日協会って場所に行くとどんな記念日があるのか確認できます。今日は全部で4つの記念日があるのですが、そのうち3つが語呂合わせってどういうことですか。ライムスターあたりがdisソングを出すレベルですよ。
仮にこの記念日郡に従ったとしてですよ、カップルが電車の中で「今日は何の日か覚えてる?」「覚えているよ、今日は愛妻感謝の日で、愛菜の日で、生命保険の日で、防災農地の日、そして、君と初めて会った日だよね」とかそういう会話をする日も遠くないわけですよ。「今日は何の日?」の回答が終わる前に目的の駅に着いちゃうカップルが多発するわけですよ。
大人な話をすれば、きっと記念日を定めることによって色々なマーケティングがビビットにカルチャーを云々というわけなんだと思うんですけど、そんなことはどうでもいいですよ。私が言いたいことは、なんで「自慰」の日が無いのかって話ですよ。
記念日があるからこそ出来ることってあるじゃないですか。節分の日なんて存在しない何かに向かってメッセージ性のあることを喚きながら豆を撒くって言う、普段やっていたら正気とは思えないことを平気でできるじゃないですか。
つまり「自慰の日」と言うものがあれば、普段隠すべき「自慰」を平然とできるというわけですよ。この日だけはどんな奇抜な自慰行為をしようと自由です。まさにフリーダム。フリーオナニーデイ。なぜこれがないのか。これを問いたい。日本記念日協会に問い詰めたい。
10月1日とか自慰の語呂合わせにぴったりじゃないですか。なんですか「資格チャレンジの日」って。資格よりアクロバティックな自慰にチャレンジするべきでしょうよ。走行中の車のボンネットで仰向けになりながらの自慰とかそういうのにチャレンジするべきでしょうよ。
もう我慢できない、記念日協会に申請してやる、ということで日本記念日協会のWebサイトにアクセスして申請方法を確認してみたら、
> 日本記念日協会の記念日登録料は、1件7万3500円(税込み)とさせていただきます。
> 記念日登録証が必要な場合は、別途1件1枚につき3万1500円となります(ガラス面の額入り、税込み、送料込み)。
愚息もしょんぼり。
青子って誰だよ。
どーも、375です。
数年前から「変な場所で年を越す」なんていうブームが375presentsの中で巻き起こっていましたが、2009年から2010年に関してはまったくそんな気配がありませんでしたね、っていうか企画はおろかブログの更新すらしていませんでしたからね。
かなり前に「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします」を「あけおめことよろ」とかしゃらくさい略し方をするくらいだったらいっ そ「あおこよ」とかでいいじゃん、というわけで「青子よ」という新年の挨拶が375presents周辺のごく一部(2人)で流行ったわけですが、その挨 拶すらブログに書かない始末です。
しかも1月の終わりになって急に更新が再開するっていうこの体たらく、お前らいかがお過ごしでしたか。色々あるじゃないですか、年越しカウントダウンライ ブとか、年越しそばとか、色々あるじゃないですか。そして明けたら明けたで「おめでとうございまーす」とか言いながら抱き合ったり一升瓶で殴り合いしたり するわけでしょ。いいじゃないですか楽しそうで。
私だって昔のお正月は楽しかったですよ。10年前の正月、2000年を迎える正月なんて年が変わると同時に電気の紐を引っ張り撒くって「2000年問題」 と叫ぶという、普段やったらキャメルクラッチしながら顔にこんにゃくをペチペチぶつけられるレベルのことでも楽しくやっていましたよ。
お正月は夜更かししても怒られませんから、昔から楽しい日でしたよ。三箇日といえば日本全体がお屠蘇気分です。お祭り大好きの日本人ですから、みんなが休 みっていう一体感はたいそう楽しいものですよ。そりゃ電気の紐をひぱっり過ぎて電気が落ちてきますよ。それでも爆笑っていうんだから狂ってますよ。でも正 月というのはそういう空気なわけです。
そんな日本が浮かれる正月に私が何をしていたかと言うと普通に仕事してました。世知辛すぎる。仕事中に何度も思いましたよ。浮世は文字通り浮かれているに違いない、どうせ年越しは除夜の鐘に合わせて腰をパンパン打ち付けていたに違いないなんて思っていましたよ。
そんなこんなで年が変わった気がしばらくしていなかったので、当然「青子よ☆」なんてうかれた挨拶なんて忘れてました。昨日までそんな2009年状態で、 昼ごはんが白米だけという状態に憤怒しながら冷蔵庫を開け、「納豆しかないじゃないか!納豆最高!!」とか無理しながらテンションを上げたりしていまし た。納豆の蓋をペリペリとって、からしとビニールも取って醤油を掛けてかき回そうと箸を突っ込んだときに、「賞味期限:2010年1月1日」の文字が目に 入りました。2010年。
今年は2010年。認めたくない事実を2つも認めてしまった。1つは正月らしいことを一切せずに三箇日が終わったこと。もう1つは納豆の賞味期限がべらぼ うに過ぎているということ。私は納豆をそっと机の上に置き、薄汚れた天井を見た。そして目を閉じ、2010年になったことを認めた。今らから新しい年だ。 小鳥のさえずりも私が新年を迎えたことを祝福しているように感じる。ありがとう2009年。これからよろしく2010年。私は大きく息を吸った。納豆臭く てむせた。
そんなわけで、青子よ。
今年も375presentsと375をよろしくお願いします。
どーも、375です。
数年前から「変な場所で年を越す」なんていうブームが375presentsの中で巻き起こっていましたが、2009年から2010年に関してはまったくそんな気配がありませんでしたね、っていうか企画はおろかブログの更新すらしていませんでしたからね。
かなり前に「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします」を「あけおめことよろ」とかしゃらくさい略し方をするくらいだったらいっ そ「あおこよ」とかでいいじゃん、というわけで「青子よ」という新年の挨拶が375presents周辺のごく一部(2人)で流行ったわけですが、その挨 拶すらブログに書かない始末です。
しかも1月の終わりになって急に更新が再開するっていうこの体たらく、お前らいかがお過ごしでしたか。色々あるじゃないですか、年越しカウントダウンライ ブとか、年越しそばとか、色々あるじゃないですか。そして明けたら明けたで「おめでとうございまーす」とか言いながら抱き合ったり一升瓶で殴り合いしたり するわけでしょ。いいじゃないですか楽しそうで。
私だって昔のお正月は楽しかったですよ。10年前の正月、2000年を迎える正月なんて年が変わると同時に電気の紐を引っ張り撒くって「2000年問題」 と叫ぶという、普段やったらキャメルクラッチしながら顔にこんにゃくをペチペチぶつけられるレベルのことでも楽しくやっていましたよ。
お正月は夜更かししても怒られませんから、昔から楽しい日でしたよ。三箇日といえば日本全体がお屠蘇気分です。お祭り大好きの日本人ですから、みんなが休 みっていう一体感はたいそう楽しいものですよ。そりゃ電気の紐をひぱっり過ぎて電気が落ちてきますよ。それでも爆笑っていうんだから狂ってますよ。でも正 月というのはそういう空気なわけです。
そんな日本が浮かれる正月に私が何をしていたかと言うと普通に仕事してました。世知辛すぎる。仕事中に何度も思いましたよ。浮世は文字通り浮かれているに違いない、どうせ年越しは除夜の鐘に合わせて腰をパンパン打ち付けていたに違いないなんて思っていましたよ。
そんなこんなで年が変わった気がしばらくしていなかったので、当然「青子よ☆」なんてうかれた挨拶なんて忘れてました。昨日までそんな2009年状態で、 昼ごはんが白米だけという状態に憤怒しながら冷蔵庫を開け、「納豆しかないじゃないか!納豆最高!!」とか無理しながらテンションを上げたりしていまし た。納豆の蓋をペリペリとって、からしとビニールも取って醤油を掛けてかき回そうと箸を突っ込んだときに、「賞味期限:2010年1月1日」の文字が目に 入りました。2010年。
今年は2010年。認めたくない事実を2つも認めてしまった。1つは正月らしいことを一切せずに三箇日が終わったこと。もう1つは納豆の賞味期限がべらぼ うに過ぎているということ。私は納豆をそっと机の上に置き、薄汚れた天井を見た。そして目を閉じ、2010年になったことを認めた。今らから新しい年だ。 小鳥のさえずりも私が新年を迎えたことを祝福しているように感じる。ありがとう2009年。これからよろしく2010年。私は大きく息を吸った。納豆臭く てむせた。
そんなわけで、青子よ。
今年も375presentsと375をよろしくお願いします。
どうなっているんだまったく。
実は数日前の1月26日で、375presentsは9周年になりまして、今は10年目に突入しているのです。まさかの10年目。びっくりですね。こんな糞みたいなサイトを9年間も続けていたんですよ。まったく仕事をしなさいって話ですよ。
ここ数年は「○○HIT!」とか「○○周年!」とかそういう「Webサイトの記念日」みたいなのを楽しもう楽しもうとして色々としていたんですよ、キリ番をゲットした人は言ってね、とかね。でも誰も参加してくれないんです。もうほんと悲しくなるくらいだれも参加してくれなくて、で、とうとうやらなくなっちゃいました。
いいですか皆さん、別にやらない分にはいいんですよ。あと「やろうぜ」といわれてやる分もいいんです、別に面倒とかじゃないんです。問題は「みんな!サイトの記念だよ!」って呼びかけても無視されるっていうこの疎外感っていうか、一人ぼっち感?もうね、味わいたくないわけ。小さい頃を思い出しちゃうわけ。
あれは小学校何年生だか忘れましたけど、まぁ小さい頃ですよ。まだ陰毛とか生えてなかったし、雷もたいそう怖がっていました。昼休みの時間に窓からの光を浴びながらまどろんでいたら、校庭に一つの本が落ちていることを発見したんです。
たしか私は3階あたりの教室にいたので、本のタイトルはおろか、本なのかどうかもわかりませんでした。その日はその本らしきものが気になっていて、授業に手がつきませんでしたよ。というか、過去のお話をすぐに忘れてしまう私が覚えているくらいですから、相当気になっていたんでしょうね。
さて、放課後になりました。お前は校庭の監視カメラかってなぐらい校庭を眺めていたので、本らしきものがちゃんとあることも確認していますし、誰も近寄っていないということも確認済みです。体育の時間も大丈夫でした。
学校を出て一目散に駆け寄ると、やっぱり本でした。題名は覚えていないのですが、内容ははっきりと覚えています。私が始めてみたエロ本ですからね。はっき りと覚えていますよ。このエロ本のおかげで私の思考があまりよろしくない方向になったといっても過言ではないくらい衝撃的でしたよ。
陰毛もはえていない小学生がエロ本を拾う。ここまでは別にどうってことありませんよ、むしろほほえましい光景です。男子小学生ともあろう子供がエロ本の一つや二つ拾わないと大人になれません。むしろエロ本がよく捨ててある場所をチェックとかするでしょうよ。
小学生のときはちょっとしたエロでも「えろーいえろーい」なんつって反応するじゃないですか。少年漫画でもおっぱいが出れば反応しますよ。デビルマンとかおっぱいが出るたびにぴくぴくしてましたし。このちょいエロ漫画という文化はとても大事です。
375presentsの読者はエロ漫画を朝な夕な漁っている方々だと思うので分かると思いますが、エロはエスカレートするんです。この前までちょっとした大人のおもちゃを使用したプレイで満足していたのに、今や浣腸プレイ、なんてことはよくある話しじゃないですか。
エロには限界があります。行き過ぎるとエロなのか面白なのか分からなくなってしまいます。昔見た脱臼もののAVとか面白すぎて抜く抜かないの騒ぎじゃありませんからね。行為に及んでいる最中に腕ひしぎ逆十字で腕を脱臼させるってもう意味がわかりませんよ。
しかしながらエロを求める心の需要に対して、エロバリエーションの供給はどんどん少なくなっていきます。人生はすべからくエロが必要なのにも関わらず、どんどん満足できるものがなくなっていくのです。
つまり、最初が肝心なのです。最初は少年漫画のおっぱいで興奮できるレベルから初めておけば、徐々に過激になっていったとしても長らくエロライフを楽しめ るわけです。だからエロ本は18歳未満が買えないのです。18歳になってからじゃないと供給が間に合いませんよって意味なんですから。
さて、最初が肝心なこのエロ本。私が校庭で拾ったエロ本は何だったかというと、えー、まぁこれが、なんというかその、セーラームーンのふたなりアンソロジーでした。
いやもうこれのすさまじいの何のって、すごいんだからもう。みんなが電影少女がどうとか言っている時にセーラームーンのふたなりアンソロジーですよ。そ りゃ20代前半にして供給がストップしますよ。そりゃエロ漫画を普通の漫画として電車でうっかり読みますよ。そりゃ「現実でできない行為でも漫画ならでき るという点で、エロ漫画という文化は素晴らしいものである」とかわけのわからないことを真顔で言いますよ。
最初のエロ本って何か覚えているって人が多いじゃないですか。私が拾ったエロ本のタイトルがさっぱり出てこなくて、ふたなりアンソロジーっていうことしか わからないんですよね。でもどれだけ様々なエロに触れてもこの記憶にだけあるふたなりアンソロジーを超えられる気がしません。また見たい。
で、小学校の後半に入るとみんなませてくるわけですよ。学校の机に想像の女性器とか一杯書いちゃうわけ。当時のエロ漫画は松本館の事件が起きる前ですし、 ましてやアンソロジーでメジャーどころからの出版じゃなくて普通の商業誌でしょうから、修正も申し訳程度なわけです。つまり周りの男子小学生がホクホク顔 で想像女性器執筆大会を繰り広げている中、私は結構リアルな女性器を書けるわけです。
ただその女性器を書いたらバカにされたんですよ、なにそれみたいな感じで。そしてあいつおかしいみたいな。で、変な空気が流れて孤立するみたいな。あの頃 の友人らがいまどうしているのかわかりませんけど、きっとyurfileなんとかで女性器をみて「あいつの言っていたことは正しかったのか」とかそういう 感覚に陥った挙句に男性器が痒くなっちゃっていればいいと思います。
とまぁこんな感じの一人ぼっち感がよみがえるわけですよ。世の中には正しいことでも言わない方がいいことがあるって小学生の時点でわかってましたからね僕は。それからは静かに静かに暮らしていましたよ。大沢君が間違ったアナルいじりをしていても黙っていましたよ。大沢君は痔になっちゃいましたけど、それは 僕の保身のためで仕様がなかったんですよ。元気にしてるかな大沢君。前立腺がんとかになっていなきゃいいけど。
ってなわけで今回の9周年も別に祝ったりする気はこれっぽっちもありませんので私が「記念に何かするよ」なんてことは一切言いませんけど、まぁもしも、も しもですよ。もしもあなたが「記念やりましょうよ」なんてことを言った場合は、いやいやないとは思いますけど、もしも誰かが「記念やりましょうよ」なんて 言い出した場合は、決してやりたいというわけではありませんけれども言われちゃったらやりますよ、ええやります。
実は数日前の1月26日で、375presentsは9周年になりまして、今は10年目に突入しているのです。まさかの10年目。びっくりですね。こんな糞みたいなサイトを9年間も続けていたんですよ。まったく仕事をしなさいって話ですよ。
ここ数年は「○○HIT!」とか「○○周年!」とかそういう「Webサイトの記念日」みたいなのを楽しもう楽しもうとして色々としていたんですよ、キリ番をゲットした人は言ってね、とかね。でも誰も参加してくれないんです。もうほんと悲しくなるくらいだれも参加してくれなくて、で、とうとうやらなくなっちゃいました。
いいですか皆さん、別にやらない分にはいいんですよ。あと「やろうぜ」といわれてやる分もいいんです、別に面倒とかじゃないんです。問題は「みんな!サイトの記念だよ!」って呼びかけても無視されるっていうこの疎外感っていうか、一人ぼっち感?もうね、味わいたくないわけ。小さい頃を思い出しちゃうわけ。
あれは小学校何年生だか忘れましたけど、まぁ小さい頃ですよ。まだ陰毛とか生えてなかったし、雷もたいそう怖がっていました。昼休みの時間に窓からの光を浴びながらまどろんでいたら、校庭に一つの本が落ちていることを発見したんです。
たしか私は3階あたりの教室にいたので、本のタイトルはおろか、本なのかどうかもわかりませんでした。その日はその本らしきものが気になっていて、授業に手がつきませんでしたよ。というか、過去のお話をすぐに忘れてしまう私が覚えているくらいですから、相当気になっていたんでしょうね。
さて、放課後になりました。お前は校庭の監視カメラかってなぐらい校庭を眺めていたので、本らしきものがちゃんとあることも確認していますし、誰も近寄っていないということも確認済みです。体育の時間も大丈夫でした。
学校を出て一目散に駆け寄ると、やっぱり本でした。題名は覚えていないのですが、内容ははっきりと覚えています。私が始めてみたエロ本ですからね。はっき りと覚えていますよ。このエロ本のおかげで私の思考があまりよろしくない方向になったといっても過言ではないくらい衝撃的でしたよ。
陰毛もはえていない小学生がエロ本を拾う。ここまでは別にどうってことありませんよ、むしろほほえましい光景です。男子小学生ともあろう子供がエロ本の一つや二つ拾わないと大人になれません。むしろエロ本がよく捨ててある場所をチェックとかするでしょうよ。
小学生のときはちょっとしたエロでも「えろーいえろーい」なんつって反応するじゃないですか。少年漫画でもおっぱいが出れば反応しますよ。デビルマンとかおっぱいが出るたびにぴくぴくしてましたし。このちょいエロ漫画という文化はとても大事です。
375presentsの読者はエロ漫画を朝な夕な漁っている方々だと思うので分かると思いますが、エロはエスカレートするんです。この前までちょっとした大人のおもちゃを使用したプレイで満足していたのに、今や浣腸プレイ、なんてことはよくある話しじゃないですか。
エロには限界があります。行き過ぎるとエロなのか面白なのか分からなくなってしまいます。昔見た脱臼もののAVとか面白すぎて抜く抜かないの騒ぎじゃありませんからね。行為に及んでいる最中に腕ひしぎ逆十字で腕を脱臼させるってもう意味がわかりませんよ。
しかしながらエロを求める心の需要に対して、エロバリエーションの供給はどんどん少なくなっていきます。人生はすべからくエロが必要なのにも関わらず、どんどん満足できるものがなくなっていくのです。
つまり、最初が肝心なのです。最初は少年漫画のおっぱいで興奮できるレベルから初めておけば、徐々に過激になっていったとしても長らくエロライフを楽しめ るわけです。だからエロ本は18歳未満が買えないのです。18歳になってからじゃないと供給が間に合いませんよって意味なんですから。
さて、最初が肝心なこのエロ本。私が校庭で拾ったエロ本は何だったかというと、えー、まぁこれが、なんというかその、セーラームーンのふたなりアンソロジーでした。
いやもうこれのすさまじいの何のって、すごいんだからもう。みんなが電影少女がどうとか言っている時にセーラームーンのふたなりアンソロジーですよ。そ りゃ20代前半にして供給がストップしますよ。そりゃエロ漫画を普通の漫画として電車でうっかり読みますよ。そりゃ「現実でできない行為でも漫画ならでき るという点で、エロ漫画という文化は素晴らしいものである」とかわけのわからないことを真顔で言いますよ。
最初のエロ本って何か覚えているって人が多いじゃないですか。私が拾ったエロ本のタイトルがさっぱり出てこなくて、ふたなりアンソロジーっていうことしか わからないんですよね。でもどれだけ様々なエロに触れてもこの記憶にだけあるふたなりアンソロジーを超えられる気がしません。また見たい。
で、小学校の後半に入るとみんなませてくるわけですよ。学校の机に想像の女性器とか一杯書いちゃうわけ。当時のエロ漫画は松本館の事件が起きる前ですし、 ましてやアンソロジーでメジャーどころからの出版じゃなくて普通の商業誌でしょうから、修正も申し訳程度なわけです。つまり周りの男子小学生がホクホク顔 で想像女性器執筆大会を繰り広げている中、私は結構リアルな女性器を書けるわけです。
ただその女性器を書いたらバカにされたんですよ、なにそれみたいな感じで。そしてあいつおかしいみたいな。で、変な空気が流れて孤立するみたいな。あの頃 の友人らがいまどうしているのかわかりませんけど、きっとyurfileなんとかで女性器をみて「あいつの言っていたことは正しかったのか」とかそういう 感覚に陥った挙句に男性器が痒くなっちゃっていればいいと思います。
とまぁこんな感じの一人ぼっち感がよみがえるわけですよ。世の中には正しいことでも言わない方がいいことがあるって小学生の時点でわかってましたからね僕は。それからは静かに静かに暮らしていましたよ。大沢君が間違ったアナルいじりをしていても黙っていましたよ。大沢君は痔になっちゃいましたけど、それは 僕の保身のためで仕様がなかったんですよ。元気にしてるかな大沢君。前立腺がんとかになっていなきゃいいけど。
ってなわけで今回の9周年も別に祝ったりする気はこれっぽっちもありませんので私が「記念に何かするよ」なんてことは一切言いませんけど、まぁもしも、も しもですよ。もしもあなたが「記念やりましょうよ」なんてことを言った場合は、いやいやないとは思いますけど、もしも誰かが「記念やりましょうよ」なんて 言い出した場合は、決してやりたいというわけではありませんけれども言われちゃったらやりますよ、ええやります。
iPhoneのはなし。
どーも、375です。
ガラケー。みんな知ってる?ガラケー。ガラパゴスケータイといって、「ガラパゴスリクイグアナ」とか、「ガラパゴスゾウガメ」とか、「ガラパゴス階段でいつも漫画読んでるあいつ」とかが壁紙に設定されている携帯電話のこと、ではありません。ガラパゴス諸島にいる動物は、ガラパゴス諸島用の体を持っていて、「ガラパゴスリクイグアナ」は爪がアダマンチウムで出来ているし、「ガラパゴスゾウガメ」は甲羅が上にパカッと開いて中からミサイルがバシュバシュ出るし、「ガラパゴス新井貴浩」は高速で飛んでくる「ガラパゴスペンギン」を「ガラパゴスアシカ」で打ち返してホームランを連発します。そんな具合に、日本で独自進化した携帯電話のことをガラパゴスケータイというらしいです。
技術大国で独自進化した携帯電話は森羅万象で一騎当千できるのです。四文字熟語っていいよね。愛・玩・動・物。さて、四文字熟語の話をしたいのは山々ですが、今回は携帯電話の話。その私の中ではガラパゴスケータイは悪い意味ではなくて、良い意味です。独自進化ですよ独自進化。かっこいいじゃないですか。これから進化しまくって「携帯電話なのに冷凍食品が解凍できます」とか「携帯電話なのに食べられます」とか「姉ちゃんだと思ったけどよく見たら携帯電話だった」とかまで進化していけば、もはやそれは携帯電話じゃなくなってガラパゴスケータイとかいう呼び方じゃなくなるはずなんですよね。だってもう携帯電話じゃないし。世間では「世界標準じゃなくてどこかに行き過ぎちゃった携帯電話」という意味らしけど、私は歌舞伎者が大好きなのでそれで結構です。
ガラパゴスケータイじゃなくて世界標準の携帯電話というのは例えば何?という話ですが、それがiPhoneらしいです。私も先日iPhoneにしました。ガラケー?何それ、やっぱ世界標準でしょ。iPhoneすごいですよ。操作が全部タッチで行えるのがすごいのはもちろんのこと、ユーザーに「アプリとか自由に作って良いから」と言っているのがすごい。これでユーザーが「こういう機能がほしいなぁ、作ろ」となれるわけですよ。それで便利な機能がわんさかありましてね。“今乗ろうとしている駅は後何秒で発車するか知りたい”とか“天気を知りたい”とか“ここはどこなのか知りたい”とか“今すぐ股間を刺激したい”とかそんなときにiPhoneのアプリを起動するだけでいいんですよ。ワンプッシュですよワンプッシュ。最強のユーザビリティですよ。便利機能だけじゃなくてネットを漂うためのアプリもたくさんあります。twitterとかmixiとかpixivとかyoutubeとかニコニコ動画とかもうほんとに色々。
そんな超便利携帯アイフォンでもまだ改善の余地がありますね。この前iPhoneをいじりながら横断歩道を歩いていたら、前から歩いてきたファンキーガッツマンa.k.a.怖い人とぶつかりそうになって「あぶねぇな気ぃつけろや」と言われましてね。すかさずiPhoneでファンキーガッツマンを撃退するためのアプリを探しましたが、これが無いんですよ。もう平謝り。みんなも前を向きながら歩いた方が良いよほんと。久しぶりに泣きそうだったんだから。
どーも、375です。
ガラケー。みんな知ってる?ガラケー。ガラパゴスケータイといって、「ガラパゴスリクイグアナ」とか、「ガラパゴスゾウガメ」とか、「ガラパゴス階段でいつも漫画読んでるあいつ」とかが壁紙に設定されている携帯電話のこと、ではありません。ガラパゴス諸島にいる動物は、ガラパゴス諸島用の体を持っていて、「ガラパゴスリクイグアナ」は爪がアダマンチウムで出来ているし、「ガラパゴスゾウガメ」は甲羅が上にパカッと開いて中からミサイルがバシュバシュ出るし、「ガラパゴス新井貴浩」は高速で飛んでくる「ガラパゴスペンギン」を「ガラパゴスアシカ」で打ち返してホームランを連発します。そんな具合に、日本で独自進化した携帯電話のことをガラパゴスケータイというらしいです。
技術大国で独自進化した携帯電話は森羅万象で一騎当千できるのです。四文字熟語っていいよね。愛・玩・動・物。さて、四文字熟語の話をしたいのは山々ですが、今回は携帯電話の話。その私の中ではガラパゴスケータイは悪い意味ではなくて、良い意味です。独自進化ですよ独自進化。かっこいいじゃないですか。これから進化しまくって「携帯電話なのに冷凍食品が解凍できます」とか「携帯電話なのに食べられます」とか「姉ちゃんだと思ったけどよく見たら携帯電話だった」とかまで進化していけば、もはやそれは携帯電話じゃなくなってガラパゴスケータイとかいう呼び方じゃなくなるはずなんですよね。だってもう携帯電話じゃないし。世間では「世界標準じゃなくてどこかに行き過ぎちゃった携帯電話」という意味らしけど、私は歌舞伎者が大好きなのでそれで結構です。
ガラパゴスケータイじゃなくて世界標準の携帯電話というのは例えば何?という話ですが、それがiPhoneらしいです。私も先日iPhoneにしました。ガラケー?何それ、やっぱ世界標準でしょ。iPhoneすごいですよ。操作が全部タッチで行えるのがすごいのはもちろんのこと、ユーザーに「アプリとか自由に作って良いから」と言っているのがすごい。これでユーザーが「こういう機能がほしいなぁ、作ろ」となれるわけですよ。それで便利な機能がわんさかありましてね。“今乗ろうとしている駅は後何秒で発車するか知りたい”とか“天気を知りたい”とか“ここはどこなのか知りたい”とか“今すぐ股間を刺激したい”とかそんなときにiPhoneのアプリを起動するだけでいいんですよ。ワンプッシュですよワンプッシュ。最強のユーザビリティですよ。便利機能だけじゃなくてネットを漂うためのアプリもたくさんあります。twitterとかmixiとかpixivとかyoutubeとかニコニコ動画とかもうほんとに色々。
そんな超便利携帯アイフォンでもまだ改善の余地がありますね。この前iPhoneをいじりながら横断歩道を歩いていたら、前から歩いてきたファンキーガッツマンa.k.a.怖い人とぶつかりそうになって「あぶねぇな気ぃつけろや」と言われましてね。すかさずiPhoneでファンキーガッツマンを撃退するためのアプリを探しましたが、これが無いんですよ。もう平謝り。みんなも前を向きながら歩いた方が良いよほんと。久しぶりに泣きそうだったんだから。
鼻炎・ひび割れ・風邪・乾燥、冬はほんとに過酷過ぎ。
どーも、375です。
12月は師走なんていいますが、こんな気温で走ったら即心臓麻痺です。冬は寒いし、乾燥するし、乾燥によってお隣さんが火事になるし、火事を消すためにめ組が私の家を壊すし、なんだかんだで桶屋が儲かるしで、もう踏んだりけったりな季節ですよ。そんなウィークポイントの塊みたいな季節で私が一番嫌いなのはそう、鼻炎。
私は1年中鼻炎を患っていて、春は花粉症で鼻炎、夏は暑いから鼻炎、秋は台風で鼻炎、冬はドサクサで鼻炎です。その中でも冬の鼻炎はとても強力で、どのくらい強力かを説明するために比較的穏便な夏の鼻炎と比較しましょう。夏の鼻炎は鼻水が出てくるだけで、鼻の奥がはれて息が出来なくなったりはありません。ティッシュがあればまず大丈夫、無くても手鼻で大丈夫(人間的には全然だめ)なレベルです。しかし冬は乾燥しますから、鼻水が即効鼻糞になって、鼻糞になっただけでは飽き足らず、鼻の壁にこびりついた上に、取っても取っても取っても取っても取っても取ってもなーくらーないー。取るときに鼻毛抜けるしね!これが痛いの何の。挙句の果てに鼻の中はちょっとした荒地になって、ちょっと押さえるだけで痛くなるっていう、もうちょっとした西洋の拷問器具に拘束されるより全然拷問ですよほんと。
そんな、鼻の奥にいるおっさんが全部吹き飛ばしてくれないかな、なんて思っちゃうくらい酷い鼻炎をどうにかしたい、このままじゃ鼻炎以外考えられなくなっちゃう(性的な意味で)と思った私は、マツモトキヨシに向かいました。マツモトキヨシって鼻炎に悩んでそうな名前で親近感出るじゃないですか。そんな名誉鼻炎なマツモトキヨシの店員さんに注文してきました。「鼻炎やくしゃみに効く即効性の何かをください」「即効性ですか?」「そう、即効性、即効性が大事です、今すぐどうにかしたいこの鼻炎、私、鼻炎、悩んでる」「はぁ、じゃあこれとかどうですか」と紹介されたのがこの「新ノスポール鼻炎カプセル」です。
この薬を飲んだらもう鼻は通るし、万年直らなかった痰は無くなって喉もすーっとするし、目と眉毛の位置は近づくし、髪型がテクノカットになるし、語尾が「第一生命」になるしでいい事尽くめです。仕事をしていても甘酸っぱい恋のように頭を離れなかった鼻炎ですが、とうとう忘れることが出来たのです。電話で「あはい、はい、あそうなんすか、ちょっとわからないんで待っててください」っていう神対応をしているときも、エクセルで「いつかぶん殴ってやるやつ一覧」を拡張書式とかでカラフルに作っている最中も、喫煙室の前でゴーゴーを踊っているときも頑なに頭から離れなかったあの鼻炎が、とうとう頭から離れたのです。これで仕事もバリバリこなせて、あさってには社長だな、なんて思ったわけですが、意外な落とし穴がありましたよこれ。眠い、超眠い、めちゃくちゃ眠い。この眠さたるやラリホーマとかそういう次元ではありません。縞々のサイハイソックスを履いたヒラヒラミニスカートでアンダーリムメガネを装備したメイドさん(CVまきいづみ)が子守唄を歌ってくれているレベルに眠いんですよ、ほんとすんごい眠いの。結局仕事にならずに 寝冷えん になりましたとさ。お後はよろしくない。
どーも、375です。
12月は師走なんていいますが、こんな気温で走ったら即心臓麻痺です。冬は寒いし、乾燥するし、乾燥によってお隣さんが火事になるし、火事を消すためにめ組が私の家を壊すし、なんだかんだで桶屋が儲かるしで、もう踏んだりけったりな季節ですよ。そんなウィークポイントの塊みたいな季節で私が一番嫌いなのはそう、鼻炎。
私は1年中鼻炎を患っていて、春は花粉症で鼻炎、夏は暑いから鼻炎、秋は台風で鼻炎、冬はドサクサで鼻炎です。その中でも冬の鼻炎はとても強力で、どのくらい強力かを説明するために比較的穏便な夏の鼻炎と比較しましょう。夏の鼻炎は鼻水が出てくるだけで、鼻の奥がはれて息が出来なくなったりはありません。ティッシュがあればまず大丈夫、無くても手鼻で大丈夫(人間的には全然だめ)なレベルです。しかし冬は乾燥しますから、鼻水が即効鼻糞になって、鼻糞になっただけでは飽き足らず、鼻の壁にこびりついた上に、取っても取っても取っても取っても取っても取ってもなーくらーないー。取るときに鼻毛抜けるしね!これが痛いの何の。挙句の果てに鼻の中はちょっとした荒地になって、ちょっと押さえるだけで痛くなるっていう、もうちょっとした西洋の拷問器具に拘束されるより全然拷問ですよほんと。
そんな、鼻の奥にいるおっさんが全部吹き飛ばしてくれないかな、なんて思っちゃうくらい酷い鼻炎をどうにかしたい、このままじゃ鼻炎以外考えられなくなっちゃう(性的な意味で)と思った私は、マツモトキヨシに向かいました。マツモトキヨシって鼻炎に悩んでそうな名前で親近感出るじゃないですか。そんな名誉鼻炎なマツモトキヨシの店員さんに注文してきました。「鼻炎やくしゃみに効く即効性の何かをください」「即効性ですか?」「そう、即効性、即効性が大事です、今すぐどうにかしたいこの鼻炎、私、鼻炎、悩んでる」「はぁ、じゃあこれとかどうですか」と紹介されたのがこの「新ノスポール鼻炎カプセル」です。
この薬を飲んだらもう鼻は通るし、万年直らなかった痰は無くなって喉もすーっとするし、目と眉毛の位置は近づくし、髪型がテクノカットになるし、語尾が「第一生命」になるしでいい事尽くめです。仕事をしていても甘酸っぱい恋のように頭を離れなかった鼻炎ですが、とうとう忘れることが出来たのです。電話で「あはい、はい、あそうなんすか、ちょっとわからないんで待っててください」っていう神対応をしているときも、エクセルで「いつかぶん殴ってやるやつ一覧」を拡張書式とかでカラフルに作っている最中も、喫煙室の前でゴーゴーを踊っているときも頑なに頭から離れなかったあの鼻炎が、とうとう頭から離れたのです。これで仕事もバリバリこなせて、あさってには社長だな、なんて思ったわけですが、意外な落とし穴がありましたよこれ。眠い、超眠い、めちゃくちゃ眠い。この眠さたるやラリホーマとかそういう次元ではありません。縞々のサイハイソックスを履いたヒラヒラミニスカートでアンダーリムメガネを装備したメイドさん(CVまきいづみ)が子守唄を歌ってくれているレベルに眠いんですよ、ほんとすんごい眠いの。結局仕事にならずに 寝冷えん になりましたとさ。お後はよろしくない。
胃もたれがひどい。
どーも、375です。
Windows7が発売されるということで、
バーガーキングは肉が7枚挟まれたハンバーガー「Windows7 ワッパー」を販売しました。
しかも、先着30名様は777円で販売とのこと。(通常は1400円ちょっと)
これは早く行くしかない!
ということで、秋葉原店に行ってきました。
AM3:00
どうやらバーガーキングのオープン時間は7時。
誰も居ない。
あと寒い。
AM4:00
やることがないし寒いのでドンキホーテへ。
375「このお面最高」
友人「そうだね」
AM5:00
深夜徘徊。
普段はにぎやかな場所が物静かだと、ぐっと来るものがあるよね。
AM6:00
マクドナルドで待機
友人が死ぬ。
AM6:30
人が並び始めた(2人)ので、バーガーキング前へ。
AM6:45
店員さんが注文を聞きに来る。
375「777円で購入できるでおなじみのWindows7 ワッパーを、7個」
店員さん「え、あ、はい、7個?」
375「はい、7個です」
店員さん「かしこまりました」
AM6:55
店内に入れてもらえる。
店員さん「お持ち帰りでいいですか?」
375「食べていきますー」
店員さん「はい?」
375「食べていきますー」
店員さん「か、しこまりました」
そんなこんなでお会計。
全部で5689円。
AM7:05
店員さんが重そうに2個のお盆を持ってくる。
でか!!
ハンバーガーの直径はブランクCDを凌駕していた。
ハンバーガーの高さはブランクCDの3分の2以上に相当する。
携帯電話よりも高い。
中身はこんな感じ。
じゃじゃーん!!
うわぁ・・・。
顔と比較するとこんな感じ。
CGでもこんな無茶な構図は作りませんよ。
食べているときから「額に肉汁がついているよ」と指摘を受ける。
額に肉汁がつくとは恐るべし。べしべし。
<1時間後>
1つも食べられないのでテイクアウトすることにする。
「すみませーん、袋を3つばかりもらえますか」というと、店員さんに爆笑された。
「そりゃそっすよねwww」みたいな感じで。
なんだろうこの敗北感。
お腹が痛くなったのでトイレに行くと、トイレは大惨事になっていた。
どうやらWindows7 ワッパーの少ないソースにぶち切れた外人が荒らしていったらしい。
惨事1
惨事2
惨事3
<まとめ>
人間が食べれるようなサイズはありません。
バーガーキングは元々「1枚の肉が113g!」という売りです。
つまり、113×7=791と、1つだけでもちょっとしたダンベルです。
肉が7枚もあるのにソースは1枚分しかかかっていないので、とても酷い。
最終的に何を食べているかわからなくなりました。
そりゃ外人さんも切れるよ。
と、いうわけなので、初心者にはおすすめできない商品です。
僕みたいなバーガーキング童貞が食べていい代物じゃなかった。
ではでは、今日はこの辺で・・・。
どーも、375です。
Windows7が発売されるということで、
バーガーキングは肉が7枚挟まれたハンバーガー「Windows7 ワッパー」を販売しました。
しかも、先着30名様は777円で販売とのこと。(通常は1400円ちょっと)
これは早く行くしかない!
ということで、秋葉原店に行ってきました。
AM3:00
どうやらバーガーキングのオープン時間は7時。
誰も居ない。
あと寒い。
AM4:00
やることがないし寒いのでドンキホーテへ。
375「このお面最高」
友人「そうだね」
AM5:00
深夜徘徊。
普段はにぎやかな場所が物静かだと、ぐっと来るものがあるよね。
AM6:00
マクドナルドで待機
友人が死ぬ。
AM6:30
人が並び始めた(2人)ので、バーガーキング前へ。
AM6:45
店員さんが注文を聞きに来る。
375「777円で購入できるでおなじみのWindows7 ワッパーを、7個」
店員さん「え、あ、はい、7個?」
375「はい、7個です」
店員さん「かしこまりました」
AM6:55
店内に入れてもらえる。
店員さん「お持ち帰りでいいですか?」
375「食べていきますー」
店員さん「はい?」
375「食べていきますー」
店員さん「か、しこまりました」
そんなこんなでお会計。
全部で5689円。
AM7:05
店員さんが重そうに2個のお盆を持ってくる。
でか!!
ハンバーガーの直径はブランクCDを凌駕していた。
ハンバーガーの高さはブランクCDの3分の2以上に相当する。
携帯電話よりも高い。
中身はこんな感じ。
じゃじゃーん!!
うわぁ・・・。
顔と比較するとこんな感じ。
CGでもこんな無茶な構図は作りませんよ。
食べているときから「額に肉汁がついているよ」と指摘を受ける。
額に肉汁がつくとは恐るべし。べしべし。
<1時間後>
1つも食べられないのでテイクアウトすることにする。
「すみませーん、袋を3つばかりもらえますか」というと、店員さんに爆笑された。
「そりゃそっすよねwww」みたいな感じで。
なんだろうこの敗北感。
お腹が痛くなったのでトイレに行くと、トイレは大惨事になっていた。
どうやらWindows7 ワッパーの少ないソースにぶち切れた外人が荒らしていったらしい。
惨事1
惨事2
惨事3
<まとめ>
人間が食べれるようなサイズはありません。
バーガーキングは元々「1枚の肉が113g!」という売りです。
つまり、113×7=791と、1つだけでもちょっとしたダンベルです。
肉が7枚もあるのにソースは1枚分しかかかっていないので、とても酷い。
最終的に何を食べているかわからなくなりました。
そりゃ外人さんも切れるよ。
と、いうわけなので、初心者にはおすすめできない商品です。
僕みたいなバーガーキング童貞が食べていい代物じゃなかった。
ではでは、今日はこの辺で・・・。