もう3月だってのに寒すぎやしませんか。
どーも、375です。
私の友人に電車を愛している奴がいまして、気が向いた時に電車の写真をとってそいつに送りつけているんですよ、文章も付けないでね。例えば運転席の写真をとって送りつけると、「横浜線だね」とか返ってくるわけ。もちろん車体の写真だと答えが返ってくるどころか駆動車かどうかとかそういうところまで返ってくるんですよ、別に興味もないのに。最近で度肝を抜かれたのは、「千葉モノレールの路線を下から見上げた写真」を送りつけたらこれの答えが返ってきたときですね。ただのコンクリートですよ。まったく面白い野郎ですよ。
どーも、375です。
私の友人に電車を愛している奴がいまして、気が向いた時に電車の写真をとってそいつに送りつけているんですよ、文章も付けないでね。例えば運転席の写真をとって送りつけると、「横浜線だね」とか返ってくるわけ。もちろん車体の写真だと答えが返ってくるどころか駆動車かどうかとかそういうところまで返ってくるんですよ、別に興味もないのに。最近で度肝を抜かれたのは、「千葉モノレールの路線を下から見上げた写真」を送りつけたらこれの答えが返ってきたときですね。ただのコンクリートですよ。まったく面白い野郎ですよ。
で、ここのところはどこか遠くにでかけたら「これは知らないだろう」なんてことを思いながら写真を送りつけてるんですよ。一番最近だと、「福岡空港の最寄りの地下鉄の改札の写真」を送りつけたんですよ、この時点では私も何の路線だか知らないんですけど、友人からは「市営地下鉄」とか返ってくるわけ。後で調べたら正解なんですよこれが。もう面白いを通り越して怖いですよね。
そんなわけで、福岡から名古屋までドライブしてきたので、簡単に概要でもまとめようと思いまして、久しぶりに写真を挟んで簡単に書いていきますよ。
まずは福岡から。福岡の滞在時間は超短かったので、福岡の写真として電車好きの友人へ送信した改札の写真です。

九州から本州へ上陸するために関門橋を通るわけですが、この橋が吊り橋なんですよ。すごい長いのに吊り橋ですよ。吊り橋のロープ的な部分、もはやロープってレベルの太さではありませんが、そのロープ的な部分を吊っている柱がでかくて、いい光景でしたよ。

そこから山口県、広島県を通って岡山県から瀬戸大橋ですよ。皆さん知っていますか瀬戸大橋。少し前に関門橋ではしゃいでいましたが、瀬戸大橋はもうすごいですよ、度肝を抜かれます。なんたってもう長い。12時過ぎに福岡を出発して、瀬戸大橋につく頃には20時くらいでしたから、あたりはすっかり暗くなっていたんですよ。そこから浮かび上がる塔のでかいことといったらないですよ。圧巻でしたね。

1日目はこれで終わり。気が向いたら2日目以降も書きます。
では、今日はこの辺で。
では、今日はこの辺で。
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前回の更新からだいぶ時間が経ちました。モルモットと僕の関係がどのようになっているかというと良好です。最近は小屋の中でぷいぷい鳴いています。ぷいぷい鳴いてもらうことが1つの目標でしたから、これはうれしい限りです。

小屋の中ではこのようにくつろぎまくっている様子で、僕がゲームなどして騒いでいても動じなくなりました。もちろん掃除のときは逃げますが、意外と楽しんでいるようです。ちなみにこの写真はある程度近づいた状態で撮影したものですから、僕にも慣れてくれているようです。よかったよかった。
慣れてきて判明したことですが、どうやらこのモルモットは子供じみた動きをするようで、すごい勢いでどたどたと小屋の中を遊んでいます。夜中に遊びだすとうっせぇ。でも慣れた証拠なので結構結構。
というわけで今後はこのブログ通常営業というわけで、くだらない戯言を更新していきますよ。どうぞよろしく。
小屋の中ではこのようにくつろぎまくっている様子で、僕がゲームなどして騒いでいても動じなくなりました。もちろん掃除のときは逃げますが、意外と楽しんでいるようです。ちなみにこの写真はある程度近づいた状態で撮影したものですから、僕にも慣れてくれているようです。よかったよかった。
慣れてきて判明したことですが、どうやらこのモルモットは子供じみた動きをするようで、すごい勢いでどたどたと小屋の中を遊んでいます。夜中に遊びだすとうっせぇ。でも慣れた証拠なので結構結構。
というわけで今後はこのブログ通常営業というわけで、くだらない戯言を更新していきますよ。どうぞよろしく。
モルモット生活も3週間を突破しまして、モルモットと私との間にある程度の信頼感が生まれつつあります。少し前に部屋を変えまして、いつまでも小さい衣装ケースじゃ狭かろうということでちゃんとした小屋を購入しました。新しい部屋を紹介する前にとりあえず現在のモルモットをご紹介します。

尋常じゃないかわいさで鼻血が吹き出そうなわけですが、特筆すべき点はこの写真の近さでありまして、これだけ近づいても白目をむかなくなったのです。どうやら「あまり危険な奴ではなさそうである」といった認識をモルモット側にしていただいている様子で、ここまで近づいてもあばれはっちゃく的な騒動にならなくなりました。さて、新しい部屋ですが。

見てこれすごいちゃんとしてる。天井もありましたけど無くても問題ありませんし、むしろ無いほうが掃除が楽なのでつけていません。これは設置当初の光景で、水がえらく上のほうに付けていますが、これは後々入り口付近に変えました。そいでおくにある段ボールの小屋ですが、これも数日ででろでろになったので本日Amazonの段ボールを切り取ったやつに変えました。

手が滑ってアルファルファが大量にありますが、それはおいといて、ついに手からペレットを食べるようになりました。また、掃除は上から、えさは入り口を開けて、といったことを続けていたら扉を開けるとこっちを見たりします。しかしまだぷいぷい鳴かないので、まだまだ完全に慣れているわけではない様子です。「えさをくれ」と鳴いてくれるのが理想なんですけどね。
今日はこの辺で。
尋常じゃないかわいさで鼻血が吹き出そうなわけですが、特筆すべき点はこの写真の近さでありまして、これだけ近づいても白目をむかなくなったのです。どうやら「あまり危険な奴ではなさそうである」といった認識をモルモット側にしていただいている様子で、ここまで近づいてもあばれはっちゃく的な騒動にならなくなりました。さて、新しい部屋ですが。
見てこれすごいちゃんとしてる。天井もありましたけど無くても問題ありませんし、むしろ無いほうが掃除が楽なのでつけていません。これは設置当初の光景で、水がえらく上のほうに付けていますが、これは後々入り口付近に変えました。そいでおくにある段ボールの小屋ですが、これも数日ででろでろになったので本日Amazonの段ボールを切り取ったやつに変えました。
手が滑ってアルファルファが大量にありますが、それはおいといて、ついに手からペレットを食べるようになりました。また、掃除は上から、えさは入り口を開けて、といったことを続けていたら扉を開けるとこっちを見たりします。しかしまだぷいぷい鳴かないので、まだまだ完全に慣れているわけではない様子です。「えさをくれ」と鳴いてくれるのが理想なんですけどね。
今日はこの辺で。
モルモットは一番安心するところでしかトイレをしないらしく、小屋の中が大変衛生的によろしくない状況だった。そのため、思い切って小屋を取ってみると、なんだか怖がっている様子がなかった。確かに脱走を企てるが、一昔前の「是が非でもここから闘争する、この命に代えても」的な必死さは見えず、「いやーん」的な感じだ。それにぴょんっとジャンプする、ポップコーンジャンプという機嫌がいいときにしかしない伝説のジャンプまで披露してくれた。これはいい傾向である。

真上から写真をとっても白目が見えることがなくなった。一昔前はびっくりしたブルドックばりの白目だったが、いまはそこまででもない。なかなか慣れてきているのかもしれない。手からご飯を食べてくれるのも時間の問題である。というわけでひまわりの種という、小動物の弱点であろうご飯を調達してきたので、手に乗せて差し出してみると、ぷいっとそっぽを向いた。しょんぼり。ご飯茶碗の中にいれておいた。食べてね。
今日はここまで。
真上から写真をとっても白目が見えることがなくなった。一昔前はびっくりしたブルドックばりの白目だったが、いまはそこまででもない。なかなか慣れてきているのかもしれない。手からご飯を食べてくれるのも時間の問題である。というわけでひまわりの種という、小動物の弱点であろうご飯を調達してきたので、手に乗せて差し出してみると、ぷいっとそっぽを向いた。しょんぼり。ご飯茶碗の中にいれておいた。食べてね。
今日はここまで。
モルモットにあげているご飯は、なんだかいいペレット、水、アルファルファ。このアルファルファはペットショップで購入したものであるからいたって普通の代物だが、それがなくなったため事前に購入していたチモシーを出した。このチモシーは小動物専門店で購入したもので、名前は「OXBOW」。
つまりはとんでもなくいいものである。

いつもは掃除をした後放心状態であり、落ち着いたとしてもアルファルファを口にする光景を見られなかったのだが、このチモシーを入れたとたんもしゃもしゃ食べ始めた。やはりうまいのか、すごいぜ「OXBOW」。夢中でチモシーを食べている姿は、まったくもうかわいい。

しかも食べ終わった後横になって寝始めた。少なくとも僕が部屋にいるうちはこんなにくつろぐことはなかったのに、とんでもない進歩である。どうやら「うまいものをくれる」とわかってくれたようだ。すごいぜ「OXBOW」。
今日はこの辺で。
普通のチモシーが明治なら、
「OXBOW」はGODIVAである
「OXBOW」はGODIVAである
───プロモルモッター曰く
つまりはとんでもなくいいものである。
いつもは掃除をした後放心状態であり、落ち着いたとしてもアルファルファを口にする光景を見られなかったのだが、このチモシーを入れたとたんもしゃもしゃ食べ始めた。やはりうまいのか、すごいぜ「OXBOW」。夢中でチモシーを食べている姿は、まったくもうかわいい。
しかも食べ終わった後横になって寝始めた。少なくとも僕が部屋にいるうちはこんなにくつろぐことはなかったのに、とんでもない進歩である。どうやら「うまいものをくれる」とわかってくれたようだ。すごいぜ「OXBOW」。
今日はこの辺で。
モルモットの部屋を掃除するには、まずえさ箱を出して、引きこもりようの小屋からモルモットを追い出す。手を伸ばしても出やしないので、徐々に傾けて追い出す。そして、ペットシートを取り替える。問題はこのペットシートで、ペットシートを丸めるのを大変怖がる。そして、引きなおすのも怖がる。そんなこんなで、掃除をした後はしばらく引きこもる。
掃除やご飯の時間だけ上においてある段ボールを取っているのだが、今日はしばらく上の段ボールを取らないでおいたら、いっこうに小屋から出てこない。そして、段ボールを被せると中から出てきてご飯を食べた。どうやら段ボールが無いと不安になるようだ。段ボールがない→やつが来る→怖い、ということなのだろう。しょんぼり。

小屋の中には大方なれたようで、段ボールでフタをしてやるとすぐに小屋から出てペレットやアルファルファをもしゃもしゃやりはじめた。この状態で近づくだけではフリーズだけなので、じゃあ段ボールを取って慣れさそうかな、なんてことを考えた。

段ボールに手をかけた瞬間一目散である。しょんぼり。しかしこの後そっとしておくとすぐに外に出てもしゃもしゃやりはじめた。恐らく僕の手が大層怖いのだろう。怖くなくなるまで気長にお世話をしようじゃないか。しかし、日に日に小屋から出る時間が長くなっている。慣れてきているのだろう。1ヶ月もすれば手にも慣れてくれるだろうか。
今日はここまで。
掃除やご飯の時間だけ上においてある段ボールを取っているのだが、今日はしばらく上の段ボールを取らないでおいたら、いっこうに小屋から出てこない。そして、段ボールを被せると中から出てきてご飯を食べた。どうやら段ボールが無いと不安になるようだ。段ボールがない→やつが来る→怖い、ということなのだろう。しょんぼり。
小屋の中には大方なれたようで、段ボールでフタをしてやるとすぐに小屋から出てペレットやアルファルファをもしゃもしゃやりはじめた。この状態で近づくだけではフリーズだけなので、じゃあ段ボールを取って慣れさそうかな、なんてことを考えた。
段ボールに手をかけた瞬間一目散である。しょんぼり。しかしこの後そっとしておくとすぐに外に出てもしゃもしゃやりはじめた。恐らく僕の手が大層怖いのだろう。怖くなくなるまで気長にお世話をしようじゃないか。しかし、日に日に小屋から出る時間が長くなっている。慣れてきているのだろう。1ヶ月もすれば手にも慣れてくれるだろうか。
今日はここまで。
帰ってみるとご飯がひとつもなかったのでモルモットは腹をすかせているものと見る。3日目ともなるとモルモットも場所に慣れてくるようで、小屋から出て餌入れに足を突っ込んでいた。

水が著しく減っていたので、部屋が暑かったのだろう。小屋の外にでていたのもそのせいだと思われる。部屋を掃除してご飯と水をいれた。昨日は掃除が終わってからしばらく放心状態であったが、今日は掃除をし終わってすぐにご飯を食べ始めた。

クーラーをつけるとようやく落ち着いたようで、小屋の中ででろーんと横になった。今までは手を近づけると立ち上がってフリーズしていたが、今日は近くで写真をとっても横になったままだった。しかし目は緊張しているように見える。あまり近づかないほうがよいだろう。
それにしても現在の部屋は狭いため、いつか大きくしたいと考えている。プロモルモッターによると、100円ショップに売っている網と、その網をつなぎとめるやつを買えば手軽にサークルが作れるので、それを小屋にすれば大変よい、とのこと。自分の部屋を掃除しなければならない。
今日はここまで。
水が著しく減っていたので、部屋が暑かったのだろう。小屋の外にでていたのもそのせいだと思われる。部屋を掃除してご飯と水をいれた。昨日は掃除が終わってからしばらく放心状態であったが、今日は掃除をし終わってすぐにご飯を食べ始めた。
クーラーをつけるとようやく落ち着いたようで、小屋の中ででろーんと横になった。今までは手を近づけると立ち上がってフリーズしていたが、今日は近くで写真をとっても横になったままだった。しかし目は緊張しているように見える。あまり近づかないほうがよいだろう。
それにしても現在の部屋は狭いため、いつか大きくしたいと考えている。プロモルモッターによると、100円ショップに売っている網と、その網をつなぎとめるやつを買えば手軽にサークルが作れるので、それを小屋にすれば大変よい、とのこと。自分の部屋を掃除しなければならない。
今日はここまで。
1日目は僕の居る前でご飯を食べないし水も飲まない状態で大変心配しておりまして、もはや食事も喉を通らないし、仕事にも手がつきませんでした。だから仕事ができないのはしようがないのです。そんなこんなで仕事が終わって帰ってみると、ご飯と水が減ったいたので、大変よい気分でした。
底が見えないくらい入れておいたペレットもきちんと食べていた。居ないところできちんと食べているようで、安心した。モルモットは口をもむもむしないとストレスがたまってしまうらしいので、ご飯は最重要だそうだ。よかったよかった。

赤い線よりまであった水もここまで減っていた。
帰宅してからご飯と水の減り具体を確認してから部屋の掃除を取り掛かったところ、これがまぁ暴れた。具体的には部屋の中にある小さい小屋をどかして、中にある糞やらなにやらを捨ててペットシーツをすてるっていう簡単なものだが、まず小屋から出てこない。どうにかして出したらもう逃げまくりで部屋を飛び出そうとする始末。3回飛び出そうとしたのを手で阻止した。
まだまだ慣れるには時間がかかると感じたのでそっとしておいた。パソコンをしたりうとうとしたりしていたら、どうやらこの空間や僕の存在に大分落ち着いてきたようだ。僕の前でもご飯を食べるようになった。。うれしいなぁ。

小屋から出て伸びるようにもなった。びよーん。
今日はここまで。
底が見えないくらい入れておいたペレットもきちんと食べていた。居ないところできちんと食べているようで、安心した。モルモットは口をもむもむしないとストレスがたまってしまうらしいので、ご飯は最重要だそうだ。よかったよかった。
赤い線よりまであった水もここまで減っていた。
帰宅してからご飯と水の減り具体を確認してから部屋の掃除を取り掛かったところ、これがまぁ暴れた。具体的には部屋の中にある小さい小屋をどかして、中にある糞やらなにやらを捨ててペットシーツをすてるっていう簡単なものだが、まず小屋から出てこない。どうにかして出したらもう逃げまくりで部屋を飛び出そうとする始末。3回飛び出そうとしたのを手で阻止した。
まだまだ慣れるには時間がかかると感じたのでそっとしておいた。パソコンをしたりうとうとしたりしていたら、どうやらこの空間や僕の存在に大分落ち着いてきたようだ。僕の前でもご飯を食べるようになった。。うれしいなぁ。
小屋から出て伸びるようにもなった。びよーん。
我が家にモルモットがやってきたので日記を書き始めます、なんてことをはじめたら途中でぽっくり死んだときの喪失感が尋常じゃないこと請け合いなのでそんなことはいたしませんが、少なくともモルモットが僕になれるまでは書いていきたいなって思うんですよ。あとはこれからモルモットを飼おうとしている人とか、プロモルモッターとかそういったモルモットに関係ある人にモルモットを飼い始めるとはといったハウツーから「あるあるそういうこと」なんていう共感を持ってもらったりだとか、単純にいえばこのブログのニーズを伸ばそうと思うんですよ。モルモットを書いておけばアクセス急増ですよ。そういった具体に書いていきます。
さてさて1日目の話。
モルモットを980円で購入して必要なものを一通りそろえて家に持って帰ってきてさあかわいがろうと思った矢先にこのモルモットがちっとも動かない。プロモルモッターに「モルモットを連れ帰ったのはいいもののちっとも動かないし、なんだかちぢまって2頭身なっちゃってもうどうにかしてくれ」なんてことを嘆いたら「それは緊張しているだけで調子が悪いとかではない、気長に世話をするように」と教示いただく。
そんなわけで生活費必要な最低限のアイテムを設置して様子を見ていると、いままでピクリともしなかったモルモットが若干動き始める。なるほど、こうして慣らしていくわけかと関心しながら1日目は終了した。以下は1日目の写真。

モルモット用のケースは棒状の金属を格子状に組んだよくあるものではなく、ただの衣装ケースなので、千枚通しとでかいはさみを駆使して穴をあけた。ここから水ケースの飲み口をにょきっと出した。

後ろは画鋲を刺して固定した。これでモルモットが暴れても外れないだろう。その前に水を飲まないので大変心配であったが、今は誠実に世話をしていけば大丈夫と信じている。

噂のモルモット。びびっているので奥に隠れている。見てのとおり美人さんであるので、値段が980円とは驚きである。値段の理由をペットショップの店員さんに聞いてみると、「この子は廃業したブリーダーから受け取ったモルモットで、その廃業ブリーダーの環境が粗悪なものであったから早く幸せになってほしいとの願いで安くしている」とのこと。いいお店である。数時間は上記のような状態で一切動かなかったが、時間がたつと小屋から抜け出してペレットを食べ始めた。大変かわいい。
今回はここまで。現在は小屋の天井に段ボールでふたをしてそっとしています。かわいがりたい気持ちをこらえて、今は遠くから観察して「わー巣から出てきたー」とか「わー食べてるー」とか小さい声で騒いでいる次第でございやす。ではでは、今日はこの辺で。
さてさて1日目の話。
モルモットを980円で購入して必要なものを一通りそろえて家に持って帰ってきてさあかわいがろうと思った矢先にこのモルモットがちっとも動かない。プロモルモッターに「モルモットを連れ帰ったのはいいもののちっとも動かないし、なんだかちぢまって2頭身なっちゃってもうどうにかしてくれ」なんてことを嘆いたら「それは緊張しているだけで調子が悪いとかではない、気長に世話をするように」と教示いただく。
そんなわけで生活費必要な最低限のアイテムを設置して様子を見ていると、いままでピクリともしなかったモルモットが若干動き始める。なるほど、こうして慣らしていくわけかと関心しながら1日目は終了した。以下は1日目の写真。
モルモット用のケースは棒状の金属を格子状に組んだよくあるものではなく、ただの衣装ケースなので、千枚通しとでかいはさみを駆使して穴をあけた。ここから水ケースの飲み口をにょきっと出した。
後ろは画鋲を刺して固定した。これでモルモットが暴れても外れないだろう。その前に水を飲まないので大変心配であったが、今は誠実に世話をしていけば大丈夫と信じている。
噂のモルモット。びびっているので奥に隠れている。見てのとおり美人さんであるので、値段が980円とは驚きである。値段の理由をペットショップの店員さんに聞いてみると、「この子は廃業したブリーダーから受け取ったモルモットで、その廃業ブリーダーの環境が粗悪なものであったから早く幸せになってほしいとの願いで安くしている」とのこと。いいお店である。数時間は上記のような状態で一切動かなかったが、時間がたつと小屋から抜け出してペレットを食べ始めた。大変かわいい。
今回はここまで。現在は小屋の天井に段ボールでふたをしてそっとしています。かわいがりたい気持ちをこらえて、今は遠くから観察して「わー巣から出てきたー」とか「わー食べてるー」とか小さい声で騒いでいる次第でございやす。ではでは、今日はこの辺で。
最近めっきりブログを更新しなかったわけですけれども、事故にあったりとかC1000の過剰摂取とかなんらかの理由で死んでいたわけではありません。このとおり生きていますよ、ぴんぴんしています、ブログを更新する前よりぴんぴんしていますよ。むしろブログを更新しないことで元気になった可能性もあるくらいですよ。まったくもって元気です。
今回はひとまず近況報告をちょろっとやって終わろうと思いますよ。もうね、興味深い文章なんてこれっぽっちも書けませんから、更新することに意義があるみたいな逃げを繰り広げるしかないんですよ僕は。足の裏に水泡ができて「これは水虫ではないだろうか」と狼狽しているような人間ですよ僕は。
1.零打開。
恐怖のあまり途中で投げ出していたWiiで一番怖いゲームと僕の中で名高い「零~月蝕の仮面~」をつい先日クリアしました。思えばこのゲームのおかげで寿命があるていど縮まりましたよ。アイテムを取ろうとしたら腕をつかまれて以来アイテムをとるっていうアドベンチャーゲームで必要不可欠な行動すら恐怖を覚えるようになったり、とりあえず壁を取ったら心霊写真が写ってちょっとだけ失禁したり、ラスボスの弱さに閉口したり、もう大変な大騒ぎをしていましたが、ついにクリアしました。面白かったですね、もうやらないですけど、面白かったです。このゲームはやったほうがいいですよ、大音量で一人で部屋を真っ暗にしてやったほうがいいですよ。あとオムツはいたほうがいいよまじで。
2.香ばしいゲームを入荷。
そういえばプレイステーション3はプレイステーションのゲームができるんだった、なんて思い立ってしまったので、ハードオフだとかゲオだとかに行って香ばしいゲームを手に入れました。まずは香ばしさの定番「がんばれ森川君2号」からはじまり、パッケージからしてキてる「イエロー・ブリック・ロード」。あとは小室哲也が生んだ神ゲー「ガボール・スクリーン」、パフィーがまさかのゲーム化「パフィーのPSアイラブユー」、志茂田景樹が無謀にもゲームに挑戦して誕生した「七つの秘宝」、これは本気で神ゲー「トウキョウインセクトズー」、あとはよくわかんないけど買った「ディセント」、「ハーミィホッパーヘッド」、「ディープフリーズ」、以上。「イエロー・ブリックロード」はちょっとやったんですよ、ちょっとやったらクリアしました。すげぇぜプレイステーション。
3.モルモット襲来。
モルモットを飼い始めました。だから調子に乗ってモルモットのことを日記に書き始めようと思いまして、ここまで長々しくて忌々しい駄記事を書いたわけです。いやしかしね、「モルモット飼いはじめたから日記を書くよ」だけだだと味気ない上に「お前久々に日記書いたと思ったらそれかよ、まじぱねー」みたいなことをいわれる可能性もあるじゃないですか、そんなこといわれたら泣きますよ僕は。そういうわけでここまで長く書いたのです。許してください。
そんなわけでモルモットの日記を書きます。どうかよろしくお願い。
ではでは。
今回はひとまず近況報告をちょろっとやって終わろうと思いますよ。もうね、興味深い文章なんてこれっぽっちも書けませんから、更新することに意義があるみたいな逃げを繰り広げるしかないんですよ僕は。足の裏に水泡ができて「これは水虫ではないだろうか」と狼狽しているような人間ですよ僕は。
1.零打開。
恐怖のあまり途中で投げ出していたWiiで一番怖いゲームと僕の中で名高い「零~月蝕の仮面~」をつい先日クリアしました。思えばこのゲームのおかげで寿命があるていど縮まりましたよ。アイテムを取ろうとしたら腕をつかまれて以来アイテムをとるっていうアドベンチャーゲームで必要不可欠な行動すら恐怖を覚えるようになったり、とりあえず壁を取ったら心霊写真が写ってちょっとだけ失禁したり、ラスボスの弱さに閉口したり、もう大変な大騒ぎをしていましたが、ついにクリアしました。面白かったですね、もうやらないですけど、面白かったです。このゲームはやったほうがいいですよ、大音量で一人で部屋を真っ暗にしてやったほうがいいですよ。あとオムツはいたほうがいいよまじで。
2.香ばしいゲームを入荷。
そういえばプレイステーション3はプレイステーションのゲームができるんだった、なんて思い立ってしまったので、ハードオフだとかゲオだとかに行って香ばしいゲームを手に入れました。まずは香ばしさの定番「がんばれ森川君2号」からはじまり、パッケージからしてキてる「イエロー・ブリック・ロード」。あとは小室哲也が生んだ神ゲー「ガボール・スクリーン」、パフィーがまさかのゲーム化「パフィーのPSアイラブユー」、志茂田景樹が無謀にもゲームに挑戦して誕生した「七つの秘宝」、これは本気で神ゲー「トウキョウインセクトズー」、あとはよくわかんないけど買った「ディセント」、「ハーミィホッパーヘッド」、「ディープフリーズ」、以上。「イエロー・ブリックロード」はちょっとやったんですよ、ちょっとやったらクリアしました。すげぇぜプレイステーション。
3.モルモット襲来。
モルモットを飼い始めました。だから調子に乗ってモルモットのことを日記に書き始めようと思いまして、ここまで長々しくて忌々しい駄記事を書いたわけです。いやしかしね、「モルモット飼いはじめたから日記を書くよ」だけだだと味気ない上に「お前久々に日記書いたと思ったらそれかよ、まじぱねー」みたいなことをいわれる可能性もあるじゃないですか、そんなこといわれたら泣きますよ僕は。そういうわけでここまで長く書いたのです。許してください。
そんなわけでモルモットの日記を書きます。どうかよろしくお願い。
ではでは。

私は「プレイヤーではなくキャラクターのレベルが上がらないと先に進めない」といったゲームが苦手だ。魔王の撃破が目標のようなゲームは、大体小目標が次々と出てくる。ポピュラーな小目標は、ある街に行って何かを持って来いだとか、ある洞窟に行って何かを倒して来いだとかそういったものだ。つまり、その小目標を果たすためにはその場所まで行く必要がある。しかし、一直線に目的地にたどり着いても、小目標を果たせない場合がある。それが「キャラクターのレベル」だ。
プレイヤーが試行錯誤を繰り返し、補助魔法や敵の弱体化を促す魔法を活用するといった戦略を考えられゲームは、多少クリアが困難でも楽しめる。問題は「レベルがなければどうしようもない」といった種類のゲームだ。
以前、ドラゴンクエスト4をやっていたとき、トルネコのターンで私はうんざりした。トルネコは便利な魔法もつかえず、おまけにお金を集めるという目的なので強化アイテムも買えない、というか売っていない。レベルを上げて物理攻撃で道を切り開く必要がある。この手の流れになったとき、私はいつも叫んでしまう。「俺はボタン押しマシーンか!!!」
私はプレイヤーの意志が尊重されるゲームが好きだ。プレイヤーによってゲームが進み、プレイヤーのせいでゲームオーバーになる。それだったらいい。しかし、キャラクターが言われた目標を進めるのに、キャラクターのレベルが必要になり、そのレベルあげをプレイヤーが行うというのはまったくもって受け入れられない。それはプレイヤーじゃなくていい、全自動レベル上げマシーンとかあればいい。もはやゲームではなく作業だ。プレイヤーは何も考えない。考えるのはレベル上げの効率だけだ。私がやりたいのは魔王の撃破であって、レベルあげじゃないのにもかかわらず、それは許されない。
私はゲームの中に入り込む。キャラクターの身内が殺されたら悔しいし、姫を助けたら嬉しい。しかしその目標にたどり着くために行うレベル上げで、完全に現実とゲームが切り離されてしまう。キャラクターはキャラクターであり、私はプレイヤー及びレベル上げマシーンなのだと自覚してしまう。そうなってしまうのは悲しいことだ。
というわけでここまで「レベル上げが必須なゲームをやるとボツボツがでちゃう」っていう話を長々書きましたが、今回本当にお話したいのはアークザラッドについてです。なんでこんなうだつの上がらない話を書いたかというと、「こんな僕でもクリアできました」っていうことと、「アークザラッドはそういったレベル上げが目的になるようなゲームじゃない」ということをお伝えしたいのです。
ゲームの仕組みはマス式ロールプレイングゲームで、動かせるキャラクターの順番は、素早さのステータスに左右されます。味方だろが敵だろうが、素早い順に動くというわけです。ゲームはこの戦闘パートと、マップを移動するパートに分かれます。エンカウントといった概念はあまりなく、移動先のエリアに敵がいた場合、そのまま戦闘パートになります。ちなみに逃げることも、無視して先に進むことも可能。
しかしこのアークザラッド、こういった単純な仕組みのゲームですが、特筆するところはストーリーとゲームバランスのすばらしさにあります。プレイステーションがスターハードになった時代に作られたこの作品がいまだに語り継がれている理由はそこにあると思っています。
今回題名に「アークザラッド/アークザラッド2」といった書き方をしていますが、これにはアークザラッド2が売れたから作られた続編ではないということをあらわしています。もはや2枚組みの作品といっても過言ではないくらい、アークザラッドとアークザラッド2はセットで一つの作品です。というわけでアークザラッド2のストーリーは一切お話できません。
まずはアークザラッドのストーリーから。はるか昔に邪悪なものを封印した「七勇者」の物語が語り継がれている世界、そんな世界の中にあるスメリア国に主人公アークは住んでいた。ある日村長の息子と結婚させられそうになったヒロインのククルが商人に騙され、山にあるモンスターを封印している火を消してしまう。異変を感じたアークは山を調べに行く。そして封印を解かれたモンスターにあっさりと殺されるが、精霊に力を授けられ、アークとククルの使命を伝えられる。
といった具合に始まりはいたって簡単で、それでいてかなり小規模です。近くにある山の火を消したとか、消えちゃって山の様子が変だから見に行こうとか、とても身近な話題から始まります。その小さな村から少しずつ世界観が広がっていくのですが、その過程が非常に良く出来ています。プレイヤーはアークが世界を少しずつ知っていく過程と全く同じ経験をします。いきなり大きな世界観で疎外感を感じることもなく、スムーズに世界観にのめりこむことが出来、これが最初に言ったレベル上げにも繋がって行くのです。
アークザラッドの中には目的とは関係のないダンジョンといったものがあるのですが、このダンジョンがとてつもなく、本当にとてつもなく良く出来たシステムだと思います。ずっと戦闘パートが続くのですが、階段を上れば戻れる、下れば進めるというだけの単純なシステムなのにもかかわらず、これが本当に素晴らしい。
プレイヤーは先に何があるか気になるといった純粋な好奇心で深く潜っていくわけですが、ある程度まで進めると敵が強くなって太刀打ちできなくなります。それで「こりゃだめだ、戻ろう、死んだら元も子もない」といった具合に階段を上って逃げ帰ります。そして一息入れてもう一度ダンジョンに入ると、最初のほうは簡単に攻略できるようになっていてさくさく進み、前回より深くまでもぐれるようになるのです。
これはキャラクターのレベルが挙がっているからこそ進めるのですが、キャラクターが本当に成長しているように見えるのが素晴らしいポイントで、目的はダンジョンの探索で、本当にそれしかやっていないのですが、それをこなしていくうちに勝手にレベルが挙がっているのです。
つまりプレイヤーの探究心=キャラクターの探究心、そしてプレイヤーがダンジョンに慣れる=キャラクターのレベルが挙がるといった具合に、プレイヤーとキャラクターのステータスが一致し、プレイヤーは疎外感を感じるどころかキャラクターとより仲良くなれるのです。これは本当に素晴らしいシステムだ。敬意を示さなければならない。
そういったダンジョンを攻略していくうちにレベルはカンストします。「RPG」なのに「レベル上げをしなければだめだ」といった、ある種の作業という目で一度も見ずにクリアできた初めてのゲームです。このゲームデザインは単純ですがとてつもない完成度です。
このゲームデザインは、きっとアークザラッドより後に出た作品にも影響を及ぼしているだろうし、「プレイヤーとキャラクターが仲良くなる」という考え方はきっとさまざまなゲームに受け継がれていると思います。いや、受け継がれて欲しい。
RPGというのはレベル上げである、といった常識を持ち合わせていない私だからこそ感じたことなので、誰もがこのゲームを「とんでもなく良く出来たゲーム」と評価できるかはわかりませんが、少なくともこのゲームのおかげで、RPGというジャンルに対して興味が湧いてきましたし、他のRPG作品にも手を出してみようと思いました。
さて、ここまでシステムが素晴らしいという話をしてきましたが、システム以上にストーリーの完成度は半端ではなく、もはやここで書かなくてもその伝説は受け継がれていて、各所でアークザアッドのストーリーが素晴らしいことは書かれています。また、その素晴らしさをストーリーの内容に触れず表現できるほど文章力はありませんので、とりあえずやったことない人は「歴史的作品」として、スーパーマリオと同じ位置づけてやったほうがいいです。おすすめです。クリアしたときに心の底から「終わった」と感じることができました。最近は「終わったの?終わっちゃったの?」といったゲームをよくやるのですが、このゲームの「終わった」感は素晴らしい。
最後に、RPGへの苦手意識が薄れるどころか、興味まで湧かせてくれたアークザラッドに感謝すらしているとここに書かせていただくことで、この長いレビューを閉めさせていただきたいと思います。ありがとうアークザラッド。ちょこ大好き。
ゆとりという概念と状況説明の細かさと私。
どーも、375です。
1980年から、教育業界は「勉強ばっかりしてると脳が腐るので、授業時数を減らしてゆとりを持とう、ゆとりと充実を、ゆとりと潤いを」なんてスローガンを片手に教育内容をがらりと変えました。ゆとり教育の始まりです。しかし今回はゆとり教育の話じゃなくて“ゆとり”という概念についてのお話と、それが原因で生じた混乱のお話です。
ゆとり教育という名詞から取り出された“ゆとり”は、「昔の人は知っていたであろうことを知らない人」や「昔の人は解けていたであろう数式を解けない人」など、学問の面で教わってないが故に昔の人に比べて劣っている人のことを指していました。
しかしその解釈はさらに広まり、「昔の人は我慢できたであろうことを我慢できない人」や「昔の人は出来たであろうことが出来ない人」など、もはや学問と関係のない面でも“ゆとり”という表現が使われています。まずはこの概念がまとまりゃしねぇというお話から。
現在“ゆとり”という概念は、「昔の人に比べて」というものを飛び越えて、「空気が読めない人」や「説明がへたくそ」など、もはや悪口でしかありません。これでは馬鹿の概念について考えるのも同じです。まったくもってどのような人がゆとりなのかわからなくなってしまいました。馬鹿と呼ばれる人の定義をするなんて不可能な話です。
2段階目の「昔の人は云々」というものであれば、お年寄りがよく言う「最近の若い者はこの程度のダンベルも持ち上がらんのか、ふんぬっ、ほわぶへっ」の意味と同じ位置づけだったのですが、3段階目の「a.k.a 馬鹿」になってしまうと、何がゆとりなのか決めることが出来なくなり、“ゆとり”という概念が混沌としてしまいます。全ての可能性が考えられるようになり、“ゆとり”という表現を使ったが最後、“ゆとり”は膨張を続け、ついには自分の体積に押しつぶされ重力が逆転、ブラックホールが誕生します。
そんなことになっては困ります。まだオブリビオンのクエストコンプしてないし。というわけで“ゆとり”の概念について決めないといずれはあちらこちらでブラックホールが発生して地球はおろか宇宙が裏返ってしまいます。まじやばい。
でまぁ、落としどころおしては「場の空気」を読まなかったり、「文章の読解能力」がなかったりする人たちなんでしょう。もはやゆとり教育と何の関係もありませんが、これはこれでいいんです。もはや“ゆとり”と“ゆとり教育”は別物なのです。東京ディズニーランドと東京インセクトズーくらい別物なのです。
さて、ここまでがゆとりという概念についてスムーズかつ強引に決め付けた内容ですが、問題はそれで生じた混乱です。文章を書く際、誰しもターゲットを絞ります。例えば小学生が作文を書く際、ターゲットは先生です。中学生がラブレターを書く際は、同じクラスの寺井さん(誕生日は12月24日)です。こういった具合に、文章を書く際は、誰もが誰かに向けて書いているのです。
しかし、文章のターゲットは一人に限りません。例えばサンデーの「脅威の速読術」とかに載っている尋常じゃなく胡散臭い文章は、サンデーの読者という不特定多数をターゲットに書かれているでしょう。また、「使用前は表面の油を水洗いで除去してください、あとこれジョークグッツなんで」といった文章はディルド購入者向けに書かれているでしょう。そういのもっと大きく書こうぜ、遅いって超遅いって。
といった具合に、文章は不特定多数をターゲットに書かれる場合があるのです。不特定多数といっても、ジャンルを絞った不特定多数です。何にせよ、文章はそのターゲットが読みやすいように、伝わりやすいように書くことが多いものです。さて、そのターゲットのジャンルが絞られず、本当の不特定多数に向けた文章というのはあるのかという問題。あります。ブログです。
かつて日記はWebサイトの一コンテンツでした。そのWebサイトには必ずジャンルがあり、そのジャンル目当ての人が多く訪問します。そのため、文章もそのジャンル目当ての人向けに書けばよかったのです。しかし現在は一億総ブログ時代。また、一億総検索エンジン時代。もはや日記主体のサイトにターゲットなど絞れないのです。そこで問題になってくるのが、そう“ゆとり”向けの文章。
出来る限り多くの人に文章を読んでほしい、そんな願望を叶えるには、まず宣伝が一番でしょう。しかし宣伝をすれば多くの人に文章を読んでもらえるのでしょうか。それはきっと違います。いくら宣伝をしたところで、内容が「おっぱいおっぱいボインボイン みつを」といった内容が数千文字にわたっていたらすぐに消されてしまいます。そんなサイトあったらすぐお気に入りに登録する。
多くの人に文章を読んでほしいのであれば、多くの人に訪問のきっかけを作る宣伝、そして「閲覧し続けてもらう」ということです。つまり「読みやすくハートをがっちりキャッチするハートフルな文章」が書いてあれば、より多くの人に「三三七拍子って4拍子でしょうが!! みつを」という文章を読んでもらえるのです。
そこで問題になってくるのが、表現の細かさです。ネット上には色々な人がいます。戦士、魔法使い、盗賊、胸毛マン、そしてゆとりです。ここで誤解しないでいただきたいのは、僕は胸毛マンではなく魔法使いだということ、そして“ゆとり”というのは概念のお話で、ゆとりを馬鹿にしているわけではないというお話です。
文章の読解能力のない人は、「夕日の差し込む用具置き場の中、理沙は後ろ手に鍵を閉めた」に対して何も感じないのかもしれません。私がこれを見たら完全に「バスケットボールがたくさん入ってるかごがあるわ」とか「マットはあるね、絶対ある」とか「電気は鍵を閉めてから点けるね」とか「きっとスポーツブラ」とか「最初はソフトタッチ」とか「途中で誰かが開けようとして二人の動きが止まる、そして見詰め合う二人」とかそういうところまで読めます。しかし、文書の読解能力のない人には、「ただドアの鍵を閉めた」という部分しか通じないかもしれません。
すなわち、私の混乱は「どの程度細かい文章を書けば誰しもに伝わって、それでいてマイルドな味わいを消さずに済むのか、一体どうやればこのコーヒーをすっぱくしないで挽けるのか」というものです。いやね、最近コーヒー豆をぐるぐるして砕くやつ買ってさ、前からコーヒー造ってるんだけどこれが全く持っておいしくならないんですよもう。なにこれ豆のせいなの?って思って「ミスターコーヒー」みたいな友人に入れてもらったらこれがマイルドな味わいでびっくりして結婚を申し込みました。
例えば、「卵が割れた」という表現からは色々なものが想像できます。私はこういった短い文章からいろいろなものを想像するのが好きです。しかし文章の読解能力のない人にはもっと詳しく書かなければなりません。
「卵が割れた。」
「ビニール袋が机から落ち、中にあった卵は割れた。」
「美那子の体に押されたビニール袋は机から落ち、中にあった卵が割れた。」
「美那子は机に押し倒された。その拍子にビニール袋は机から落ち、中にあった卵が割れた。卵を気にしていたが、ブラウスのボタンが地面に落ちる音で正気に戻る。炎天下の道を歩いて帰ってきた美那子の体はしっとりと」
といった具合に、「卵が割れた」だけでは無限の可能性があった文章も、「細かく文章を書かなければ通じない人」に向けた文章にしてしまうと、文章の可能性は絞られてしまいます。その境界線が非常に難しいのです。文章の可能性を絞らずに、表現を細かくする、私にはそんなこと無理です。そんなことが出来たら文章で食っていけます。
きっと挙句の果てには「美弥子は机(木製)に押し倒され(押し倒された途端、痛そうに顔を歪める美那子)、電灯(四角いもので、中に丸い蛍光灯が入っているタイプ)から埃(電灯によってきらきらと輝いている)が落ちる(美那子は目を瞑る)。ビニール袋(スーパーのもの)は机(しつこいようだが木製)から落ち、中にあった卵(割れやすいため一番上に置かれていた)が割れた(美那子にはテレビの音が大きく感じた)。」とかそういう、注釈入りまくりの文章になってしまいます。もはや想像力を必要としない文章に成り果てるのです。
どうすればいいのだ、私はどうすればいいのだ、どうすれば万人に理解していただける文章であって、それでいて想像力を書き立てるような文章を作れるんだ、と、ここまで悩んで結論が出ました。
きっと“ゆとり”は想像が出来ない人たちのことを指すのです。「空気を読む」というのは、「この状況はどのようになっているか、あの人は何を思っているか」を想像しなければならないし、文章の読むというのは「この文章があるということはこういうことになっているのだろう」といったことを想像します。それが出来ないということは、想像力が欠如しているのです。
想像力は大事です。常に“かもしれない運動”をしましょう。家を出る前に「ガスの元栓を閉め忘れたかもしれない」とか「窓を閉め忘れたかもしれない」とか、駅に着いたら「私は臭いかもしれない」とか「あの老人にぶつかってしまうかもしれない」とか、車を運転していたら「歩道に突っ込んで人を轢いてしまうかも知れない」とか「信号を無視して事故を起こすかもしれない」とか、「病気にかかって死んでしまうかもしれない」とか「すでにかかっていて誰かにうつしているかもしれない」とか「突然あの男性に石を投げつけてしまうかもしれない」とか「自分は自殺するかもしれない」とか私は私は私はわわわわわわわわたたたたたたた
想像力は時に凶器。ほどほどにしましょう。
どーも、375です。
1980年から、教育業界は「勉強ばっかりしてると脳が腐るので、授業時数を減らしてゆとりを持とう、ゆとりと充実を、ゆとりと潤いを」なんてスローガンを片手に教育内容をがらりと変えました。ゆとり教育の始まりです。しかし今回はゆとり教育の話じゃなくて“ゆとり”という概念についてのお話と、それが原因で生じた混乱のお話です。
ゆとり教育という名詞から取り出された“ゆとり”は、「昔の人は知っていたであろうことを知らない人」や「昔の人は解けていたであろう数式を解けない人」など、学問の面で教わってないが故に昔の人に比べて劣っている人のことを指していました。
しかしその解釈はさらに広まり、「昔の人は我慢できたであろうことを我慢できない人」や「昔の人は出来たであろうことが出来ない人」など、もはや学問と関係のない面でも“ゆとり”という表現が使われています。まずはこの概念がまとまりゃしねぇというお話から。
現在“ゆとり”という概念は、「昔の人に比べて」というものを飛び越えて、「空気が読めない人」や「説明がへたくそ」など、もはや悪口でしかありません。これでは馬鹿の概念について考えるのも同じです。まったくもってどのような人がゆとりなのかわからなくなってしまいました。馬鹿と呼ばれる人の定義をするなんて不可能な話です。
2段階目の「昔の人は云々」というものであれば、お年寄りがよく言う「最近の若い者はこの程度のダンベルも持ち上がらんのか、ふんぬっ、ほわぶへっ」の意味と同じ位置づけだったのですが、3段階目の「a.k.a 馬鹿」になってしまうと、何がゆとりなのか決めることが出来なくなり、“ゆとり”という概念が混沌としてしまいます。全ての可能性が考えられるようになり、“ゆとり”という表現を使ったが最後、“ゆとり”は膨張を続け、ついには自分の体積に押しつぶされ重力が逆転、ブラックホールが誕生します。
そんなことになっては困ります。まだオブリビオンのクエストコンプしてないし。というわけで“ゆとり”の概念について決めないといずれはあちらこちらでブラックホールが発生して地球はおろか宇宙が裏返ってしまいます。まじやばい。
でまぁ、落としどころおしては「場の空気」を読まなかったり、「文章の読解能力」がなかったりする人たちなんでしょう。もはやゆとり教育と何の関係もありませんが、これはこれでいいんです。もはや“ゆとり”と“ゆとり教育”は別物なのです。東京ディズニーランドと東京インセクトズーくらい別物なのです。
さて、ここまでがゆとりという概念についてスムーズかつ強引に決め付けた内容ですが、問題はそれで生じた混乱です。文章を書く際、誰しもターゲットを絞ります。例えば小学生が作文を書く際、ターゲットは先生です。中学生がラブレターを書く際は、同じクラスの寺井さん(誕生日は12月24日)です。こういった具合に、文章を書く際は、誰もが誰かに向けて書いているのです。
しかし、文章のターゲットは一人に限りません。例えばサンデーの「脅威の速読術」とかに載っている尋常じゃなく胡散臭い文章は、サンデーの読者という不特定多数をターゲットに書かれているでしょう。また、「使用前は表面の油を水洗いで除去してください、あとこれジョークグッツなんで」といった文章はディルド購入者向けに書かれているでしょう。そういのもっと大きく書こうぜ、遅いって超遅いって。
といった具合に、文章は不特定多数をターゲットに書かれる場合があるのです。不特定多数といっても、ジャンルを絞った不特定多数です。何にせよ、文章はそのターゲットが読みやすいように、伝わりやすいように書くことが多いものです。さて、そのターゲットのジャンルが絞られず、本当の不特定多数に向けた文章というのはあるのかという問題。あります。ブログです。
かつて日記はWebサイトの一コンテンツでした。そのWebサイトには必ずジャンルがあり、そのジャンル目当ての人が多く訪問します。そのため、文章もそのジャンル目当ての人向けに書けばよかったのです。しかし現在は一億総ブログ時代。また、一億総検索エンジン時代。もはや日記主体のサイトにターゲットなど絞れないのです。そこで問題になってくるのが、そう“ゆとり”向けの文章。
出来る限り多くの人に文章を読んでほしい、そんな願望を叶えるには、まず宣伝が一番でしょう。しかし宣伝をすれば多くの人に文章を読んでもらえるのでしょうか。それはきっと違います。いくら宣伝をしたところで、内容が「おっぱいおっぱいボインボイン みつを」といった内容が数千文字にわたっていたらすぐに消されてしまいます。そんなサイトあったらすぐお気に入りに登録する。
多くの人に文章を読んでほしいのであれば、多くの人に訪問のきっかけを作る宣伝、そして「閲覧し続けてもらう」ということです。つまり「読みやすくハートをがっちりキャッチするハートフルな文章」が書いてあれば、より多くの人に「三三七拍子って4拍子でしょうが!! みつを」という文章を読んでもらえるのです。
そこで問題になってくるのが、表現の細かさです。ネット上には色々な人がいます。戦士、魔法使い、盗賊、胸毛マン、そしてゆとりです。ここで誤解しないでいただきたいのは、僕は胸毛マンではなく魔法使いだということ、そして“ゆとり”というのは概念のお話で、ゆとりを馬鹿にしているわけではないというお話です。
文章の読解能力のない人は、「夕日の差し込む用具置き場の中、理沙は後ろ手に鍵を閉めた」に対して何も感じないのかもしれません。私がこれを見たら完全に「バスケットボールがたくさん入ってるかごがあるわ」とか「マットはあるね、絶対ある」とか「電気は鍵を閉めてから点けるね」とか「きっとスポーツブラ」とか「最初はソフトタッチ」とか「途中で誰かが開けようとして二人の動きが止まる、そして見詰め合う二人」とかそういうところまで読めます。しかし、文書の読解能力のない人には、「ただドアの鍵を閉めた」という部分しか通じないかもしれません。
すなわち、私の混乱は「どの程度細かい文章を書けば誰しもに伝わって、それでいてマイルドな味わいを消さずに済むのか、一体どうやればこのコーヒーをすっぱくしないで挽けるのか」というものです。いやね、最近コーヒー豆をぐるぐるして砕くやつ買ってさ、前からコーヒー造ってるんだけどこれが全く持っておいしくならないんですよもう。なにこれ豆のせいなの?って思って「ミスターコーヒー」みたいな友人に入れてもらったらこれがマイルドな味わいでびっくりして結婚を申し込みました。
例えば、「卵が割れた」という表現からは色々なものが想像できます。私はこういった短い文章からいろいろなものを想像するのが好きです。しかし文章の読解能力のない人にはもっと詳しく書かなければなりません。
「卵が割れた。」
「ビニール袋が机から落ち、中にあった卵は割れた。」
「美那子の体に押されたビニール袋は机から落ち、中にあった卵が割れた。」
「美那子は机に押し倒された。その拍子にビニール袋は机から落ち、中にあった卵が割れた。卵を気にしていたが、ブラウスのボタンが地面に落ちる音で正気に戻る。炎天下の道を歩いて帰ってきた美那子の体はしっとりと」
といった具合に、「卵が割れた」だけでは無限の可能性があった文章も、「細かく文章を書かなければ通じない人」に向けた文章にしてしまうと、文章の可能性は絞られてしまいます。その境界線が非常に難しいのです。文章の可能性を絞らずに、表現を細かくする、私にはそんなこと無理です。そんなことが出来たら文章で食っていけます。
きっと挙句の果てには「美弥子は机(木製)に押し倒され(押し倒された途端、痛そうに顔を歪める美那子)、電灯(四角いもので、中に丸い蛍光灯が入っているタイプ)から埃(電灯によってきらきらと輝いている)が落ちる(美那子は目を瞑る)。ビニール袋(スーパーのもの)は机(しつこいようだが木製)から落ち、中にあった卵(割れやすいため一番上に置かれていた)が割れた(美那子にはテレビの音が大きく感じた)。」とかそういう、注釈入りまくりの文章になってしまいます。もはや想像力を必要としない文章に成り果てるのです。
どうすればいいのだ、私はどうすればいいのだ、どうすれば万人に理解していただける文章であって、それでいて想像力を書き立てるような文章を作れるんだ、と、ここまで悩んで結論が出ました。
きっと“ゆとり”は想像が出来ない人たちのことを指すのです。「空気を読む」というのは、「この状況はどのようになっているか、あの人は何を思っているか」を想像しなければならないし、文章の読むというのは「この文章があるということはこういうことになっているのだろう」といったことを想像します。それが出来ないということは、想像力が欠如しているのです。
想像力は大事です。常に“かもしれない運動”をしましょう。家を出る前に「ガスの元栓を閉め忘れたかもしれない」とか「窓を閉め忘れたかもしれない」とか、駅に着いたら「私は臭いかもしれない」とか「あの老人にぶつかってしまうかもしれない」とか、車を運転していたら「歩道に突っ込んで人を轢いてしまうかも知れない」とか「信号を無視して事故を起こすかもしれない」とか、「病気にかかって死んでしまうかもしれない」とか「すでにかかっていて誰かにうつしているかもしれない」とか「突然あの男性に石を投げつけてしまうかもしれない」とか「自分は自殺するかもしれない」とか私は私は私はわわわわわわわわたたたたたたた
想像力は時に凶器。ほどほどにしましょう。
ロストプラネット2


未編集・・・。
ロストプラネット2の話をする前に、ロストプラネットの話。人類は極寒の星「EDN-3rd」の開拓を試みるも、原始生物得エイクリッド(AK)の襲撃を受け撤退する。しかしAKの体内から発見されたサーマルエナジー(T-ENG)をどうしても欲しい人類は対AK用兵器バイタルスーツ(VS)を開発し、開拓を再開した。一方、極寒の地に取り残された人類は「雪賊」という、北斗の券でいうモヒカン集団みたいな勢力を築いた。とまぁ、前作ロストプラネットの背景はこんな感じです。要するに人類の偉い人が「エイリアンの体液が欲しい!!」というわけで逆間接のかっこいいモビルスーツに乗ってエイリアンを倒しに行くわけですよ。でもそれは偉い連中なだけで、一般市民はそんなのに付いていけません。軍だけがそういうかっこいいの乗れるわけですよ、そりゃ置いてかれた人たちはひねくれちゃいます。というわけで「雪賊」っていう集団ができあがるわけです。読み方は「いか」を間違えて読んじゃった感じです。ロストプラネットの主人公はさっき出てきた「AK」っていうエイリアンにお父さんを殺されちゃうんですね。さらにはVSの中で気を失っちゃうわけです。なんたって極寒の星ですから、そら凍ります。ここでゲームオーバーになれば世界各地でロストプラネットのディスクが割られていたわけですが、そこで出てくるのが雪賊の男ですよ。この男に助けられた主人公は父親を殺したエイリアンを張っ倒すために戦場へ旅立つ、って話でした。わかりやすい話で非常にとっつきやすいです。なんかVSのグラフィックを作るときにわざわざフィギュアを作ってからそれをキャプチャするとか面倒くさいことをして話題になっていましたが、なんだかんだで一番話題になったのが主人公にイ・ビョンホンを起用したことでしょうね。主人公が韓国のスターですから、結構話題になりました。っていうか当初私はロストプラネット=イ・ビョンホンが出てるゲームっていう認識しかありませんでしたからね。そのくらいイ・ビョンホンの起用は宣伝になりました。
さて、ここまでがロストプラネットです。今回お話するのはロストプラネット2についてなんですが、結構前作の設定が重要なので長々書きました。ロストプラネット2はのストーリーを話すとロストプラネットのネタバレになるのでさらっと書きますよ。あず暖かいところがあります。前作では極寒だったんですが、今回はジャングルとかあるんですね。これがもう新鮮。世界観的にはそこまで違わないんですが、システム的には大改革がありました。オンライン協力プレイの実装ですよ。これが面白いのなんの。私はリトルビッグプラネットでオンライン協力プレイの面白さを知って、バイオハザード5でこれからの時代はオンライン協力プレイだと確信しました。なんたって面白いんですからこれ。でもオンライン協力プレイにも欠点がありまして、これやってみないと面白さが伝わりにくいんですよ。ゲームなんてどれもやらなきゃわかりませんよ、リトルビッグプラネットなんてやったことがあっても面白く感じませんからね、やると超面白いんですけど。なのでひとまず協力プレイの面白さはおいておいて、ストーリーの面白さに入りましょうか。前作は主人公が明確だったじゃないですか。お父さんを殺された息子ですよ。でも今回はいっぱいいるんですね。まず前作で雪賊と括っていた集団も細かく分かれまして、傭賊(傭兵)、バトルホリック(ヒャッハー)になりました。そしておなじみNEVEC(組織)もネクストワン勢力、オールドワン勢力があったりします。このさまざまなキャラクターをキャプチャーごとに操作していきます。このキャラクターたちは考え方も違うし目的も違うんですけど、最終的にひとつの目的に結びついていくんですね。この過程がかっこいいのなんの。雪賊とNEVECなんて犬猿の仲ですよ。それがもう最終的にもうほんとかっこいいんです。詳しいことを書いてもしょうがないので一言で表すと「かっこいい」ですよ。というわけでおすすめですよ。
私が感想を書くのは発売されてからある程度時間が経ったものなんですが、この手のゲームは発売されてまもなく書きたい、皆様に早くお伝えしたい。この手っていうのはオンライン協力プレイのエームです。ゲームっていうのは日々発売されているものですから、ネット世界の流行も日々移り変わるんですね。何がいいたいかというと、つまりはロストプラネット2をやっている人がいなくならないうちにやったほうが面白いですよってことですよ。以上、きまぐれレビューでした。
パブリック・エネミー・テリトリー。
どーも、375です。
人間というのは敵を作りたがる。また、厄介なことに、人間は敵を共有できる。その共有できる範囲は大小様々で、小さいものであれば数人、大きいものであれば世界単位だ。
小さい単位の例として、よくあるのが学校のクラス単位である。いじめというやつがそれに当たるかどうかは別として、少なくともクラスの敵になった対象はよほどのことがない限り敵認定を解消できない。それは、敵を共有してしまっているからだ。
敵と認識している人間が一人であれば、その人間の中で「あれは敵ではない」と改めれば済む話だが、数人で共有してしまった場合、瞬時に「敵」から「敵ではない」に変えるには、共有している数人が同時に「敵ではない」と認識しなければならない。それは不可能だ。だからこそ、少しずつ敵ではないと認めてもらわなければならない。そうして敵と共有した人間全員が「あれは敵ではない」と認識していくといった過程が必要になる。
この流れは人数が多ければ多いだけ時間がかかる。単位がクラスであればなおさらだ。悲惨なのは「敵」と認識されるスピードと「敵ではない」と認識されるスピードの違いだ。「敵」という認識が共有されるスピードは、短ければ1日だ。集団の中にいるカリスマ性のある人間が「敵」と認識し、積極的に共有しようとすれば、すぐにでも認識は共有される。
かたや1日、かたや莫大な時間だ。
人間同士のつながり、先の例ではいわゆる「友達」。人間同士が繋がりやすいイベントの一つが「共通の敵」だ。AがBと「友達」になりたいとすれば、AはBが敵と認識しているものを共通の敵としている「フリ」をすればいい。これが1番厄介なのだ。
これはAとB、二人の関係だが、単位が大きくなった場合に起こる最悪の事態は、「敵ではないという認識をした人間は敵」と認識されることだ。こうなるともう手に負えない。もはや「敵と認識された対象」はただの敵に過ぎず、「集団が仲良くいるためのオブジェクト」になる。これがパブリックエネミーだ。
単位を大きくしてクラスから村にしてみよう。クラスのパプブリック・エネミーは、「集団と仲良くしていられない」レベルだが、村のパブリック・エネミーは、生活が出来ない。俗にいう「村八分」だ。この状態になった場合、パブリック・エネミー単体ではどうすることもできない。誰かに助けをもらう必要がある。閉鎖的な村でこうなった場合、パブリック・エネミーは死ぬしかない。
さて、ここまでは「パブリック・エネミー」が人だった場合だ。もしパブリック・エネミーが「抽象的なもの」だった場合、より深刻なものとなる。
パブリック・エネミーは「仲良くいるためのオブジェクト」であり、「パブリック・エネミーと仲良くするもの」は敵となる。この表現はパブリック・エネミーが人間であった場合であり、もしパブリック・エネミーが人間ではなくものや事柄だったらどうなるか。
ある「何か」がパブリック・エネミーだった場合、集団はその「何か」を肯定する人間を「敵」と認識する。例えば「タバコ」。タバコを嫌う集団の中で「タバコ」を肯定した人間は、集団の敵になる。下手をすれば肯定をした人間がパブリック・エネミーになる。これはパブリック・エネミーが人間だった場合より怖い。なぜなら、「敵」という認識が共有されるまでの早さが一瞬なのだ。
「何か」がパブリック・エネミーだった場合、「何か」を肯定した人間は「敵」という条件式が生まれる。そのため、「何か」を肯定したらすぐさま「敵」と認識していいという流れなのだ。これは本当に怖い。
近年、このパブリック・エネミーを利用しようとする風潮がある。パブリック・エネミーという共通の敵を作り出し、それを否定すれば集団と仲良くできる。短時間で信頼を得ることが出来る。パブリック・エネミーにされた対象はたまったものではない。また、パブリック・エネミーを肯定していた人間もたまったものではない。そんなことが起きれば芋ずる式に敵と認識される。
というわけでここまで長々と書かせていただきましたけど、結局何が言いたいかというと一つだけなんですね。私の購入するエロ本は結構パブリック・エネミーな感じなんですけど、それだからって「犯罪起こすなよ」とか「犯罪起こしたら『いつかやると思ってました』ってインタビューで答える」とか「ヘンタイ死ね」とか言われるのは心外なんですよ。そもそも犯罪起こしませんから。
こういうパブリック・エネミーは超カリスマ性のある誰かに肯定してもらえない限り解消されませんからね。イケメン俳優あたりに「俺、最近オイスターにはまってるんだよね」とか「マヨネーズさんは昔からのファンです」とかそういうことを言ってくれれば、パブリック・エネミーから一気に出世するし、心置きなく「あの俳優さんが買ってるから買ってるんだよ、僕ファンだし」とかそういういいわけもできるじゃないですか。私が買ってるエロ本の題名は教えられませんけど、そういうのってあるじゃないですか。だからもうほんと、社会間違ってる、超間違ってる。
どーも、375です。
人間というのは敵を作りたがる。また、厄介なことに、人間は敵を共有できる。その共有できる範囲は大小様々で、小さいものであれば数人、大きいものであれば世界単位だ。
小さい単位の例として、よくあるのが学校のクラス単位である。いじめというやつがそれに当たるかどうかは別として、少なくともクラスの敵になった対象はよほどのことがない限り敵認定を解消できない。それは、敵を共有してしまっているからだ。
敵と認識している人間が一人であれば、その人間の中で「あれは敵ではない」と改めれば済む話だが、数人で共有してしまった場合、瞬時に「敵」から「敵ではない」に変えるには、共有している数人が同時に「敵ではない」と認識しなければならない。それは不可能だ。だからこそ、少しずつ敵ではないと認めてもらわなければならない。そうして敵と共有した人間全員が「あれは敵ではない」と認識していくといった過程が必要になる。
この流れは人数が多ければ多いだけ時間がかかる。単位がクラスであればなおさらだ。悲惨なのは「敵」と認識されるスピードと「敵ではない」と認識されるスピードの違いだ。「敵」という認識が共有されるスピードは、短ければ1日だ。集団の中にいるカリスマ性のある人間が「敵」と認識し、積極的に共有しようとすれば、すぐにでも認識は共有される。
かたや1日、かたや莫大な時間だ。
人間同士のつながり、先の例ではいわゆる「友達」。人間同士が繋がりやすいイベントの一つが「共通の敵」だ。AがBと「友達」になりたいとすれば、AはBが敵と認識しているものを共通の敵としている「フリ」をすればいい。これが1番厄介なのだ。
これはAとB、二人の関係だが、単位が大きくなった場合に起こる最悪の事態は、「敵ではないという認識をした人間は敵」と認識されることだ。こうなるともう手に負えない。もはや「敵と認識された対象」はただの敵に過ぎず、「集団が仲良くいるためのオブジェクト」になる。これがパブリックエネミーだ。
単位を大きくしてクラスから村にしてみよう。クラスのパプブリック・エネミーは、「集団と仲良くしていられない」レベルだが、村のパブリック・エネミーは、生活が出来ない。俗にいう「村八分」だ。この状態になった場合、パブリック・エネミー単体ではどうすることもできない。誰かに助けをもらう必要がある。閉鎖的な村でこうなった場合、パブリック・エネミーは死ぬしかない。
さて、ここまでは「パブリック・エネミー」が人だった場合だ。もしパブリック・エネミーが「抽象的なもの」だった場合、より深刻なものとなる。
パブリック・エネミーは「仲良くいるためのオブジェクト」であり、「パブリック・エネミーと仲良くするもの」は敵となる。この表現はパブリック・エネミーが人間であった場合であり、もしパブリック・エネミーが人間ではなくものや事柄だったらどうなるか。
ある「何か」がパブリック・エネミーだった場合、集団はその「何か」を肯定する人間を「敵」と認識する。例えば「タバコ」。タバコを嫌う集団の中で「タバコ」を肯定した人間は、集団の敵になる。下手をすれば肯定をした人間がパブリック・エネミーになる。これはパブリック・エネミーが人間だった場合より怖い。なぜなら、「敵」という認識が共有されるまでの早さが一瞬なのだ。
「何か」がパブリック・エネミーだった場合、「何か」を肯定した人間は「敵」という条件式が生まれる。そのため、「何か」を肯定したらすぐさま「敵」と認識していいという流れなのだ。これは本当に怖い。
近年、このパブリック・エネミーを利用しようとする風潮がある。パブリック・エネミーという共通の敵を作り出し、それを否定すれば集団と仲良くできる。短時間で信頼を得ることが出来る。パブリック・エネミーにされた対象はたまったものではない。また、パブリック・エネミーを肯定していた人間もたまったものではない。そんなことが起きれば芋ずる式に敵と認識される。
というわけでここまで長々と書かせていただきましたけど、結局何が言いたいかというと一つだけなんですね。私の購入するエロ本は結構パブリック・エネミーな感じなんですけど、それだからって「犯罪起こすなよ」とか「犯罪起こしたら『いつかやると思ってました』ってインタビューで答える」とか「ヘンタイ死ね」とか言われるのは心外なんですよ。そもそも犯罪起こしませんから。
こういうパブリック・エネミーは超カリスマ性のある誰かに肯定してもらえない限り解消されませんからね。イケメン俳優あたりに「俺、最近オイスターにはまってるんだよね」とか「マヨネーズさんは昔からのファンです」とかそういうことを言ってくれれば、パブリック・エネミーから一気に出世するし、心置きなく「あの俳優さんが買ってるから買ってるんだよ、僕ファンだし」とかそういういいわけもできるじゃないですか。私が買ってるエロ本の題名は教えられませんけど、そういうのってあるじゃないですか。だからもうほんと、社会間違ってる、超間違ってる。
面白いことをやるために試行錯誤をするのって楽しい。
どーも、375です。
ここ数日、血を噴霧しながら試行錯誤を繰り広げた次世代ゲーム機を配信する方法をまとめます。ほんとに試行錯誤したんだから。まずはじめに登場人物を紹介します。
次世代ゲーム機
昔のゲーム機は「黄色い端子をうまいこと持ち上げていないと映像が映らない」なんてことが頻繁にありましたが、次世代ゲーム機はHDMIという、音も映像もこれ一本的な魔法の線が用いられています。ハイデフ!フルハイビジョン!
キャプチャボード
ゲーム機の音と映像を僕が「ムムムムムム・・・でやー!!!」とかやって皆さんのご家庭に届けられればそれに越したことないんですけど、そんなことできません。絶対頭が爆発します。というわけでキャプチャボードというものを使います。次世代ゲーム機から出てるHDMIをキャプチャボードで受け止めるわけですね。僕の持っているキャプチャボードは「スルー出力」ということができるので、パソコンに取り込みつつ、テレビに出力、なんてこともできます。最近はHDMIを受け取れるキャプチャボードもそこそこな値段まで落ちてきているようです。いい時代だね。
パソコン
キャプチャボード単体にHDMIをさして正座で眺めていてもシュールすぎるので、キャプチャボードはパソコンにつけましょう。で、このパソコンなんですけど、僕はさっぱりです。いいやつですよ、いいやつ。グラフィックボードやらなんやらあるみたいですけどさっぱりなので、そこら辺は詳しい人に聞いてください。僕のパソコンは自作(全部作ってもらった)で、馬鹿みたいにでかいケースです。中からタレットが出てきそうなくらいでかい。
ミキサー
キャプチャボードにHDMIをさすと、パソコンに次世代ゲーム機の映像と音が出力されます。しかし、配信はできないんですよ、なんか知らないけど。映像は出せるけど音声は出せないんですね。というわけで外付けのミキサーを用意します。ここで問題になってくるのが、「PCからミキサーへの出力方法」と「ミキサーからPCへの出力方法」です。USB入力、USB出力ができるミキサーはいっぱいあるんですけど、このUSBというのは一方通行みたいなんですね。出力か入力どちらかしかできないの。
ミニプラグ<->コンポジット
万年片思いのUSBは「ミキサーからPCへの出力」として使用します。これは、PCからみて「何か外部ミキサーがある」とデジタルの世界で認識してもらうためです。というわけで、PCからミキサーへの出力はアナログで行います。しかし、PCからアナログで出力できる穴というのは、PCの裏についてる「LINEOUT」くらいなものです。ヘッドフォンをさす穴ですね。ヘッドフォンをさす穴にヘッドフォンを挿すとスピーカーから音が出なくなりますが、LINEOUTであれば何かを指しても大丈夫です。さて、問題はミキサー側の受け口です。僕のプラグはミニプラグの穴なんてなくて、あるのは太い標準ジャックの穴と、超太キャノン、そしてコンポジット端子です。標準ジャックとキャノンの見た目はググってください。このコンポジット端子というのは昔のゲームであった赤と白のやつです。左側がミニプラグのオスで、右側がコンポジットのオスになっている線があれば、パソコンからミキサーへアナログ出力ができるわけですね。
ここまでのまとめ
登場人物をまとめると、「次世代ゲーム機」、「キャプチャボード」、「パソコン」、「ミキサー」、「ミニプラグ<->コンポジット」、これで配信できました。他にもテレビとかディスプレイとかキーボードおかありますが、それはパソコンに絶対ついてるものなので省きます。「あれ?キーボードないのwwwどうやって文字打つのwww」といかいう輩は携帯電話の液晶が蜘蛛の巣みたいになっちゃえばいい。
この登場人物をつなげていきます。
次世代ゲーム機からのHDMIを、キャプチャボードで受け取ります。パソコンからミキサーへミニプラグ<->コンポジット変換ケーブルを使ってアナログ出力します。ミキサーからパソコンへUSBで出力します。あとは、ミキサーにマイクをつけたり、パソコンからテレビへスルー出力したりして、配信しつつもゲームは快適に、といった環境を作り上げます。はいこれで配信環境完成です。
スタッフロール
次世代ゲーム機「PS3とかXbox360」
キャプチャボード「Intensity Pro」
パソコン「なんかでかいの」
ミキサー「YAMAHA MW12」
ミニプラグ<->コンポジット「オーテクのやつ」
いろいろな結論
キャプチャーのスルー出力でテレビに出力されている動画は、パソコンで見るよりディレイがない。RezHD(シューティングっぽいやつ)ができるレベル。
今の問題点
こないだテスト配信した結果、特に問題ないということはわかりましたが、回線がADSLなので、画質を落とさざるを得ないといった深刻な問題があります。 やはり時代は光ファイバーですよ。おすすめのプロバイダを教えてください。また、パソコンがフリーズしてにっちもさっちもいかなくなったこともありました。そういうことがおきないようにするにはどうすればいいかも考えなければなりませぬ。なりませぬ!なりませぬ!あーれー!
テスト動画
http://livetube.cc/375/375%E3%81%AE360%E9%85%8D%E4%BF%A1%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88-RezHD
というわけで今日はここまで。ではでは。
どーも、375です。
ここ数日、血を噴霧しながら試行錯誤を繰り広げた次世代ゲーム機を配信する方法をまとめます。ほんとに試行錯誤したんだから。まずはじめに登場人物を紹介します。
次世代ゲーム機
昔のゲーム機は「黄色い端子をうまいこと持ち上げていないと映像が映らない」なんてことが頻繁にありましたが、次世代ゲーム機はHDMIという、音も映像もこれ一本的な魔法の線が用いられています。ハイデフ!フルハイビジョン!
キャプチャボード
ゲーム機の音と映像を僕が「ムムムムムム・・・でやー!!!」とかやって皆さんのご家庭に届けられればそれに越したことないんですけど、そんなことできません。絶対頭が爆発します。というわけでキャプチャボードというものを使います。次世代ゲーム機から出てるHDMIをキャプチャボードで受け止めるわけですね。僕の持っているキャプチャボードは「スルー出力」ということができるので、パソコンに取り込みつつ、テレビに出力、なんてこともできます。最近はHDMIを受け取れるキャプチャボードもそこそこな値段まで落ちてきているようです。いい時代だね。
パソコン
キャプチャボード単体にHDMIをさして正座で眺めていてもシュールすぎるので、キャプチャボードはパソコンにつけましょう。で、このパソコンなんですけど、僕はさっぱりです。いいやつですよ、いいやつ。グラフィックボードやらなんやらあるみたいですけどさっぱりなので、そこら辺は詳しい人に聞いてください。僕のパソコンは自作(全部作ってもらった)で、馬鹿みたいにでかいケースです。中からタレットが出てきそうなくらいでかい。
ミキサー
キャプチャボードにHDMIをさすと、パソコンに次世代ゲーム機の映像と音が出力されます。しかし、配信はできないんですよ、なんか知らないけど。映像は出せるけど音声は出せないんですね。というわけで外付けのミキサーを用意します。ここで問題になってくるのが、「PCからミキサーへの出力方法」と「ミキサーからPCへの出力方法」です。USB入力、USB出力ができるミキサーはいっぱいあるんですけど、このUSBというのは一方通行みたいなんですね。出力か入力どちらかしかできないの。
ミニプラグ<->コンポジット
万年片思いのUSBは「ミキサーからPCへの出力」として使用します。これは、PCからみて「何か外部ミキサーがある」とデジタルの世界で認識してもらうためです。というわけで、PCからミキサーへの出力はアナログで行います。しかし、PCからアナログで出力できる穴というのは、PCの裏についてる「LINEOUT」くらいなものです。ヘッドフォンをさす穴ですね。ヘッドフォンをさす穴にヘッドフォンを挿すとスピーカーから音が出なくなりますが、LINEOUTであれば何かを指しても大丈夫です。さて、問題はミキサー側の受け口です。僕のプラグはミニプラグの穴なんてなくて、あるのは太い標準ジャックの穴と、超太キャノン、そしてコンポジット端子です。標準ジャックとキャノンの見た目はググってください。このコンポジット端子というのは昔のゲームであった赤と白のやつです。左側がミニプラグのオスで、右側がコンポジットのオスになっている線があれば、パソコンからミキサーへアナログ出力ができるわけですね。
ここまでのまとめ
登場人物をまとめると、「次世代ゲーム機」、「キャプチャボード」、「パソコン」、「ミキサー」、「ミニプラグ<->コンポジット」、これで配信できました。他にもテレビとかディスプレイとかキーボードおかありますが、それはパソコンに絶対ついてるものなので省きます。「あれ?キーボードないのwwwどうやって文字打つのwww」といかいう輩は携帯電話の液晶が蜘蛛の巣みたいになっちゃえばいい。
この登場人物をつなげていきます。
次世代ゲーム機からのHDMIを、キャプチャボードで受け取ります。パソコンからミキサーへミニプラグ<->コンポジット変換ケーブルを使ってアナログ出力します。ミキサーからパソコンへUSBで出力します。あとは、ミキサーにマイクをつけたり、パソコンからテレビへスルー出力したりして、配信しつつもゲームは快適に、といった環境を作り上げます。はいこれで配信環境完成です。
スタッフロール
次世代ゲーム機「PS3とかXbox360」
キャプチャボード「Intensity Pro」
パソコン「なんかでかいの」
ミキサー「YAMAHA MW12」
ミニプラグ<->コンポジット「オーテクのやつ」
いろいろな結論
キャプチャーのスルー出力でテレビに出力されている動画は、パソコンで見るよりディレイがない。RezHD(シューティングっぽいやつ)ができるレベル。
今の問題点
こないだテスト配信した結果、特に問題ないということはわかりましたが、回線がADSLなので、画質を落とさざるを得ないといった深刻な問題があります。 やはり時代は光ファイバーですよ。おすすめのプロバイダを教えてください。また、パソコンがフリーズしてにっちもさっちもいかなくなったこともありました。そういうことがおきないようにするにはどうすればいいかも考えなければなりませぬ。なりませぬ!なりませぬ!あーれー!
テスト動画
http://livetube.cc/375/375%E3%81%AE360%E9%85%8D%E4%BF%A1%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88-RezHD
というわけで今日はここまで。ではでは。
常識クソッタレ理論。
どーも、375です。
これは織姫様と彦星様が取っ組み合いの大喧嘩をするくらいの確立で書かれるまじめな文章です。このまじめさたるや、駄洒落の内容を聞き返すくらいです。「布団が吹っ飛んだ」「どうして?」という、想像もしたくない亜空間なまじめさです。そもそも駄洒落というものは難しく、暗黙の了解で知れ渡っている駄洒落のルールを常識として知っていなくてはならないので、それを知らない白いタイツを穿いた王子様みたいな人はすぐに聞き返しちゃうわけですよ。「ディスプレイの横にディ・スプレー!」「どういう意味ですか?」なんていう聞き返し方をしちゃうわけです。今思えばなんでこんな駄洒落を言ったのかわからない。過去に戻って自分を説教したい。
相手が駄洒落を言ったら意味とか問わないでスルーして笑うというルールはどのくらい常識なのかという話題になると、常識というものはどういう意味なのかという話になるわけです。今回はそんな常識の話。
この常識という単語を辞書で調べてみると、こんなことが書いてあります。「ある社会で、人々の間で広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力」。とても曖昧。近所にあるコンビニの店員さんが発する「らっさま」くらい曖昧。いらっしゃいませなの?何かの掛け声なの?「らっ」っていうお客様がいるの?
この曖昧さは「広く」という数値で表現できない範囲が原因でしょう。広くの定義というのは人それぞれ違って、しかも年齢や気分によっても違うのです。前髪が若干後退気味の男性に「おでこ広くない?」なんていう聞き方をしたら「広くねぇよ!」と怒鳴られて携帯電話の角で鼻頭を殴られ続ける地獄絵図になるじゃないですか。でもテッカテカでピッチピチのボディコンな美人さんが「おでこが広くて素敵ですね」なんていう言い方をしたらもう男性はデヘデヘじゃないですか、お酒が入っていれば。シラフだったら携帯電話で鼻頭を殴られちゃいますけど、お酒が入っていれば大丈夫じゃないですか。気分がよれけば大丈夫じゃないですか。つまり「広く」という範囲はとても曖昧なのです。電気屋の店員くらい曖昧。「mp3も再生できると思います」ってどういうこと。
そんな曖昧な「広く」は、いつも悩みの種なのです。8割とかそういう数値で表してくれればいいものを「広く」ですからね。不動産が「広いキッチンです」なんていったのに超狭くて、文句を言ったら「私は広く感じました」なんていう返しをくらってしまう可能性があるくらい、「広く」は危険なのです。つまり、それだけ「常識」は常に揺らいでいるのです。
アブノーマルの代名詞だったアナル関連の話題だって、今や「アナニー」なんて単語が生まれるくらい常識ですし、洋式便器のタンクを抱きかかえるようにして用を足すのも常識です。数多くの人にご承認いただいているのです。そんな、揺らぎ続ける常識の中で、揺らがない常識というのは何でしょうか。
ご飯をゆっくり食べるというのは「ゆっくり食べた方がいい理由」がちゃんとあるので常識ではありません。たとえ広くご承認されていない事柄でも、理由があるものは常識でなくても堂々と出来ると思うのです。これに関してはご承認いただこうがいただけなかろうが関係ありません。ゆるぎない常識はきっと理由が無いものなのです。
理由の無い常識とは、例えば「排泄はトイレで行う」とか「人と会ったら挨拶をする」とか。こういうのが「ゆるぎない常識」。しかし「ゆるぎない常識」は「理由が無いこと」だけではなく、きっと「間違ったこと」もゆるぎない常識なのです。
通常、人間は間違った行動を避けます。目の前に毒とわかっている液体があったとしたら、それを飲みません。飲むのはバカだけです。しかし、間違ったことでもやってしまうことがあるのです。バカでなくてもやってしまうことがあるのです。それが「間違った常識」です。
牛乳が体にいいなんて認識がありますが、本当にいいのでしょうか。私は小さい頃から学校で出される牛乳を飲み続けてきたので、当然体にいいと思っていましたし、飲めば飲むほどいいと思っていました。カルシウムが取れるから牛乳。健康のために牛乳。とりあえず牛乳。困ったら牛乳に相談。そんな最強の健康飲料だと思っていました。
そしてあるとき、ふと思ったのです。『これは牛の子供が飲むものなのに、なぜ私は当たり前のようにこれを飲んでいるのだろう。私たちはこれを分解できるのだろうか。本当に健康なのだろうか。カルシウムは取れるのだろうか。相談してもいいのだろうか。』冷静に考えてみれば、これは牛の赤ちゃんのためのもので、成長したら牛でさえ飲みません。これを人間が飲んでも大丈夫なのだろうか、なんてことを思ったのです。何も理由もなく「健康」だとか「カルシウム」だとか言われて飲んでいた牛乳を見て、ふと思ったのです。
考えても見てください。「牛乳が嫌い」ならまだしも、「牛乳を飲むと腹を下す」なんていう人がいるのです。私は「牛乳が飲めない人」というくくりをしていましたが、もしかして私が「牛乳を飲める人」で、牛乳を飲むと腹を下す人こそ正常な人間なのではないでしょうか。
さて、牛乳が体にいいか悪いかは別として、ここで働いてくる恐ろしい常識があって、牛乳に関わらず「摂取することが常識とされている何か」が体に悪いとわかり摂取をやめた場合、ここで問題なのが「摂取することが常識」ということ。つまり、摂取しないとおかしな人と思われてしまうのです。
もう牛乳の話は終わりましたよ。これは牛乳ではなくて、みんなが当然のように飲んでいる何かだと思ってください。それの飲み物が体に悪いとあなたは気付きました。それで飲むのをやめたとき、みんなが「なんで飲まないの?おかしいんじゃないの?」となるわけです。この恐ろしい常識ばかりは、どんなに正当な理由があったとしても、承認されないのです。それを気にしないことだけが逃げ道なのです。
ところで、先日配信で提唱した「万力オナニー」の評判が非常によろしくなかったんですけど、あれも君たちは「万力は何かを止めておくもの」なんていう理由のない常識に縛られているからなので、あんなに批判しなくてもいいと思うんですよ。かなり凹んだんですからまじで。
どーも、375です。
これは織姫様と彦星様が取っ組み合いの大喧嘩をするくらいの確立で書かれるまじめな文章です。このまじめさたるや、駄洒落の内容を聞き返すくらいです。「布団が吹っ飛んだ」「どうして?」という、想像もしたくない亜空間なまじめさです。そもそも駄洒落というものは難しく、暗黙の了解で知れ渡っている駄洒落のルールを常識として知っていなくてはならないので、それを知らない白いタイツを穿いた王子様みたいな人はすぐに聞き返しちゃうわけですよ。「ディスプレイの横にディ・スプレー!」「どういう意味ですか?」なんていう聞き返し方をしちゃうわけです。今思えばなんでこんな駄洒落を言ったのかわからない。過去に戻って自分を説教したい。
相手が駄洒落を言ったら意味とか問わないでスルーして笑うというルールはどのくらい常識なのかという話題になると、常識というものはどういう意味なのかという話になるわけです。今回はそんな常識の話。
この常識という単語を辞書で調べてみると、こんなことが書いてあります。「ある社会で、人々の間で広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力」。とても曖昧。近所にあるコンビニの店員さんが発する「らっさま」くらい曖昧。いらっしゃいませなの?何かの掛け声なの?「らっ」っていうお客様がいるの?
この曖昧さは「広く」という数値で表現できない範囲が原因でしょう。広くの定義というのは人それぞれ違って、しかも年齢や気分によっても違うのです。前髪が若干後退気味の男性に「おでこ広くない?」なんていう聞き方をしたら「広くねぇよ!」と怒鳴られて携帯電話の角で鼻頭を殴られ続ける地獄絵図になるじゃないですか。でもテッカテカでピッチピチのボディコンな美人さんが「おでこが広くて素敵ですね」なんていう言い方をしたらもう男性はデヘデヘじゃないですか、お酒が入っていれば。シラフだったら携帯電話で鼻頭を殴られちゃいますけど、お酒が入っていれば大丈夫じゃないですか。気分がよれけば大丈夫じゃないですか。つまり「広く」という範囲はとても曖昧なのです。電気屋の店員くらい曖昧。「mp3も再生できると思います」ってどういうこと。
そんな曖昧な「広く」は、いつも悩みの種なのです。8割とかそういう数値で表してくれればいいものを「広く」ですからね。不動産が「広いキッチンです」なんていったのに超狭くて、文句を言ったら「私は広く感じました」なんていう返しをくらってしまう可能性があるくらい、「広く」は危険なのです。つまり、それだけ「常識」は常に揺らいでいるのです。
アブノーマルの代名詞だったアナル関連の話題だって、今や「アナニー」なんて単語が生まれるくらい常識ですし、洋式便器のタンクを抱きかかえるようにして用を足すのも常識です。数多くの人にご承認いただいているのです。そんな、揺らぎ続ける常識の中で、揺らがない常識というのは何でしょうか。
ご飯をゆっくり食べるというのは「ゆっくり食べた方がいい理由」がちゃんとあるので常識ではありません。たとえ広くご承認されていない事柄でも、理由があるものは常識でなくても堂々と出来ると思うのです。これに関してはご承認いただこうがいただけなかろうが関係ありません。ゆるぎない常識はきっと理由が無いものなのです。
理由の無い常識とは、例えば「排泄はトイレで行う」とか「人と会ったら挨拶をする」とか。こういうのが「ゆるぎない常識」。しかし「ゆるぎない常識」は「理由が無いこと」だけではなく、きっと「間違ったこと」もゆるぎない常識なのです。
通常、人間は間違った行動を避けます。目の前に毒とわかっている液体があったとしたら、それを飲みません。飲むのはバカだけです。しかし、間違ったことでもやってしまうことがあるのです。バカでなくてもやってしまうことがあるのです。それが「間違った常識」です。
牛乳が体にいいなんて認識がありますが、本当にいいのでしょうか。私は小さい頃から学校で出される牛乳を飲み続けてきたので、当然体にいいと思っていましたし、飲めば飲むほどいいと思っていました。カルシウムが取れるから牛乳。健康のために牛乳。とりあえず牛乳。困ったら牛乳に相談。そんな最強の健康飲料だと思っていました。
そしてあるとき、ふと思ったのです。『これは牛の子供が飲むものなのに、なぜ私は当たり前のようにこれを飲んでいるのだろう。私たちはこれを分解できるのだろうか。本当に健康なのだろうか。カルシウムは取れるのだろうか。相談してもいいのだろうか。』冷静に考えてみれば、これは牛の赤ちゃんのためのもので、成長したら牛でさえ飲みません。これを人間が飲んでも大丈夫なのだろうか、なんてことを思ったのです。何も理由もなく「健康」だとか「カルシウム」だとか言われて飲んでいた牛乳を見て、ふと思ったのです。
考えても見てください。「牛乳が嫌い」ならまだしも、「牛乳を飲むと腹を下す」なんていう人がいるのです。私は「牛乳が飲めない人」というくくりをしていましたが、もしかして私が「牛乳を飲める人」で、牛乳を飲むと腹を下す人こそ正常な人間なのではないでしょうか。
さて、牛乳が体にいいか悪いかは別として、ここで働いてくる恐ろしい常識があって、牛乳に関わらず「摂取することが常識とされている何か」が体に悪いとわかり摂取をやめた場合、ここで問題なのが「摂取することが常識」ということ。つまり、摂取しないとおかしな人と思われてしまうのです。
もう牛乳の話は終わりましたよ。これは牛乳ではなくて、みんなが当然のように飲んでいる何かだと思ってください。それの飲み物が体に悪いとあなたは気付きました。それで飲むのをやめたとき、みんなが「なんで飲まないの?おかしいんじゃないの?」となるわけです。この恐ろしい常識ばかりは、どんなに正当な理由があったとしても、承認されないのです。それを気にしないことだけが逃げ道なのです。
ところで、先日配信で提唱した「万力オナニー」の評判が非常によろしくなかったんですけど、あれも君たちは「万力は何かを止めておくもの」なんていう理由のない常識に縛られているからなので、あんなに批判しなくてもいいと思うんですよ。かなり凹んだんですからまじで。
配信の練習をしていましたよ。
どーも、375です。
ここ数年は猫も杓子も配信配信で、配信が大ブームですよ。たぶんあそこの交番前で面倒臭そうに立っているお巡りさんだって今頃絶賛配信中です。
ネットワークが進化して一般ユーザーでも世界に対して情報を発信できるようになりましたが、この発信できる情報も日々進化しました。最初はちょっとした文章でしたが、画像やら動画やら、いろいろなものが配信できるようになりました。おかげで個々の黒歴史も増えたわけですが、それはまた別の話。
しかも最近はリアルタイムで情報を発信できるわけですよ。ネットラジオとか目じゃないです。動画ですよ動画。動画をリアルタイムで配信できるわけです。
そんな動画配信を始めて見たのは結構最近で、たぶん2007年くらいでした。2007年といえば激動の年です。あのニコニコ動画がひっそりと始動した時代ですね。そのときはニコニコ動画の仕組みが面白くて、「これがyoutubeの二番煎じじゃなかったらもっと面白いのに」とか思っていました。今じゃもっと大変なことになっていますね。
さて、そんな2007年にどんなきっかけで配信を見るようになったかというと、これが普通のテレビ番組なんですね。
見たいテレビ番組があったのですが、私の部屋ではテレビが見られない。違う部屋では家族がテレビを独占している。悔しい。しかし昭和の人が夢見た時代に生きている私が「テレビが誰かに占領されているから見られない」なんて下唇を尖らせて言うはずがありません。
とりあえずgoogle先生で調べると、なんとまぁ、普通に地上波を垂れ流しにしているものがあるらしくて、いやもうこれは本当にすごいんですが、当時の知識では何をどうしたらいいかわからなかったんですね。
さて困った。可能だけどどうしたらいいかわからない。しょんぼり。ここで一旦諦めて、googleで「マイクロビキニ」とか検索していたわけですが、そこで偶然、「ピアキャスト」ってものが眼に留まったんですね。
この「ピアキャスト」がすごくて、芸能人でもなんでもない人が、当時人気が爆発し始めた「ゲームセンターCX」みたいなことをやっているわけですよ。この不思議感覚がものすごくて、見たいテレビ番組とかはもう忘れちゃうくらいの衝撃でした。
しかしいくら普通の人っていっても「ネットで配信ができる程度の能力」を持った人ですよ。僕なんて「ネットでマイクロビキニと検索して出てきたサイトのリンクをたどっていったらウィンドウがすごい勢いでポコポコでてきて泣きそうになる程度の能力」しかなかったので、すごいなぁ、いいなぁ、なんて思っていました。
さて、時代は進み2007年。その頃僕は「SIREN」という2003年に発売されたゲームを未だにやっていました。このゲームが面白いのなんのという話はまた別の機会にするとして、そのSIRENの時計をフラッシュで作っていた「shimizuhouse.net」というサイトをリンクしていたんですね。
このshimizuさんという人が配信について色々書いていたんです。その中で「livetube」っていいよね的な文章がありまして、当時の僕は「ポルノチューブとかそういう類かな」なんて思っていました。
「livetube」というのは、ものすごく簡単に配信が見れて、そしてものすごく簡単に配信ができちゃうという、すごいWebサービスです。しかし、まだピアキャストに夢中だった私は、存在だけを知っただけで、livetubeで配信を見たりしませんでした。
2008年、当時大人気だった「永井浩二」が配信をしなくなってしまいました。このショックたるや、「これから何を楽しみにしていけばいいんだ」とか思ってしまうレベル。いやほんと、あの楽しさはすごかった。
永井配信の面白さとかそういうのも別の機会です。ピアキャストの頭がいなくなってしまい、ピアキャストへの興味がなくなってしまいました。それからしばらく配信というものに触れていませんでしたね。
さて、時は2008年終盤。ひょんなことからマイミクになった「伏見良太」がlivetubeで配信を始めると言い始めました。僕はこの人のことが大好きなので、また配信を見始めることになったのです。
それから2009年はほとんど伏見配信を見て過ごしました。livetubeは配信した後も動画として残るので、仕事で配信が見れなくても後から見れるのです。しかしリアルタイムとそうではないものでは面白さが全く違うんですけどね。
そして2009年の終盤。なぜか375presentsのカルが配信を始めました。かなりまったりとして配信なんですけど、よく知っている人が配信をしていると何か面白いものがありましたね。
で、2010年。やっとつながった。長い。375の配信デビューにつながるわけです。375はちょくちょくカルの配信に顔を出し始めました。色々と更新が止まっていたのもこの計画を練りまくっていたからなのです。(嘘)
これからどうなるのか。乞うご期待。そんなに期待されても困ります。具体的にはゲーム配信とかできたらいいなぁ、なんて思っていますが、僕の家はまさかのADSLです。この時代にADSL。ちょっと前まで「え、お前ISDNなの?テwwwレwwwフォwwwタwwwイwwwムwww」とか言っいたのに、最近じゃあ「えーADSLー?きもーい」とか言われる始末。これじゃあ動画配信どころか、yourfileなんとかの動画再生もおぼつかない。残念。
あとの問題は回線だけなので、いろいろと吟味してどうしようか考えます。光回線にしなきゃいけないんだろうなぁ。
今回の日記で話題になった配信者について。
shimizuさんの配信は、稀にサイト上で告知される仕組みになっています。
伏見良太さんの配信は、現在ピアキャストで行われています。
カルはlivetubeで配信しています。たまに375もお邪魔しています。
どーも、375です。
ここ数年は猫も杓子も配信配信で、配信が大ブームですよ。たぶんあそこの交番前で面倒臭そうに立っているお巡りさんだって今頃絶賛配信中です。
ネットワークが進化して一般ユーザーでも世界に対して情報を発信できるようになりましたが、この発信できる情報も日々進化しました。最初はちょっとした文章でしたが、画像やら動画やら、いろいろなものが配信できるようになりました。おかげで個々の黒歴史も増えたわけですが、それはまた別の話。
しかも最近はリアルタイムで情報を発信できるわけですよ。ネットラジオとか目じゃないです。動画ですよ動画。動画をリアルタイムで配信できるわけです。
そんな動画配信を始めて見たのは結構最近で、たぶん2007年くらいでした。2007年といえば激動の年です。あのニコニコ動画がひっそりと始動した時代ですね。そのときはニコニコ動画の仕組みが面白くて、「これがyoutubeの二番煎じじゃなかったらもっと面白いのに」とか思っていました。今じゃもっと大変なことになっていますね。
さて、そんな2007年にどんなきっかけで配信を見るようになったかというと、これが普通のテレビ番組なんですね。
見たいテレビ番組があったのですが、私の部屋ではテレビが見られない。違う部屋では家族がテレビを独占している。悔しい。しかし昭和の人が夢見た時代に生きている私が「テレビが誰かに占領されているから見られない」なんて下唇を尖らせて言うはずがありません。
とりあえずgoogle先生で調べると、なんとまぁ、普通に地上波を垂れ流しにしているものがあるらしくて、いやもうこれは本当にすごいんですが、当時の知識では何をどうしたらいいかわからなかったんですね。
さて困った。可能だけどどうしたらいいかわからない。しょんぼり。ここで一旦諦めて、googleで「マイクロビキニ」とか検索していたわけですが、そこで偶然、「ピアキャスト」ってものが眼に留まったんですね。
この「ピアキャスト」がすごくて、芸能人でもなんでもない人が、当時人気が爆発し始めた「ゲームセンターCX」みたいなことをやっているわけですよ。この不思議感覚がものすごくて、見たいテレビ番組とかはもう忘れちゃうくらいの衝撃でした。
しかしいくら普通の人っていっても「ネットで配信ができる程度の能力」を持った人ですよ。僕なんて「ネットでマイクロビキニと検索して出てきたサイトのリンクをたどっていったらウィンドウがすごい勢いでポコポコでてきて泣きそうになる程度の能力」しかなかったので、すごいなぁ、いいなぁ、なんて思っていました。
さて、時代は進み2007年。その頃僕は「SIREN」という2003年に発売されたゲームを未だにやっていました。このゲームが面白いのなんのという話はまた別の機会にするとして、そのSIRENの時計をフラッシュで作っていた「shimizuhouse.net」というサイトをリンクしていたんですね。
このshimizuさんという人が配信について色々書いていたんです。その中で「livetube」っていいよね的な文章がありまして、当時の僕は「ポルノチューブとかそういう類かな」なんて思っていました。
「livetube」というのは、ものすごく簡単に配信が見れて、そしてものすごく簡単に配信ができちゃうという、すごいWebサービスです。しかし、まだピアキャストに夢中だった私は、存在だけを知っただけで、livetubeで配信を見たりしませんでした。
2008年、当時大人気だった「永井浩二」が配信をしなくなってしまいました。このショックたるや、「これから何を楽しみにしていけばいいんだ」とか思ってしまうレベル。いやほんと、あの楽しさはすごかった。
永井配信の面白さとかそういうのも別の機会です。ピアキャストの頭がいなくなってしまい、ピアキャストへの興味がなくなってしまいました。それからしばらく配信というものに触れていませんでしたね。
さて、時は2008年終盤。ひょんなことからマイミクになった「伏見良太」がlivetubeで配信を始めると言い始めました。僕はこの人のことが大好きなので、また配信を見始めることになったのです。
それから2009年はほとんど伏見配信を見て過ごしました。livetubeは配信した後も動画として残るので、仕事で配信が見れなくても後から見れるのです。しかしリアルタイムとそうではないものでは面白さが全く違うんですけどね。
そして2009年の終盤。なぜか375presentsのカルが配信を始めました。かなりまったりとして配信なんですけど、よく知っている人が配信をしていると何か面白いものがありましたね。
で、2010年。やっとつながった。長い。375の配信デビューにつながるわけです。375はちょくちょくカルの配信に顔を出し始めました。色々と更新が止まっていたのもこの計画を練りまくっていたからなのです。(嘘)
これからどうなるのか。乞うご期待。そんなに期待されても困ります。具体的にはゲーム配信とかできたらいいなぁ、なんて思っていますが、僕の家はまさかのADSLです。この時代にADSL。ちょっと前まで「え、お前ISDNなの?テwwwレwwwフォwwwタwwwイwwwムwww」とか言っいたのに、最近じゃあ「えーADSLー?きもーい」とか言われる始末。これじゃあ動画配信どころか、yourfileなんとかの動画再生もおぼつかない。残念。
あとの問題は回線だけなので、いろいろと吟味してどうしようか考えます。光回線にしなきゃいけないんだろうなぁ。
今回の日記で話題になった配信者について。
shimizuさんの配信は、稀にサイト上で告知される仕組みになっています。
伏見良太さんの配信は、現在ピアキャストで行われています。
カルはlivetubeで配信しています。たまに375もお邪魔しています。
私を名前で呼んでくれたら、君と私は友達。
どーも、375です。
ここ最近はよく映画館へ行っております。私は大の映画好きなんですけども、別に映画館じゃなくてもいいでしょ、なんて思っていました。しかしこの間夜勤明けに見たアバター3Dがすごくて、これは映画館に行かなければ味わえない、なんて思ったら、私の中で映画館へ足を運んで映画を見ることに価値が生まれたのです。
アバターはすごかった。ストーリーは置いておいて、映像が素晴らしかった。従来の3Dといったら、向こう側から飛んでくる斧とか破片だけ立体ですけど、他は普通です、みたいなものなんですけど、アバターはフル3Dですから。全部3Dです。ほんとに全部立体。
この世界観がすごい。うらやましい。アバターの感想は一言、「うらやましい」。パンドラという世界が舞台なんですけど、この世界がカラフルなことカラフルなこと。映画館から出たときに、あれちょっと色彩薄くない、とか思っちゃうくらい鮮やかです。ストーリーは置いておいて、この世界がうらやましくて涙が出ますね。感動とかじゃなくて、うらやましくて涙がでます。
さて、そんなこんなで映画館によく行きだしまして、先日も映画館に足を運ぶ予定がありました。17時30分に映画館の前で待ち合わせねー、なんて約束になっていたのですが、ちょっと浮かれちゃいましてね、16時くらいに家を出ました。映画に誘われるなんて久しぶりだったので、たいそう浮かれていましたよ。
ちょっと浮かれすぎちゃったのかな、最寄り駅まで自転車で向かったんですけど、その途中でヤンキーに絡まれましてね、いやもうえらいめにあった。
痛いことはもちろん、喧嘩なんてもってのほかな375さんですから、いくら安値で喧嘩を売られようとも買いませんよ。あげるって言われてももらいません。よくわからないことを言って煙に巻こうとしたんですね。そしたらこれが面白くなっちゃって。
「いま僕は駅に向かっていまして、これがとても急いでいるんですよ。とてもといっても生半可なとてもじゃないですよ、すごいとてもです。このすごさときたら自転車のチェーンから火が出るレベル。いやいや話を聞いてくださいよ、この急いでいる用事というのが実はですね、僕のおばあちゃんが死にそうっていう連絡をうけましてね、ほら、僕からみておばあちゃんってことは、あっちからみて僕は孫じゃないですか。孫としておばあちゃんが死ぬ前に財布からお金を盗んだこととか謝らないといけないななんて思ったわけですよ。ええ病気です。たしか捻挫。いやいや落ち着いてくださいよ捻挫でも人は死ぬんですよ。まぁね捻挫といえばUFOですけども、このUFOというのはアダムスキー型というのがありましてね、わけわかんねぇことじゃないですよ、まぁ話は聞いてくださいよ、この話が後々生きてくるわけですよ。このアダムスキー型っていうのはその名の通りアダムスキーさんって言う人が考え出したからそんな名前なんですね。さておき、司法試験なんですけども、これの願書の締め切りが今日、っていうことでこれも急いでいるんですね。司法試験っていうのは長い間勉強をしなくちゃいけませんから、もうね、これを出し忘れたら僕の1年間が無駄になっちゃいますから。スパゲッティはカルボナーラがすきです。」
ヤンキーの頭の上がクエスチョンマークでいっぱいになりだしたころ、ふと携帯電話の時計に目をやると、17時28分。遅刻決定ですよ、大決定です。よくわからないことを高速で喋る人を1時間以上相手にしていたヤンキーもすごいですけど、それより映画です。映画の待ち合わせに遅れちゃう。しかも事前連絡もしてない。これはやばい。
「というわけで映画を見に行くんでばいばい」
え、いままでの話は、みたいな、鳩がバズーカ撃たれたみたいな顔してましたよヤンキー。ほんとは2時間も3時間も続けた挙句に「というわけでジュースを買いに行くのです」とかどうでもいい要件をいってポカンとさせたかったのですが、そうはいってられません。
ヤンキーがハングアップしているすきに自転車にまたがって駅へ向かいました。この勢いはすごかった。肛門にサドルの前のほうが突き刺さりましたからね。死ぬかと思った。そして高速で足を回転させているさなか、携帯電話で友人に連絡です。
「事故 遅れる」
もうね、余裕がまったくありませんから、これだけです。駅前の駐輪場に真横にスライドしながら止めて、駅までダッシュです。自転車で体は温まっていますから、このときのダッシュはとても綺麗なフォームだったと思います。走っている途中に写真をとったらたぶん時をかける少女みたいになっていたと思う。そのくらい綺麗だった。陸上の血が騒ぎましたね。
そして駅の電車を見てみると、「次の電車は17時47分」という表示。調べてみると、目的の駅に着くのは17時58分の模様。上映時間は18時。おいおい、どういうことだいハニー。とりあえず転がり込むように電車に乗り込み、出産でもするのかよってくらい息を荒げながら友人へ状況連絡。
「駅前につくのは17時58分。映画館への道は把握済み。受付で待ち合わせでいいですか。」
「宣伝ないから1分前に来てください」
冗談きついぜハニー。宣伝ないなんてはじめて聞きましたからね。いっきに疲れた。電車にのっている最中も気が気じゃない様子で携帯電話を見ていました。映画館への道を頭に叩き込んで、目的の駅につくころにはもう、ドアの前でクラウチングスタートしているくらいの気迫でしたよ。
目的の駅に着いた、ドアが開いた、東口付近の改札を出た、目的地は西口、西口へ全力疾走、西口付近にある建物に到着、これで1分経過ですよ。奇跡の速さ。たぶん100mだったら世界新出てた。
その西口付近にある建物の中に映画館があるんですけど、地図を見たら
映画館 8階
超走りましたね、もうすごかった。エスカレーターを2回すっころびながらかけあがって、7階に到着したんですけど、なぜかエスカレーターが7階までしかないんですよ。
すぐさまそこら辺にいる店員をひっつかまえて、尋常じゃない息遣いで、
「映画館・・・ハァハァ・・・映画・・・ハァ・・・」
「8階へのエスカレーターはあちらです」
神対応。よっすみたいな手の動きだけでお礼をしてその方向へ走り、階段を駆け上ると目の前が映画館、はいここで18時過ぎ。友人が待っていてくれまして、なんとか入場することができました。
宣伝ないとかいうのは間違いで、ちゃんとあったんですけど、いやよかった、間に合ってよかった。もうね、久しぶりに全力以上の力を出しちゃったもんだから、アドレナリンがすごい出ちゃっているみたいで、もう映画を見る気合が全然違いましたね。

見に行ったのは魔法少女リリカルなのはっていうアカデミックな映画なんですけど、すごい面白かったです。テレビ版を見たことが無かったんですけど、それでもちゃんとストーリーがわかるような作りになっていて、いやはや面白かった。
なのはのことが大好きな友人がいまして、その友人に誘われたんですね。で、終わったころに「どうだった?」なんて聞かれたので、「同人誌の元ネタがわかってよかった」といったら怒られました。まじめな話、面白かったのでみんなも見に行くといい。フェイトを抱きしめたい。
というわけで、375映画館へ行くというお話でした。ではでは。
どーも、375です。
ここ最近はよく映画館へ行っております。私は大の映画好きなんですけども、別に映画館じゃなくてもいいでしょ、なんて思っていました。しかしこの間夜勤明けに見たアバター3Dがすごくて、これは映画館に行かなければ味わえない、なんて思ったら、私の中で映画館へ足を運んで映画を見ることに価値が生まれたのです。
アバターはすごかった。ストーリーは置いておいて、映像が素晴らしかった。従来の3Dといったら、向こう側から飛んでくる斧とか破片だけ立体ですけど、他は普通です、みたいなものなんですけど、アバターはフル3Dですから。全部3Dです。ほんとに全部立体。
この世界観がすごい。うらやましい。アバターの感想は一言、「うらやましい」。パンドラという世界が舞台なんですけど、この世界がカラフルなことカラフルなこと。映画館から出たときに、あれちょっと色彩薄くない、とか思っちゃうくらい鮮やかです。ストーリーは置いておいて、この世界がうらやましくて涙が出ますね。感動とかじゃなくて、うらやましくて涙がでます。
さて、そんなこんなで映画館によく行きだしまして、先日も映画館に足を運ぶ予定がありました。17時30分に映画館の前で待ち合わせねー、なんて約束になっていたのですが、ちょっと浮かれちゃいましてね、16時くらいに家を出ました。映画に誘われるなんて久しぶりだったので、たいそう浮かれていましたよ。
ちょっと浮かれすぎちゃったのかな、最寄り駅まで自転車で向かったんですけど、その途中でヤンキーに絡まれましてね、いやもうえらいめにあった。
痛いことはもちろん、喧嘩なんてもってのほかな375さんですから、いくら安値で喧嘩を売られようとも買いませんよ。あげるって言われてももらいません。よくわからないことを言って煙に巻こうとしたんですね。そしたらこれが面白くなっちゃって。
「いま僕は駅に向かっていまして、これがとても急いでいるんですよ。とてもといっても生半可なとてもじゃないですよ、すごいとてもです。このすごさときたら自転車のチェーンから火が出るレベル。いやいや話を聞いてくださいよ、この急いでいる用事というのが実はですね、僕のおばあちゃんが死にそうっていう連絡をうけましてね、ほら、僕からみておばあちゃんってことは、あっちからみて僕は孫じゃないですか。孫としておばあちゃんが死ぬ前に財布からお金を盗んだこととか謝らないといけないななんて思ったわけですよ。ええ病気です。たしか捻挫。いやいや落ち着いてくださいよ捻挫でも人は死ぬんですよ。まぁね捻挫といえばUFOですけども、このUFOというのはアダムスキー型というのがありましてね、わけわかんねぇことじゃないですよ、まぁ話は聞いてくださいよ、この話が後々生きてくるわけですよ。このアダムスキー型っていうのはその名の通りアダムスキーさんって言う人が考え出したからそんな名前なんですね。さておき、司法試験なんですけども、これの願書の締め切りが今日、っていうことでこれも急いでいるんですね。司法試験っていうのは長い間勉強をしなくちゃいけませんから、もうね、これを出し忘れたら僕の1年間が無駄になっちゃいますから。スパゲッティはカルボナーラがすきです。」
ヤンキーの頭の上がクエスチョンマークでいっぱいになりだしたころ、ふと携帯電話の時計に目をやると、17時28分。遅刻決定ですよ、大決定です。よくわからないことを高速で喋る人を1時間以上相手にしていたヤンキーもすごいですけど、それより映画です。映画の待ち合わせに遅れちゃう。しかも事前連絡もしてない。これはやばい。
「というわけで映画を見に行くんでばいばい」
え、いままでの話は、みたいな、鳩がバズーカ撃たれたみたいな顔してましたよヤンキー。ほんとは2時間も3時間も続けた挙句に「というわけでジュースを買いに行くのです」とかどうでもいい要件をいってポカンとさせたかったのですが、そうはいってられません。
ヤンキーがハングアップしているすきに自転車にまたがって駅へ向かいました。この勢いはすごかった。肛門にサドルの前のほうが突き刺さりましたからね。死ぬかと思った。そして高速で足を回転させているさなか、携帯電話で友人に連絡です。
「事故 遅れる」
もうね、余裕がまったくありませんから、これだけです。駅前の駐輪場に真横にスライドしながら止めて、駅までダッシュです。自転車で体は温まっていますから、このときのダッシュはとても綺麗なフォームだったと思います。走っている途中に写真をとったらたぶん時をかける少女みたいになっていたと思う。そのくらい綺麗だった。陸上の血が騒ぎましたね。
そして駅の電車を見てみると、「次の電車は17時47分」という表示。調べてみると、目的の駅に着くのは17時58分の模様。上映時間は18時。おいおい、どういうことだいハニー。とりあえず転がり込むように電車に乗り込み、出産でもするのかよってくらい息を荒げながら友人へ状況連絡。
「駅前につくのは17時58分。映画館への道は把握済み。受付で待ち合わせでいいですか。」
「宣伝ないから1分前に来てください」
冗談きついぜハニー。宣伝ないなんてはじめて聞きましたからね。いっきに疲れた。電車にのっている最中も気が気じゃない様子で携帯電話を見ていました。映画館への道を頭に叩き込んで、目的の駅につくころにはもう、ドアの前でクラウチングスタートしているくらいの気迫でしたよ。
目的の駅に着いた、ドアが開いた、東口付近の改札を出た、目的地は西口、西口へ全力疾走、西口付近にある建物に到着、これで1分経過ですよ。奇跡の速さ。たぶん100mだったら世界新出てた。
その西口付近にある建物の中に映画館があるんですけど、地図を見たら
映画館 8階
超走りましたね、もうすごかった。エスカレーターを2回すっころびながらかけあがって、7階に到着したんですけど、なぜかエスカレーターが7階までしかないんですよ。
すぐさまそこら辺にいる店員をひっつかまえて、尋常じゃない息遣いで、
「映画館・・・ハァハァ・・・映画・・・ハァ・・・」
「8階へのエスカレーターはあちらです」
神対応。よっすみたいな手の動きだけでお礼をしてその方向へ走り、階段を駆け上ると目の前が映画館、はいここで18時過ぎ。友人が待っていてくれまして、なんとか入場することができました。
宣伝ないとかいうのは間違いで、ちゃんとあったんですけど、いやよかった、間に合ってよかった。もうね、久しぶりに全力以上の力を出しちゃったもんだから、アドレナリンがすごい出ちゃっているみたいで、もう映画を見る気合が全然違いましたね。
見に行ったのは魔法少女リリカルなのはっていうアカデミックな映画なんですけど、すごい面白かったです。テレビ版を見たことが無かったんですけど、それでもちゃんとストーリーがわかるような作りになっていて、いやはや面白かった。
なのはのことが大好きな友人がいまして、その友人に誘われたんですね。で、終わったころに「どうだった?」なんて聞かれたので、「同人誌の元ネタがわかってよかった」といったら怒られました。まじめな話、面白かったのでみんなも見に行くといい。フェイトを抱きしめたい。
というわけで、375映画館へ行くというお話でした。ではでは。
ディスプレイ買った。
どーも、375です。
先日お話した件の続きです。柳谷の周辺に出現したエスキモーの集団が丹精込めて育てた野菜をすべて奪っていったという情報を聞きつけたエイドリアンは現場を確認するために試合会場を後にした。虫がすべて土にもぐるような晴天、土はカラカラに乾燥していた。数日前のここは色とりどりの野菜が実っており、土もきらきらと輝くほど湿っていた。激怒したエイドリアンはすぐさま懐にしまってあった匕首を手に取りエスキモーの住処へ走り出した。こうしてエイドリアンのエスキモー討伐物語が始まるのである。ロッキーは負けた。
といったやつです。まぁわかりやすく説明するとパソコン作ったけど使ってないって話です。このパソコンが結構いいやつなんですよ。CPUとかメモリとか、僕が今使っているパソコンより数倍いいやつですからね。きっと核開発だってできます。いやね、DELLのディスプレイ買ったって話をこれからしようと思うんですけど、買うときに理由を選択させられるんですね。その選択肢の中に「核開発」とかあるんですよ。それがなんとも面白くて、って話は今度するとして、本題に戻ります。
エスキモーの住処にたどり着いたエイドリアn(ry
さかのぼること数週間前。パソコンの部品を買って組み立てる前に、「これで新しいパソコンができるね、めくるめくパソコンライフだね、ライフハックって言葉をいつか使いたい」って話を友人にしたら、「ディスプレイなきゃ動かないよワンケノー」とか言うんですよ。
ディスプレイはVAIOのやつがあるんですけど、昔どこかの掲示板に書かれていた「ウィーンにあるコンビニの自動ドアがウィーン」っていう、どこが面白いのかまったくわからないんですけど、これがツボに入りましてね、飲んでいた味噌汁を吹いたんですよすごい勢いで。
そういった背景があるので、ディスプレイに模様がついてるんですね、ちょっとした現代芸術みたいな模様がついちゃっているんです。これをそのまま使うっていうのもありですけど、どうせなら買っちゃおうかなってなるじゃないですか。新しいパソコンに対して前衛的なデザインのディスプレイじゃ、パソコンが新しくなったのに、なんだか新しくなってないみたい、みたいなことになるじゃないですか。新婚なのに新婚じゃないみたいってことになるじゃないですか。毎晩修学旅行みたいな雰囲気を想像していたのにってな感じになるじゃないですか。
というわけで友人に聞いたわけです。「今一番熱いディスプレイは何だ、金に糸目は問わん」ってなことを問いただしたわけですよ。そしたらなんかすげー高いやつを紹介されまして、激怒ですよ。エイドリアンレベルに激怒ですよ。「そんな金が出せるか」って言いましたよ、声も裏返っていました。
なんだかんだで「お前どうせディスプレイのよさなんかわからないんだから安いやつでいいじゃん」っていう、まぁいつものやつですよ。こいつどうしようもないからもういいやどうでもってやつですよ。
いつも途中で諦められて「どうでもいいんじゃないの、ブー(おならの音)」っていう結果になるんですよね。
昔、左腕をへし折ってギブスをしていた時代に、「ギブスに何を描こうか迷っているんだよね、エキセントリックなデザインをここに書きたいんだけど、何がいいかな、やっぱり幾何学模様かな、それともお稲荷さんかな」っていう、とてもアカデミックな議論を友人に持ちかけたんですけど、そのときも「どうでもいいんじゃないの」ですよ。腕をへし折ってやろうかと思いました。
最近だって友人に「携帯電話を高機能にしてパソコンに近づけるんじゃなくて、パソコンに電話ができるモジュールを追加するという概念に移行するべきなんですよ、そもそも冷蔵庫とか電子レンジだってパソコンのモジュールとして扱われてもおかしくない、むしろ家をパソコンにしてしまえば家具を購入するという表現がモジュールを追加するという表現になって云々」という話をしていたんですけど、よつばと読んでましたからねそいつ。
そういうわけで、そういった話に飽きられるってことが頻繁にあるので、これはどうにかしなければならない、このままではとても悔しい、ビクンビクン、せっかくまじめにディスプレイの話をしているのに「よさなんてわからないんだから安いのでいいじゃん」ですよ。もうね、私は激怒しまして、
「うん!そうする!」
って言いました。いやでも舐められてはいけないと思ったので、
「だが購入枚数は二枚だ!!」
といってやりましたよ。ほーらほーら、すげぇだろ、二枚買っちゃうんだぜってメッセンジャーで自慢してやりましたよ。話の途中でオフラインになりやがりました。クソッ。
というわけでDELLのディスプレイを二枚購入して、昨日振り込んできました。いやぁ楽しみ。今月中に届くといいな。デュアルディスプレイですよ、デュアルディスプレイ。何に使うかまったくわかりません。使いこなせる気がしません。
でも住めば都といった言葉もあるように、デュアルディスプレイにすればデュアルディスプレイじゃなきゃだめなの、あたいこれじゃなきゃだめなの、ってな感じになるに決まっています。トラックボールだって使ってみたらもうマウスに戻れませんし、きっとデュアルディスプレイだって同じです。
肝心のパソコンなんですけど、これまだ動作確認すらしていないんですよね、っていうかそもそも箱から出していないんですよね。これどうしたもんかな。何でかって言うと部屋を掃除しているんですよ。
部屋の掃除っていうのは定期的にやるものなのかもしれませんけど、僕の場合は「ここには住めん!もうだめだ!」となったら掃除するんです。先日住めなくなりまして、掃除をはじめたんですね。掃除を始めた日っていうのはパソコンを購入する日より前なんですけど、これがいつになっても終わらない。
テレビとパソコンが起動できる環境にしたら、作業の進行度がすげぇ下がりまして、もう掃除とかそういうのが出来なくなるくらい魅力的な世界が広がっているんですよ。ついついデュラララかくし×☆☆☆ですよ。バカとひまりのクェイサーですよ。
でもディスプレイが届くくらいにはなんとか片付くんじゃないかなって思います。片付いていますよ。妖精くんがどうにかしてくれます。どうにかしてくれ。
まとめ
ディスプレイ買った。
どーも、375です。
先日お話した件の続きです。柳谷の周辺に出現したエスキモーの集団が丹精込めて育てた野菜をすべて奪っていったという情報を聞きつけたエイドリアンは現場を確認するために試合会場を後にした。虫がすべて土にもぐるような晴天、土はカラカラに乾燥していた。数日前のここは色とりどりの野菜が実っており、土もきらきらと輝くほど湿っていた。激怒したエイドリアンはすぐさま懐にしまってあった匕首を手に取りエスキモーの住処へ走り出した。こうしてエイドリアンのエスキモー討伐物語が始まるのである。ロッキーは負けた。
といったやつです。まぁわかりやすく説明するとパソコン作ったけど使ってないって話です。このパソコンが結構いいやつなんですよ。CPUとかメモリとか、僕が今使っているパソコンより数倍いいやつですからね。きっと核開発だってできます。いやね、DELLのディスプレイ買ったって話をこれからしようと思うんですけど、買うときに理由を選択させられるんですね。その選択肢の中に「核開発」とかあるんですよ。それがなんとも面白くて、って話は今度するとして、本題に戻ります。
エスキモーの住処にたどり着いたエイドリアn(ry
さかのぼること数週間前。パソコンの部品を買って組み立てる前に、「これで新しいパソコンができるね、めくるめくパソコンライフだね、ライフハックって言葉をいつか使いたい」って話を友人にしたら、「ディスプレイなきゃ動かないよワンケノー」とか言うんですよ。
ディスプレイはVAIOのやつがあるんですけど、昔どこかの掲示板に書かれていた「ウィーンにあるコンビニの自動ドアがウィーン」っていう、どこが面白いのかまったくわからないんですけど、これがツボに入りましてね、飲んでいた味噌汁を吹いたんですよすごい勢いで。
そういった背景があるので、ディスプレイに模様がついてるんですね、ちょっとした現代芸術みたいな模様がついちゃっているんです。これをそのまま使うっていうのもありですけど、どうせなら買っちゃおうかなってなるじゃないですか。新しいパソコンに対して前衛的なデザインのディスプレイじゃ、パソコンが新しくなったのに、なんだか新しくなってないみたい、みたいなことになるじゃないですか。新婚なのに新婚じゃないみたいってことになるじゃないですか。毎晩修学旅行みたいな雰囲気を想像していたのにってな感じになるじゃないですか。
というわけで友人に聞いたわけです。「今一番熱いディスプレイは何だ、金に糸目は問わん」ってなことを問いただしたわけですよ。そしたらなんかすげー高いやつを紹介されまして、激怒ですよ。エイドリアンレベルに激怒ですよ。「そんな金が出せるか」って言いましたよ、声も裏返っていました。
なんだかんだで「お前どうせディスプレイのよさなんかわからないんだから安いやつでいいじゃん」っていう、まぁいつものやつですよ。こいつどうしようもないからもういいやどうでもってやつですよ。
いつも途中で諦められて「どうでもいいんじゃないの、ブー(おならの音)」っていう結果になるんですよね。
昔、左腕をへし折ってギブスをしていた時代に、「ギブスに何を描こうか迷っているんだよね、エキセントリックなデザインをここに書きたいんだけど、何がいいかな、やっぱり幾何学模様かな、それともお稲荷さんかな」っていう、とてもアカデミックな議論を友人に持ちかけたんですけど、そのときも「どうでもいいんじゃないの」ですよ。腕をへし折ってやろうかと思いました。
最近だって友人に「携帯電話を高機能にしてパソコンに近づけるんじゃなくて、パソコンに電話ができるモジュールを追加するという概念に移行するべきなんですよ、そもそも冷蔵庫とか電子レンジだってパソコンのモジュールとして扱われてもおかしくない、むしろ家をパソコンにしてしまえば家具を購入するという表現がモジュールを追加するという表現になって云々」という話をしていたんですけど、よつばと読んでましたからねそいつ。
そういうわけで、そういった話に飽きられるってことが頻繁にあるので、これはどうにかしなければならない、このままではとても悔しい、ビクンビクン、せっかくまじめにディスプレイの話をしているのに「よさなんてわからないんだから安いのでいいじゃん」ですよ。もうね、私は激怒しまして、
「うん!そうする!」
って言いました。いやでも舐められてはいけないと思ったので、
「だが購入枚数は二枚だ!!」
といってやりましたよ。ほーらほーら、すげぇだろ、二枚買っちゃうんだぜってメッセンジャーで自慢してやりましたよ。話の途中でオフラインになりやがりました。クソッ。
というわけでDELLのディスプレイを二枚購入して、昨日振り込んできました。いやぁ楽しみ。今月中に届くといいな。デュアルディスプレイですよ、デュアルディスプレイ。何に使うかまったくわかりません。使いこなせる気がしません。
でも住めば都といった言葉もあるように、デュアルディスプレイにすればデュアルディスプレイじゃなきゃだめなの、あたいこれじゃなきゃだめなの、ってな感じになるに決まっています。トラックボールだって使ってみたらもうマウスに戻れませんし、きっとデュアルディスプレイだって同じです。
肝心のパソコンなんですけど、これまだ動作確認すらしていないんですよね、っていうかそもそも箱から出していないんですよね。これどうしたもんかな。何でかって言うと部屋を掃除しているんですよ。
部屋の掃除っていうのは定期的にやるものなのかもしれませんけど、僕の場合は「ここには住めん!もうだめだ!」となったら掃除するんです。先日住めなくなりまして、掃除をはじめたんですね。掃除を始めた日っていうのはパソコンを購入する日より前なんですけど、これがいつになっても終わらない。
テレビとパソコンが起動できる環境にしたら、作業の進行度がすげぇ下がりまして、もう掃除とかそういうのが出来なくなるくらい魅力的な世界が広がっているんですよ。ついついデュラララかくし×☆☆☆ですよ。バカとひまりのクェイサーですよ。
でもディスプレイが届くくらいにはなんとか片付くんじゃないかなって思います。片付いていますよ。妖精くんがどうにかしてくれます。どうにかしてくれ。
まとめ
ディスプレイ買った。
VAIOHAZARD。
どーも、375です。
「SONY製品は壊れやすい、もはやSONYではなく糞ニーだ」なんてことをよく言われていますけど、私が使用しているデスクトップのVAIOは末永く私のパソコンライフを支えてくれていて、かれこれ5年以上苦楽を共にしています。
そのパソコンが先日壊れましてね、前日に有料のエロ動画を購入したばかりだというのに、それを見ずして「VAIO」って画面からうんともすんとも進まなくなりました。ほんと糞ニー。
くよくよしても仕方が無いので秋葉原へパソコンを買いに行きました。いやすごいね秋葉原。ありとあらゆる夢が売っていますね。今回は自作パソコンを作ってみようということで、友人に協力してもらって色々と見て回ったわけですよ。
T-ZONEとかいう、マイヤハッハーとか言い出しそうな場所をうろうろしまして、パソコンに必要なものをすべて揃えてきました。で、組み立てました。はじめての自作パソコン。いやぁ感慨深いですね。組み立てる作業は簡単ですけど、こう、自分で作ったと言うのはいいものですね。まぁ9割友人に作ってもらって、私は部品を渡す作業だけだったんですけどね。
組み立てている最中、昔も同じようなことしてたなぁなんて思い出してました。
あれは私が小学生の頃、当時エヴァンゲリオンというロボットアニメが流行っていまして、それに関するガンプラが発売されていました。私は「エヴァンゲリオン量産機」という、白いクチビルゲみたいなやつを購入して、ワクワクしながら蓋を開けました。
そしたらあーた、自分で組み立てるにしても細かすぎでしょうよ。いやね、私がはじめて購入したプラモデルがその「エヴァンゲリオン量産期」なわけですけども、その細かさと来たらびっくりしましたよ。パーツから作れっていうんですよ。
で、ニッパー片手にパチパチパーツを切り離しましてね、床においていくわけですよ。パーツを切り離すだけでもう心が折れそうになったわけですが、めげずにがんばりました。なんたって、人気絶好調の時期に発売されたエヴァンゲリオンのプラモデルですよ。人気フィーもあいまって結構したと思うんです。それこそ小学生のお小遣いからしたらかなりの出費だったとおもうんですね。
なのでがんばってがんばってパーツを切り取りました。部屋にはニッパーでプラスチックを切る音が淡々と響いていたと思います。そしてやっとすべてのパーツを切り離すことができました。
いやぁ感動しましたね。初めてのガンプラで、やっと組み立てる作業に入れるんですから。意気揚々と箱から説明書を出して、最初の部分を見ると、
「A1---->A2」
どれがどれだか分からない。プラモデルを作ったことがある人の中では常識らしいんですけど、プラモデルのパーツというのは切り離す前に確認しておかなければならないらしくて、説明書を見て必要なパーツから切り取っていく、みたいな作り方らしいです。それをまず箱に書いとけっていう話ですよ。
その事件で深い傷を追った私は、以後ガンプラに触りませんでした。テレビチャンピオンのプラモデル名人みたいなやつも見ませんでした。
それから時は経ち、大人になって思ったのです。トラウマに打ち勝たなければならない。というわけでザクウォーリアのミーア機というやつをゲオで購入したわけです。同じ失敗は繰り返さない、というわけでmixiにこんなことを書きました。
「一緒にプラモデルを作ってくれないか」
書き込んでからすぐに友人から「じゃあ俺んちこいよ」みたいな返信がありまして、家に向かったわけです。最初の方は私が説明書をみたりしていたけなんですけど、あまりに組み立て方が雑な上にすぐ間違える、というわけでお前はパーツでも切ってろ宣告。
だまってパーツを切っていたら、どうやら私のニッパー使いは酷いものらしく、バリがすごかったみたいです。そしたらお前は黙ってみてろ宣告。黙ってみてました。目の前で組みあがったプラモデル。ピンク色のガンダムってかわいいなぁ、なんだかなぁ、なんて思いながら家路に着きました。
そんな思い出を振り返っていたらパソコンが出来てました。なんだかなぁ。
組み立てただけでは何もできませんから、OSを入れたり、周辺ソフトを入れたり、初期設定をしたりして使える段階までになりました。いやぁ、すごい。あんなのでパソコンって出来るのね。まぁ何もしてないんですけども。
新しいパソコンが完成したのでそれもって帰りました。部屋の前にパソコンを置いてから、上着をかけて椅子に座る。こういう一連の動作は習慣になるじゃないですか。だからその後についついVAIOの電源スイッチを押しちゃうわけですよ。そしたら普通に起動するわけ。超びっくりした。
とうわけで今は作ってもらった自作パソコンは放置してVAIO使ってます。買ったエロ動画は大外れでした。ほんと糞ニー。
どーも、375です。
「SONY製品は壊れやすい、もはやSONYではなく糞ニーだ」なんてことをよく言われていますけど、私が使用しているデスクトップのVAIOは末永く私のパソコンライフを支えてくれていて、かれこれ5年以上苦楽を共にしています。
そのパソコンが先日壊れましてね、前日に有料のエロ動画を購入したばかりだというのに、それを見ずして「VAIO」って画面からうんともすんとも進まなくなりました。ほんと糞ニー。
くよくよしても仕方が無いので秋葉原へパソコンを買いに行きました。いやすごいね秋葉原。ありとあらゆる夢が売っていますね。今回は自作パソコンを作ってみようということで、友人に協力してもらって色々と見て回ったわけですよ。
T-ZONEとかいう、マイヤハッハーとか言い出しそうな場所をうろうろしまして、パソコンに必要なものをすべて揃えてきました。で、組み立てました。はじめての自作パソコン。いやぁ感慨深いですね。組み立てる作業は簡単ですけど、こう、自分で作ったと言うのはいいものですね。まぁ9割友人に作ってもらって、私は部品を渡す作業だけだったんですけどね。
組み立てている最中、昔も同じようなことしてたなぁなんて思い出してました。
あれは私が小学生の頃、当時エヴァンゲリオンというロボットアニメが流行っていまして、それに関するガンプラが発売されていました。私は「エヴァンゲリオン量産機」という、白いクチビルゲみたいなやつを購入して、ワクワクしながら蓋を開けました。
そしたらあーた、自分で組み立てるにしても細かすぎでしょうよ。いやね、私がはじめて購入したプラモデルがその「エヴァンゲリオン量産期」なわけですけども、その細かさと来たらびっくりしましたよ。パーツから作れっていうんですよ。
で、ニッパー片手にパチパチパーツを切り離しましてね、床においていくわけですよ。パーツを切り離すだけでもう心が折れそうになったわけですが、めげずにがんばりました。なんたって、人気絶好調の時期に発売されたエヴァンゲリオンのプラモデルですよ。人気フィーもあいまって結構したと思うんです。それこそ小学生のお小遣いからしたらかなりの出費だったとおもうんですね。
なのでがんばってがんばってパーツを切り取りました。部屋にはニッパーでプラスチックを切る音が淡々と響いていたと思います。そしてやっとすべてのパーツを切り離すことができました。
いやぁ感動しましたね。初めてのガンプラで、やっと組み立てる作業に入れるんですから。意気揚々と箱から説明書を出して、最初の部分を見ると、
「A1---->A2」
どれがどれだか分からない。プラモデルを作ったことがある人の中では常識らしいんですけど、プラモデルのパーツというのは切り離す前に確認しておかなければならないらしくて、説明書を見て必要なパーツから切り取っていく、みたいな作り方らしいです。それをまず箱に書いとけっていう話ですよ。
その事件で深い傷を追った私は、以後ガンプラに触りませんでした。テレビチャンピオンのプラモデル名人みたいなやつも見ませんでした。
それから時は経ち、大人になって思ったのです。トラウマに打ち勝たなければならない。というわけでザクウォーリアのミーア機というやつをゲオで購入したわけです。同じ失敗は繰り返さない、というわけでmixiにこんなことを書きました。
「一緒にプラモデルを作ってくれないか」
書き込んでからすぐに友人から「じゃあ俺んちこいよ」みたいな返信がありまして、家に向かったわけです。最初の方は私が説明書をみたりしていたけなんですけど、あまりに組み立て方が雑な上にすぐ間違える、というわけでお前はパーツでも切ってろ宣告。
だまってパーツを切っていたら、どうやら私のニッパー使いは酷いものらしく、バリがすごかったみたいです。そしたらお前は黙ってみてろ宣告。黙ってみてました。目の前で組みあがったプラモデル。ピンク色のガンダムってかわいいなぁ、なんだかなぁ、なんて思いながら家路に着きました。
そんな思い出を振り返っていたらパソコンが出来てました。なんだかなぁ。
組み立てただけでは何もできませんから、OSを入れたり、周辺ソフトを入れたり、初期設定をしたりして使える段階までになりました。いやぁ、すごい。あんなのでパソコンって出来るのね。まぁ何もしてないんですけども。
新しいパソコンが完成したのでそれもって帰りました。部屋の前にパソコンを置いてから、上着をかけて椅子に座る。こういう一連の動作は習慣になるじゃないですか。だからその後についついVAIOの電源スイッチを押しちゃうわけですよ。そしたら普通に起動するわけ。超びっくりした。
とうわけで今は作ってもらった自作パソコンは放置してVAIO使ってます。買ったエロ動画は大外れでした。ほんと糞ニー。
今日は何の日?と聞かれた場合はどうしますか皆さん。
どーも、375です。
例えば長年付き合っているカップルがいて、女が男に「今日は何の日か覚えてる?」なんていったら男が「覚えているよ、初めて君と会った日だよね」とかそういうことを言うわけですよ。この前電車の中でこのやり取りをしているカップルがいまして、座席ごと電車から落っこちちゃえばいいと思いました。
こんな具合にカップルで「今日は何の日?」なんて言い合う光景を目にする機会があると思います。それに対しての回答はとても難しいものに年々なっているのです。厄介なことに、記念日は年々増加しているのです。
本日1月31日なんて酷いものですよ。1が「あい」、31が「さい」ということで、今日は「愛妻感謝の日」らしいですよ。これを決めたのは「愛妻感謝ひろめ隊」とかいうふざけた団体なんですけど、何よりも理由が「アイサイ=愛妻とよむことから」ってもうちょっと愛妻云々の理由を書いてくださいよ。
愛妻の妻が野菜の菜に変わったやつもあったりして、とか思ったら本当にあるんですよ「愛菜の日」。ちなみに今日は「生命保険の日」でもあるのですが、これは日本で初めて生命保険が支払われた日ということなのでいいのですけど、酷いのは語呂が合っているからで記念日にしちゃうってことですよ。
日本記念日協会って場所に行くとどんな記念日があるのか確認できます。今日は全部で4つの記念日があるのですが、そのうち3つが語呂合わせってどういうことですか。ライムスターあたりがdisソングを出すレベルですよ。
仮にこの記念日郡に従ったとしてですよ、カップルが電車の中で「今日は何の日か覚えてる?」「覚えているよ、今日は愛妻感謝の日で、愛菜の日で、生命保険の日で、防災農地の日、そして、君と初めて会った日だよね」とかそういう会話をする日も遠くないわけですよ。「今日は何の日?」の回答が終わる前に目的の駅に着いちゃうカップルが多発するわけですよ。
大人な話をすれば、きっと記念日を定めることによって色々なマーケティングがビビットにカルチャーを云々というわけなんだと思うんですけど、そんなことはどうでもいいですよ。私が言いたいことは、なんで「自慰」の日が無いのかって話ですよ。
記念日があるからこそ出来ることってあるじゃないですか。節分の日なんて存在しない何かに向かってメッセージ性のあることを喚きながら豆を撒くって言う、普段やっていたら正気とは思えないことを平気でできるじゃないですか。
つまり「自慰の日」と言うものがあれば、普段隠すべき「自慰」を平然とできるというわけですよ。この日だけはどんな奇抜な自慰行為をしようと自由です。まさにフリーダム。フリーオナニーデイ。なぜこれがないのか。これを問いたい。日本記念日協会に問い詰めたい。
10月1日とか自慰の語呂合わせにぴったりじゃないですか。なんですか「資格チャレンジの日」って。資格よりアクロバティックな自慰にチャレンジするべきでしょうよ。走行中の車のボンネットで仰向けになりながらの自慰とかそういうのにチャレンジするべきでしょうよ。
もう我慢できない、記念日協会に申請してやる、ということで日本記念日協会のWebサイトにアクセスして申請方法を確認してみたら、
> 日本記念日協会の記念日登録料は、1件7万3500円(税込み)とさせていただきます。
> 記念日登録証が必要な場合は、別途1件1枚につき3万1500円となります(ガラス面の額入り、税込み、送料込み)。
愚息もしょんぼり。
どーも、375です。
例えば長年付き合っているカップルがいて、女が男に「今日は何の日か覚えてる?」なんていったら男が「覚えているよ、初めて君と会った日だよね」とかそういうことを言うわけですよ。この前電車の中でこのやり取りをしているカップルがいまして、座席ごと電車から落っこちちゃえばいいと思いました。
こんな具合にカップルで「今日は何の日?」なんて言い合う光景を目にする機会があると思います。それに対しての回答はとても難しいものに年々なっているのです。厄介なことに、記念日は年々増加しているのです。
本日1月31日なんて酷いものですよ。1が「あい」、31が「さい」ということで、今日は「愛妻感謝の日」らしいですよ。これを決めたのは「愛妻感謝ひろめ隊」とかいうふざけた団体なんですけど、何よりも理由が「アイサイ=愛妻とよむことから」ってもうちょっと愛妻云々の理由を書いてくださいよ。
愛妻の妻が野菜の菜に変わったやつもあったりして、とか思ったら本当にあるんですよ「愛菜の日」。ちなみに今日は「生命保険の日」でもあるのですが、これは日本で初めて生命保険が支払われた日ということなのでいいのですけど、酷いのは語呂が合っているからで記念日にしちゃうってことですよ。
日本記念日協会って場所に行くとどんな記念日があるのか確認できます。今日は全部で4つの記念日があるのですが、そのうち3つが語呂合わせってどういうことですか。ライムスターあたりがdisソングを出すレベルですよ。
仮にこの記念日郡に従ったとしてですよ、カップルが電車の中で「今日は何の日か覚えてる?」「覚えているよ、今日は愛妻感謝の日で、愛菜の日で、生命保険の日で、防災農地の日、そして、君と初めて会った日だよね」とかそういう会話をする日も遠くないわけですよ。「今日は何の日?」の回答が終わる前に目的の駅に着いちゃうカップルが多発するわけですよ。
大人な話をすれば、きっと記念日を定めることによって色々なマーケティングがビビットにカルチャーを云々というわけなんだと思うんですけど、そんなことはどうでもいいですよ。私が言いたいことは、なんで「自慰」の日が無いのかって話ですよ。
記念日があるからこそ出来ることってあるじゃないですか。節分の日なんて存在しない何かに向かってメッセージ性のあることを喚きながら豆を撒くって言う、普段やっていたら正気とは思えないことを平気でできるじゃないですか。
つまり「自慰の日」と言うものがあれば、普段隠すべき「自慰」を平然とできるというわけですよ。この日だけはどんな奇抜な自慰行為をしようと自由です。まさにフリーダム。フリーオナニーデイ。なぜこれがないのか。これを問いたい。日本記念日協会に問い詰めたい。
10月1日とか自慰の語呂合わせにぴったりじゃないですか。なんですか「資格チャレンジの日」って。資格よりアクロバティックな自慰にチャレンジするべきでしょうよ。走行中の車のボンネットで仰向けになりながらの自慰とかそういうのにチャレンジするべきでしょうよ。
もう我慢できない、記念日協会に申請してやる、ということで日本記念日協会のWebサイトにアクセスして申請方法を確認してみたら、
> 日本記念日協会の記念日登録料は、1件7万3500円(税込み)とさせていただきます。
> 記念日登録証が必要な場合は、別途1件1枚につき3万1500円となります(ガラス面の額入り、税込み、送料込み)。
愚息もしょんぼり。
青子って誰だよ。
どーも、375です。
数年前から「変な場所で年を越す」なんていうブームが375presentsの中で巻き起こっていましたが、2009年から2010年に関してはまったくそんな気配がありませんでしたね、っていうか企画はおろかブログの更新すらしていませんでしたからね。
かなり前に「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします」を「あけおめことよろ」とかしゃらくさい略し方をするくらいだったらいっ そ「あおこよ」とかでいいじゃん、というわけで「青子よ」という新年の挨拶が375presents周辺のごく一部(2人)で流行ったわけですが、その挨 拶すらブログに書かない始末です。
しかも1月の終わりになって急に更新が再開するっていうこの体たらく、お前らいかがお過ごしでしたか。色々あるじゃないですか、年越しカウントダウンライ ブとか、年越しそばとか、色々あるじゃないですか。そして明けたら明けたで「おめでとうございまーす」とか言いながら抱き合ったり一升瓶で殴り合いしたり するわけでしょ。いいじゃないですか楽しそうで。
私だって昔のお正月は楽しかったですよ。10年前の正月、2000年を迎える正月なんて年が変わると同時に電気の紐を引っ張り撒くって「2000年問題」 と叫ぶという、普段やったらキャメルクラッチしながら顔にこんにゃくをペチペチぶつけられるレベルのことでも楽しくやっていましたよ。
お正月は夜更かししても怒られませんから、昔から楽しい日でしたよ。三箇日といえば日本全体がお屠蘇気分です。お祭り大好きの日本人ですから、みんなが休 みっていう一体感はたいそう楽しいものですよ。そりゃ電気の紐をひぱっり過ぎて電気が落ちてきますよ。それでも爆笑っていうんだから狂ってますよ。でも正 月というのはそういう空気なわけです。
そんな日本が浮かれる正月に私が何をしていたかと言うと普通に仕事してました。世知辛すぎる。仕事中に何度も思いましたよ。浮世は文字通り浮かれているに違いない、どうせ年越しは除夜の鐘に合わせて腰をパンパン打ち付けていたに違いないなんて思っていましたよ。
そんなこんなで年が変わった気がしばらくしていなかったので、当然「青子よ☆」なんてうかれた挨拶なんて忘れてました。昨日までそんな2009年状態で、 昼ごはんが白米だけという状態に憤怒しながら冷蔵庫を開け、「納豆しかないじゃないか!納豆最高!!」とか無理しながらテンションを上げたりしていまし た。納豆の蓋をペリペリとって、からしとビニールも取って醤油を掛けてかき回そうと箸を突っ込んだときに、「賞味期限:2010年1月1日」の文字が目に 入りました。2010年。
今年は2010年。認めたくない事実を2つも認めてしまった。1つは正月らしいことを一切せずに三箇日が終わったこと。もう1つは納豆の賞味期限がべらぼ うに過ぎているということ。私は納豆をそっと机の上に置き、薄汚れた天井を見た。そして目を閉じ、2010年になったことを認めた。今らから新しい年だ。 小鳥のさえずりも私が新年を迎えたことを祝福しているように感じる。ありがとう2009年。これからよろしく2010年。私は大きく息を吸った。納豆臭く てむせた。
そんなわけで、青子よ。
今年も375presentsと375をよろしくお願いします。
どーも、375です。
数年前から「変な場所で年を越す」なんていうブームが375presentsの中で巻き起こっていましたが、2009年から2010年に関してはまったくそんな気配がありませんでしたね、っていうか企画はおろかブログの更新すらしていませんでしたからね。
かなり前に「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします」を「あけおめことよろ」とかしゃらくさい略し方をするくらいだったらいっ そ「あおこよ」とかでいいじゃん、というわけで「青子よ」という新年の挨拶が375presents周辺のごく一部(2人)で流行ったわけですが、その挨 拶すらブログに書かない始末です。
しかも1月の終わりになって急に更新が再開するっていうこの体たらく、お前らいかがお過ごしでしたか。色々あるじゃないですか、年越しカウントダウンライ ブとか、年越しそばとか、色々あるじゃないですか。そして明けたら明けたで「おめでとうございまーす」とか言いながら抱き合ったり一升瓶で殴り合いしたり するわけでしょ。いいじゃないですか楽しそうで。
私だって昔のお正月は楽しかったですよ。10年前の正月、2000年を迎える正月なんて年が変わると同時に電気の紐を引っ張り撒くって「2000年問題」 と叫ぶという、普段やったらキャメルクラッチしながら顔にこんにゃくをペチペチぶつけられるレベルのことでも楽しくやっていましたよ。
お正月は夜更かししても怒られませんから、昔から楽しい日でしたよ。三箇日といえば日本全体がお屠蘇気分です。お祭り大好きの日本人ですから、みんなが休 みっていう一体感はたいそう楽しいものですよ。そりゃ電気の紐をひぱっり過ぎて電気が落ちてきますよ。それでも爆笑っていうんだから狂ってますよ。でも正 月というのはそういう空気なわけです。
そんな日本が浮かれる正月に私が何をしていたかと言うと普通に仕事してました。世知辛すぎる。仕事中に何度も思いましたよ。浮世は文字通り浮かれているに違いない、どうせ年越しは除夜の鐘に合わせて腰をパンパン打ち付けていたに違いないなんて思っていましたよ。
そんなこんなで年が変わった気がしばらくしていなかったので、当然「青子よ☆」なんてうかれた挨拶なんて忘れてました。昨日までそんな2009年状態で、 昼ごはんが白米だけという状態に憤怒しながら冷蔵庫を開け、「納豆しかないじゃないか!納豆最高!!」とか無理しながらテンションを上げたりしていまし た。納豆の蓋をペリペリとって、からしとビニールも取って醤油を掛けてかき回そうと箸を突っ込んだときに、「賞味期限:2010年1月1日」の文字が目に 入りました。2010年。
今年は2010年。認めたくない事実を2つも認めてしまった。1つは正月らしいことを一切せずに三箇日が終わったこと。もう1つは納豆の賞味期限がべらぼ うに過ぎているということ。私は納豆をそっと机の上に置き、薄汚れた天井を見た。そして目を閉じ、2010年になったことを認めた。今らから新しい年だ。 小鳥のさえずりも私が新年を迎えたことを祝福しているように感じる。ありがとう2009年。これからよろしく2010年。私は大きく息を吸った。納豆臭く てむせた。
そんなわけで、青子よ。
今年も375presentsと375をよろしくお願いします。

