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2017/08/19 06:52 |
ゆとりという概念と状況説明の細かさと私。
ゆとりという概念と状況説明の細かさと私。
どーも、375です。

1980年から、教育業界は「勉強ばっかりしてると脳が腐るので、授業時数を減らしてゆとりを持とう、ゆとりと充実を、ゆとりと潤いを」なんてスローガンを片手に教育内容をがらりと変えました。ゆとり教育の始まりです。しかし今回はゆとり教育の話じゃなくて“ゆとり”という概念についてのお話と、それが原因で生じた混乱のお話です。

ゆとり教育という名詞から取り出された“ゆとり”は、「昔の人は知っていたであろうことを知らない人」や「昔の人は解けていたであろう数式を解けない人」など、学問の面で教わってないが故に昔の人に比べて劣っている人のことを指していました。

しかしその解釈はさらに広まり、「昔の人は我慢できたであろうことを我慢できない人」や「昔の人は出来たであろうことが出来ない人」など、もはや学問と関係のない面でも“ゆとり”という表現が使われています。まずはこの概念がまとまりゃしねぇというお話から。

現在“ゆとり”という概念は、「昔の人に比べて」というものを飛び越えて、「空気が読めない人」や「説明がへたくそ」など、もはや悪口でしかありません。これでは馬鹿の概念について考えるのも同じです。まったくもってどのような人がゆとりなのかわからなくなってしまいました。馬鹿と呼ばれる人の定義をするなんて不可能な話です。

2段階目の「昔の人は云々」というものであれば、お年寄りがよく言う「最近の若い者はこの程度のダンベルも持ち上がらんのか、ふんぬっ、ほわぶへっ」の意味と同じ位置づけだったのですが、3段階目の「a.k.a 馬鹿」になってしまうと、何がゆとりなのか決めることが出来なくなり、“ゆとり”という概念が混沌としてしまいます。全ての可能性が考えられるようになり、“ゆとり”という表現を使ったが最後、“ゆとり”は膨張を続け、ついには自分の体積に押しつぶされ重力が逆転、ブラックホールが誕生します。

そんなことになっては困ります。まだオブリビオンのクエストコンプしてないし。というわけで“ゆとり”の概念について決めないといずれはあちらこちらでブラックホールが発生して地球はおろか宇宙が裏返ってしまいます。まじやばい。

でまぁ、落としどころおしては「場の空気」を読まなかったり、「文章の読解能力」がなかったりする人たちなんでしょう。もはやゆとり教育と何の関係もありませんが、これはこれでいいんです。もはや“ゆとり”と“ゆとり教育”は別物なのです。東京ディズニーランドと東京インセクトズーくらい別物なのです。

さて、ここまでがゆとりという概念についてスムーズかつ強引に決め付けた内容ですが、問題はそれで生じた混乱です。文章を書く際、誰しもターゲットを絞ります。例えば小学生が作文を書く際、ターゲットは先生です。中学生がラブレターを書く際は、同じクラスの寺井さん(誕生日は12月24日)です。こういった具合に、文章を書く際は、誰もが誰かに向けて書いているのです。

しかし、文章のターゲットは一人に限りません。例えばサンデーの「脅威の速読術」とかに載っている尋常じゃなく胡散臭い文章は、サンデーの読者という不特定多数をターゲットに書かれているでしょう。また、「使用前は表面の油を水洗いで除去してください、あとこれジョークグッツなんで」といった文章はディルド購入者向けに書かれているでしょう。そういのもっと大きく書こうぜ、遅いって超遅いって。

といった具合に、文章は不特定多数をターゲットに書かれる場合があるのです。不特定多数といっても、ジャンルを絞った不特定多数です。何にせよ、文章はそのターゲットが読みやすいように、伝わりやすいように書くことが多いものです。さて、そのターゲットのジャンルが絞られず、本当の不特定多数に向けた文章というのはあるのかという問題。あります。ブログです。

かつて日記はWebサイトの一コンテンツでした。そのWebサイトには必ずジャンルがあり、そのジャンル目当ての人が多く訪問します。そのため、文章もそのジャンル目当ての人向けに書けばよかったのです。しかし現在は一億総ブログ時代。また、一億総検索エンジン時代。もはや日記主体のサイトにターゲットなど絞れないのです。そこで問題になってくるのが、そう“ゆとり”向けの文章。

出来る限り多くの人に文章を読んでほしい、そんな願望を叶えるには、まず宣伝が一番でしょう。しかし宣伝をすれば多くの人に文章を読んでもらえるのでしょうか。それはきっと違います。いくら宣伝をしたところで、内容が「おっぱいおっぱいボインボイン みつを」といった内容が数千文字にわたっていたらすぐに消されてしまいます。そんなサイトあったらすぐお気に入りに登録する。

多くの人に文章を読んでほしいのであれば、多くの人に訪問のきっかけを作る宣伝、そして「閲覧し続けてもらう」ということです。つまり「読みやすくハートをがっちりキャッチするハートフルな文章」が書いてあれば、より多くの人に「三三七拍子って4拍子でしょうが!! みつを」という文章を読んでもらえるのです。

そこで問題になってくるのが、表現の細かさです。ネット上には色々な人がいます。戦士、魔法使い、盗賊、胸毛マン、そしてゆとりです。ここで誤解しないでいただきたいのは、僕は胸毛マンではなく魔法使いだということ、そして“ゆとり”というのは概念のお話で、ゆとりを馬鹿にしているわけではないというお話です。

文章の読解能力のない人は、「夕日の差し込む用具置き場の中、理沙は後ろ手に鍵を閉めた」に対して何も感じないのかもしれません。私がこれを見たら完全に「バスケットボールがたくさん入ってるかごがあるわ」とか「マットはあるね、絶対ある」とか「電気は鍵を閉めてから点けるね」とか「きっとスポーツブラ」とか「最初はソフトタッチ」とか「途中で誰かが開けようとして二人の動きが止まる、そして見詰め合う二人」とかそういうところまで読めます。しかし、文書の読解能力のない人には、「ただドアの鍵を閉めた」という部分しか通じないかもしれません。

すなわち、私の混乱は「どの程度細かい文章を書けば誰しもに伝わって、それでいてマイルドな味わいを消さずに済むのか、一体どうやればこのコーヒーをすっぱくしないで挽けるのか」というものです。いやね、最近コーヒー豆をぐるぐるして砕くやつ買ってさ、前からコーヒー造ってるんだけどこれが全く持っておいしくならないんですよもう。なにこれ豆のせいなの?って思って「ミスターコーヒー」みたいな友人に入れてもらったらこれがマイルドな味わいでびっくりして結婚を申し込みました。

例えば、「卵が割れた」という表現からは色々なものが想像できます。私はこういった短い文章からいろいろなものを想像するのが好きです。しかし文章の読解能力のない人にはもっと詳しく書かなければなりません。

「卵が割れた。」

「ビニール袋が机から落ち、中にあった卵は割れた。」

「美那子の体に押されたビニール袋は机から落ち、中にあった卵が割れた。」

「美那子は机に押し倒された。その拍子にビニール袋は机から落ち、中にあった卵が割れた。卵を気にしていたが、ブラウスのボタンが地面に落ちる音で正気に戻る。炎天下の道を歩いて帰ってきた美那子の体はしっとりと」

といった具合に、「卵が割れた」だけでは無限の可能性があった文章も、「細かく文章を書かなければ通じない人」に向けた文章にしてしまうと、文章の可能性は絞られてしまいます。その境界線が非常に難しいのです。文章の可能性を絞らずに、表現を細かくする、私にはそんなこと無理です。そんなことが出来たら文章で食っていけます。

きっと挙句の果てには「美弥子は机(木製)に押し倒され(押し倒された途端、痛そうに顔を歪める美那子)、電灯(四角いもので、中に丸い蛍光灯が入っているタイプ)から埃(電灯によってきらきらと輝いている)が落ちる(美那子は目を瞑る)。ビニール袋(スーパーのもの)は机(しつこいようだが木製)から落ち、中にあった卵(割れやすいため一番上に置かれていた)が割れた(美那子にはテレビの音が大きく感じた)。」とかそういう、注釈入りまくりの文章になってしまいます。もはや想像力を必要としない文章に成り果てるのです。
どうすればいいのだ、私はどうすればいいのだ、どうすれば万人に理解していただける文章であって、それでいて想像力を書き立てるような文章を作れるんだ、と、ここまで悩んで結論が出ました。

きっと“ゆとり”は想像が出来ない人たちのことを指すのです。「空気を読む」というのは、「この状況はどのようになっているか、あの人は何を思っているか」を想像しなければならないし、文章の読むというのは「この文章があるということはこういうことになっているのだろう」といったことを想像します。それが出来ないということは、想像力が欠如しているのです。

想像力は大事です。常に“かもしれない運動”をしましょう。家を出る前に「ガスの元栓を閉め忘れたかもしれない」とか「窓を閉め忘れたかもしれない」とか、駅に着いたら「私は臭いかもしれない」とか「あの老人にぶつかってしまうかもしれない」とか、車を運転していたら「歩道に突っ込んで人を轢いてしまうかも知れない」とか「信号を無視して事故を起こすかもしれない」とか、「病気にかかって死んでしまうかもしれない」とか「すでにかかっていて誰かにうつしているかもしれない」とか「突然あの男性に石を投げつけてしまうかもしれない」とか「自分は自殺するかもしれない」とか私は私は私はわわわわわわわわたたたたたたた

想像力は時に凶器。ほどほどにしましょう。
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2010/07/11 23:09 | Comments(0) | TrackBack(0) | 戯言

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