ひさしぶりにもほどがあるぜ。
どーも、375です。
大昔に、具体的には2001年の1月26日にyahooジオシティーズだったかgooだったかわすれたけど、どこかのレンタルサーバーにアップロードしたhtmlファイルは、手裏剣の代わりにしても余るくらいCD-ROMがついていた富士通ノートパソコンで作られていて、さらにそのCD-ROMの中の一つにあったホームページビルダーで作られていたと思う、違うかもしれないけど。その当時のインターネットは一部の頭のいい人やなにも考えていない人がホームページという名のWebサイトに掲示板やリンクというページを作り、それぞれのWebサイトの管理人同士が相互リンクという形で繋がっていたり、片思いという形でやんわりと繋がっていて、コンテンツはイカしたテキストと、衝撃的な画像と、面白いフラッシュ動画で溢れていた。やあみんな。今は2023年だよ。まだ375presentsは残ってる。
実を言うとなにも考えないで文章を作ることがなんでかできなかったのだけれど、最近の僕は随分とご機嫌だし天気もいいし花を入れる花瓶もあるし、なんだったら今は到底食べきれないスイカを見ながらいかにしてこれを食べ始めた自分を正当化しようかウキウキしながら腕組みもしちゃってるくらい。つまり僕は家庭に花を入れる花瓶を置けるくらいまともな大人になったのだよ。あのダンベルでCDを割ってその動画をインターネットにアップしていたやつが。当時の画質幾つだったんだろう。240pとかだった気がする。カメラの名前はサイバーショットだったかな。ちなみに撮影時にとんでもない音がしてちょっとした事件になった、実家だったしね。
当時文章を書き始めるのに理由はいらなかったのだけど、大人になると言いたいことがなければならないっていう無意識なまじめさがでちゃって、しかも別に伝えたいことなんてあるはずないからいつまで経ってもなにも書かなかったのだけれど、そもそも僕はコンテンツでもなんでもない戯言をインターネットに設置するような非常識さを持ち合わせていたのだから、それを長所として認めようと突然思ったのですよ、自転車を漕ぎながらね。ちなみにちゃんとヘルメットはかぶってる。でも重くて首と肩がなんか生えてくるんじゃないかっていうくらい痛くて下手するとヘルメットのせいで健康に害が出てるかもしれないので、交通事故で死ぬか肩と首から新しい生命が誕生するかのバトルになってる。僕は後者に賭けてる。生えてきたら会話するんだ。もちろん対等な関係でね。
大昔、意味のない戯言に対して突然出てきた妖精くんが何か言ってくるものだからそれと会話するって言うスタイルが僕の日記だった、というかこれは一種の病気だと思っていたのだけど、実はこれが精神的に疲れちゃってる人の治療法として確立されいると言うことをつい最近知ったので、当時の僕は何かの病気を治療しようとしていたか、もはや手遅れだったかのどちらかだったのだと思う。花瓶を家に置ける今になっても起承転結を意識しないで文章を書いているところを踏まえると後者なのかもしれないけど、前者の方がかっこいいからフォーマルな場では前者を採用しようと思う。
でも実際、インターネットが当たり前のように片手にあって、むしろインターネットにー触れていない時間が誇張なしで意識のない時間だけって言う人も珍しくない今の状況を見ると、子供が空想で自分とそれ以外の登場人物を作り上げて一人で遊ぶみたいなことって自分を維持するためにも必要なんじゃないかなって少し真面目に思っちゃったりしました。今はインターネット上の何者にもなれない、インフルエンサーにでもならない限りなれない、そんな事実をなんとなくインターネットのみんながわかっちゃってるから、なにも気にしないで発信するし、発信してもインターネット上の何かになれるなんてこれっぽっちも思ってないの思うのですよ。昔はインターネットで発信する人は珍しかったし、むしろそこそこ変な人が発信していたものだから、発信している感覚としてはインターネット上の何かになっている感覚はあったんじゃないかなと思います、多分僕の妄想だけど。今、もしその感覚を得たいのであれば、クリエイティブなことか人に迷惑をかけるか、つまりとにかく目立たないとその感覚になれないと思っている人が昔の比べて多いのかもしれない。
インターネットに超簡単に接続できて、そこでなんでも手に入るようになった今を僕は超満足してるんですけど、もし妄想力が弱いまま気軽にインターネットで発信をやってるんならもったいないと思うんですよね。SNSで何かを発信するだけでもインターネットの一部になれたっていう感動をもう少し妄想するべきだと思うんですよ。やだ、発信しちゃったっていう背徳感にも似た感動をもう少し味わったほうがいいんですよ。それだけでインターネットって満足できちゃうんじゃないかなと思うんです。私だってこの文章を書いているときを前戯だと思ってるし、発信ボタンを押したらたぶん絶頂しちゃうからね。
だから、みんなもっと自分の妖精くんと会話したほうがいい。この手の妄想は病気なんかじゃなくて、自分だけで人生を楽しくする工夫だと思ったほうがいい。まぁ、僕は病気かもしれないけど。
では、このへんで。
どーも、375です。
大昔に、具体的には2001年の1月26日にyahooジオシティーズだったかgooだったかわすれたけど、どこかのレンタルサーバーにアップロードしたhtmlファイルは、手裏剣の代わりにしても余るくらいCD-ROMがついていた富士通ノートパソコンで作られていて、さらにそのCD-ROMの中の一つにあったホームページビルダーで作られていたと思う、違うかもしれないけど。その当時のインターネットは一部の頭のいい人やなにも考えていない人がホームページという名のWebサイトに掲示板やリンクというページを作り、それぞれのWebサイトの管理人同士が相互リンクという形で繋がっていたり、片思いという形でやんわりと繋がっていて、コンテンツはイカしたテキストと、衝撃的な画像と、面白いフラッシュ動画で溢れていた。やあみんな。今は2023年だよ。まだ375presentsは残ってる。
実を言うとなにも考えないで文章を作ることがなんでかできなかったのだけれど、最近の僕は随分とご機嫌だし天気もいいし花を入れる花瓶もあるし、なんだったら今は到底食べきれないスイカを見ながらいかにしてこれを食べ始めた自分を正当化しようかウキウキしながら腕組みもしちゃってるくらい。つまり僕は家庭に花を入れる花瓶を置けるくらいまともな大人になったのだよ。あのダンベルでCDを割ってその動画をインターネットにアップしていたやつが。当時の画質幾つだったんだろう。240pとかだった気がする。カメラの名前はサイバーショットだったかな。ちなみに撮影時にとんでもない音がしてちょっとした事件になった、実家だったしね。
当時文章を書き始めるのに理由はいらなかったのだけど、大人になると言いたいことがなければならないっていう無意識なまじめさがでちゃって、しかも別に伝えたいことなんてあるはずないからいつまで経ってもなにも書かなかったのだけれど、そもそも僕はコンテンツでもなんでもない戯言をインターネットに設置するような非常識さを持ち合わせていたのだから、それを長所として認めようと突然思ったのですよ、自転車を漕ぎながらね。ちなみにちゃんとヘルメットはかぶってる。でも重くて首と肩がなんか生えてくるんじゃないかっていうくらい痛くて下手するとヘルメットのせいで健康に害が出てるかもしれないので、交通事故で死ぬか肩と首から新しい生命が誕生するかのバトルになってる。僕は後者に賭けてる。生えてきたら会話するんだ。もちろん対等な関係でね。
大昔、意味のない戯言に対して突然出てきた妖精くんが何か言ってくるものだからそれと会話するって言うスタイルが僕の日記だった、というかこれは一種の病気だと思っていたのだけど、実はこれが精神的に疲れちゃってる人の治療法として確立されいると言うことをつい最近知ったので、当時の僕は何かの病気を治療しようとしていたか、もはや手遅れだったかのどちらかだったのだと思う。花瓶を家に置ける今になっても起承転結を意識しないで文章を書いているところを踏まえると後者なのかもしれないけど、前者の方がかっこいいからフォーマルな場では前者を採用しようと思う。
でも実際、インターネットが当たり前のように片手にあって、むしろインターネットにー触れていない時間が誇張なしで意識のない時間だけって言う人も珍しくない今の状況を見ると、子供が空想で自分とそれ以外の登場人物を作り上げて一人で遊ぶみたいなことって自分を維持するためにも必要なんじゃないかなって少し真面目に思っちゃったりしました。今はインターネット上の何者にもなれない、インフルエンサーにでもならない限りなれない、そんな事実をなんとなくインターネットのみんながわかっちゃってるから、なにも気にしないで発信するし、発信してもインターネット上の何かになれるなんてこれっぽっちも思ってないの思うのですよ。昔はインターネットで発信する人は珍しかったし、むしろそこそこ変な人が発信していたものだから、発信している感覚としてはインターネット上の何かになっている感覚はあったんじゃないかなと思います、多分僕の妄想だけど。今、もしその感覚を得たいのであれば、クリエイティブなことか人に迷惑をかけるか、つまりとにかく目立たないとその感覚になれないと思っている人が昔の比べて多いのかもしれない。
インターネットに超簡単に接続できて、そこでなんでも手に入るようになった今を僕は超満足してるんですけど、もし妄想力が弱いまま気軽にインターネットで発信をやってるんならもったいないと思うんですよね。SNSで何かを発信するだけでもインターネットの一部になれたっていう感動をもう少し妄想するべきだと思うんですよ。やだ、発信しちゃったっていう背徳感にも似た感動をもう少し味わったほうがいいんですよ。それだけでインターネットって満足できちゃうんじゃないかなと思うんです。私だってこの文章を書いているときを前戯だと思ってるし、発信ボタンを押したらたぶん絶頂しちゃうからね。
だから、みんなもっと自分の妖精くんと会話したほうがいい。この手の妄想は病気なんかじゃなくて、自分だけで人生を楽しくする工夫だと思ったほうがいい。まぁ、僕は病気かもしれないけど。
では、このへんで。
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