洗濯という単語はどこまでを指すのだろう。服を脱ぐことは脱衣。しかしそれを洗濯かごに入れることは洗濯に含まれるのではないだろうか。我が家は、洗濯機に入れるべき服かどうかを判断しやすいように、脱いだ服を洗濯かごに入れるという文化を取り入れている。洗濯かごから服を取り出して洗濯機に入れる。電源ボタンを押して洗剤をいれる。ちなみにこの順番を間違えると入れた洗剤がすべてどこかに消える。内蓋を閉めて柔軟剤を入れる。外蓋を閉めてすすぎの回数を1回にしてスタートを押す。文章にすると長いのに、すべて「洗濯」だ。そして洗濯機から取り出すとき、服は「洗濯物」へと変化しており、その洗濯物を干すために一つ一つどこに干すべきか判断する。「これはハンガー」とか。ここまで書いて、私は「小さい洗濯バサミがいっぱいくっついているあれ」の名前を知らないことに気づく。あれなんて名前なんだろう。あれに干すべきなのは靴下とか下着とか。靴下の場合は相方が行方不明にならないように2つまとめて干す。足を入れる穴が空いているほうを鼻の穴をつまむように干す。パンツは腰の両側をつまんで干す。ハンガーに干すべきものは、首元からハンガーの左足、あれ足なのかな。私はハンガーのクエスチョン部分を頭だと思っている。私から見て左に曲がっていたら、ハンガーは私の方を見ていると思っている。そして左下と右下の鋭角を足と呼んでいる。私は決まってハンガーを正面に見て左足から入れる。何枚か干していると毎回、「正式な入れ方があるのだろうか、そもそも首元が伸びる可能性をなくすために、裾から入れるべきなのだろうか」と一瞬思って、やはり首元から左足を入れるいつもの方法でハンガーを装着させ、引っ掛ける。こうすることで、干した服たちが全員左側を見ることになる。干し終わったら少し遠くに離れてきれいに整列している状態を見て、満足する。これも洗濯と表現することができる。乾いた洗濯物を取り込むことも洗濯、それをたたむことも洗濯。所定の位置に乾いた洗濯物を格納することも洗濯。そして、しまう寸前まで「洗濯物」だったものが、しまってしまえば次に取り出すときは「服」になっている。洗濯という単語はどこまでを指すのだろう。もしかしたら、服を汚す行為も「洗濯」の一部なのかもしれない。服を着ているだけでも垢がでて汚れる。そうしたら、普段の生活もすべて洗濯なのかもしれない。この世の全ては「洗濯」という行為なのかもしれない。私がいまこの文章を作成している行為も、「洗濯」なのかもしれない。あなたがこれを見ているその行為も「洗濯」なのかもしれない。・・・・・「洗濯」という単語がどこまでを指すのだろう。その疑問すら、きっと「洗濯」の一部なのだ。
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